ムヒカ(ウルグアイ)大統領は、「世界一貧しい大統領」として
広く知られるようになりました。
彼は、2015年2月、5年の任期を終え、
国民の多くに惜しまれながら退任しました。
彼のエピソードとして「ヒッチハイク事件」があります。
ジェラルドさんは、工場からの帰り道、手配ミスから
ヒッチハイクで家まで帰ることを余儀なくされました。
しかしいくら手を挙げてもなかなか車は止まってくれません。
そもそも、運転手からみるとどんな相手からもわからない男を
乗せるのは危険だし、基本的に乗せるデメリットはあってもメリットはないもの。
リスクを負ってなお本当の親切心がなくては送ってもらえるものではありません。
そんななか、2時間ほど経ってからようやく1台の車が止まりました。
運転手に促されて後部座席に座ろうとすると、まずすぐにわかったのが、
隣に座っているのがムヒカ大統領夫人であること。
驚いて前の助手席を見ると、そこにはまさにムヒカ大統領(当時現職)が
座っていたのでした!
ジェラルドさんは驚くと同時に、大喜び!!
大統領とその夫人の両方を写真に撮ってツイッターに投稿しました。
その内容と写真はまたたくまに世界に広がり、感動を呼びました。
運転手はムヒカ大統領の指示で止まったそうです。
ムヒカ大統領曰く
「作業衣を着ていたし、助けてやらなくてはと思ってやったこと」
まさか現職の一国の大統領の車にヒッチハイクで同乗できるなんて、
本当に前代未聞の”事件”ですよね!
ムヒカ大統領は、
大統領に与えられる邸宅に住むことも拒み、妻名義の農場で質素な生活を
送っています。
粗末な家で水道すら通っていないといいます。
警備をするのは警官2人と、飼い犬のみ。
ムヒカ大統領の資産としては、
愛車のフォルクスワーゲンだけだといわれています。
収入の9割を慈善団体に寄付しており、生活費は月10万円程度。
そんなムヒカ大統領を世界的に有名にした名演説があります。
これは2012年の「環境サミット」リオ会議でのものです。
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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも
感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければ
ならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困を
なくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ
傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料が
この地球にあるのでしょうか?
可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、
即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが
世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしている
のではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論は
できるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するための
ものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、
政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品や
ライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く
多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けが
みんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、
できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、
1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」
を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に
私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、
結局は以前よりも長時間働いています。
なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような
老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます
「これが人類の運命なのか?」
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ
「発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです」
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、
そして必要最低限のものを持つこと。
これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素
であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
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参照元 Read the original here: http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/#ixzz3N3Xwp6u4
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