心温まる感動ストーリーを通じて感動を科学する! -11ページ目

心温まる感動ストーリーを通じて感動を科学する!

心温まる感動ストーリーや感動研究を通じて、元気や勇気、生きる喜びを高めて欲しい!!(社)日本WEBライティング協会公認ブログです。

株式会社「植松電機」の専務取締役の植松努さんは、

「児童虐待を失くすために宇宙開発をしている」

と語ります。


これだけを聞くと、
どういう意味なのか分からないのが普通です。
しかし、そのことを大真面目に考えて実行しているのが植松さんです。


それを熱く語る動画がユーチューブにアップされ、
再生数が5ヶ月間で約1千万回に達する異例の人気となりました。


何故、宇宙開発が「児童虐待」を失くすことにつながるのでしょうか?


それは宇宙というはるかに遠い存在を追いかけることに関係しています。


多くの大人が子供に浴びせてしまいがちな「どうせ無理」という否定の言葉。
それを、彼は「児童虐待」と表現しているのです。


彼の風貌とスピーチはどこかユーモラス。


しかし、その姿と話し方からは想像できないほどの、
強い意志とパワーを感じます。


きっと多くの日本人を奮い立たせていることでしょう。




以下の文章は、
彼の約20分のスピーチの内容を抜粋したものです。

=================================

今からみなさんに時間を借りてお話を聞いてもらいます。

それは、「思うは招く」っちゅうお話です。

僕の母さんが中学生のときに教えてくれた言葉です。

思ったらそうなるよって意味です。

思い続けるって大事です。

僕は今日のお話で、みなさんの中から仲間が見つかったらいいやと思っていますので、ぜひね、仲間になってほしいです。

僕は今から47年前に生まれました。

植松 努っていいます。

僕は今、北海道の真ん中へんにある赤平っていう町で生まれて初めて会社を経営しています。

僕たちはそこで、本当はリサイクルに使われるマグネットっていう機械を作っています。

でも、そのかたわらでロケットを作ります。

僕たちは宇宙開発ができて、丸ごとロケットをつくれて打ち上げ出来るようになって、
そして人工衛星も丸ごと飛ばせるようになって、そして 世界で3つしかない、
日本には僕の会社にしかない宇宙と同じ無重力状態を作る実験装置も持っています。

どれも売っていないから買うことができません。

でも自分たちでがんばって作りました。

でも僕にとって、宇宙開発は僕の夢じゃないんです。

僕にとって宇宙開発は、僕の手段にすぎません。

僕は今から47年前に生まれました。

小さかった僕に、ばあちゃんが大事なことを 教えてくれました。

僕のばあちゃんは、北海道の北にある樺太という島で昔から自動車の会社をやっていて、
がんばって働いてお金を貯めて、豊かに暮らしたそうです。

でも樺太は、1945年、突然ソビエト軍が攻めてきてたくさんの人が殺されて、
ばあちゃんは自分が貯金したお金が全部紙くずになったことを 知ったそうです。

だから、ばあちゃんは小さい僕に教えてくれました。

「お金は値打ちが変わってしまうもんだよ。だからくだらない。
お金があったら、貯金なんかしないで本を買いなさい。
頭に入れなさい。それは誰にもとられないし、新しいことを生み出すんだよ。」

と、教えてくれました。

だから僕は本屋が大好きな子どもになりました。

また僕には大好きなじいちゃんがいました。

おっきくて優しいじいちゃんです。

僕とじいちゃんとの一番の思い出は、アポロの月着陸です。

一緒にテレビを見ました。

僕が覚えてるのは、じいちゃんが見たこともないほど喜んでいる姿です。

「ほら見れ~ほら見れ~」って。

「人が月へ行ったぞ」って。

「お前も、月行けるぞ」って喜んでるんです。

僕はそんな喜んでるじいちゃん、見たことなかったです。

だから僕はその笑顔が、もっかい見たかったです。

だから本屋に行ったら僕は飛行機やロケットの本を手に取ったんです。

そしたらじいちゃんはでっかい手で、僕の頭をなぜてくれるんです。

ほめてくれるんです。

僕はきっと、じいちゃんの笑顔が見たくって、きっと飛行機やロケットが
好きになっちゃたんだろうって思います。

僕はそのあともいろんな素晴らしい本に出会います。

そして、中学生になった頃には、僕の夢というものは飛行機やロケットの
仕事をすることになっていました。

自分なりに一生懸命 勉強していました。

でも、中学校の先生が僕に教えてくれました。

「そんな夢みたいなことを言ってないで、テスト勉強をしなさい」
と言われました。

確かに僕は、飛行機やロケットの勉強はしたけど、学校の勉強は
ほったらかしだったんです。

なんにもしていませんでした。

そして先生は、さらに教えてくれます。

「そもそも宇宙なんちゅうものは、よほど頭が良くないと無理だ。
すごくお金がかかるんだぞ。だからそれは別世界の話だ。お前なんかに出来るわけがない。」
って教えてくれました。

僕はとっても悲しくなりました。

そして考えたんです。

夢ってなんだろう?って。

できそうな夢しか見ちゃダメなんでしょうか?

でも出来るか出来ないかは、いったい誰が決めるんだろうって思いました。

やってみなきゃわかんないはずなのに、やったこともない人が決めるのは変じゃないのかな、
と思いました。

そして僕は今、出来ないことを追いかけることが夢っていうんじゃないのかなって
思ったんです。

ところがそうじゃないみたいです。

なぜならば、僕はいろんな大人に脅されたんです。

「ちゃんと勉強をしなければいい学校に行けなくて、いい会社に入れなくて大変だよ」って。

僕はあんまり成績が良くないです。

だから心配になって質問をしました。

いい会社ってなんだろう?って。

そしたら、 大人が教えてくれました。

「安定していて、楽をしてお金をもらえるのがいい会社だ」と言われました。

僕は納得できませんでした。


なぜならば、勉強すればするほど能力が身につくはずです。
ところが、せっかく身につけた その能力をなるべく使わないで、
楽をするために勉強するんだって言われたんです。

そんなら勉強しなくていいんじゃないの?と思ってしまったんです。

でも、お金があるといいことがいっぱいあるかもしれません。


~~中略~~


ところが、自分が出来ると、出来ることがあればあるほど、
それはしてあげられるから仕事になるかもしれないっちゅうことなんです。

ってことは、人間が生きてく上で大事なことは、出来なかったことが
出来るようになることなのかもしれません。

それがもしかしたら、人間にとって素晴らしいことかもしれません。

だとしたら、僕が考えた今出来ないことを追いかけるのが夢なんじゃないの?
っていうのは、正しいのかもしれないんです。

ところが僕は、一生懸命自分の大好きなことを追いかけたんです。

でも、それはまわりの人に理解されなくなりました。

友達からも、先生からも、そして親からも。

「そんなことしてて大丈夫なのか?」と言われるんです。

「意味なくね?」と。

「なにそれ自慢?」って言われて、僕はどんどん一人ぼっちになっていくんです。

自分の好きなことを人に喋ることが 出来なくなってしまうんです。

でもそんな僕を助けてくれた人たちがいました。

その人たちは、本の中の人たちです。

僕を助けてくれたのは、ライト兄弟だったりエジソンだったり。

彼らも誰にも信じてもらえない人たちでした。

応援もしてもらえなかったんです。

でも彼らは、一生懸命頑張ったんです。

その人たちが、僕を助けてくれました。

だから僕は頑張ったんです。

自分の好きなことを、もっと好きになったんです。

もっと伸ばしていったんです。

僕は紙切りが得意でした。

でも、それがどんどん発展していって、どんどん物が作れるようになって、
そして僕は、自分の会社を作ってリサイクルのマグネットを作ることが出来るように
なったんです。

僕は会社を経営することになってしまいました。

僕は生まれて初めて会社経営したんですが、びっくりするぐらい、
いきなり大成功です。(笑)

もうね、年商がね、10倍ぐらいになっちゃったんですよ。
それでいい気になって、大失敗です。(笑)

2億円、借金作りました。

自分のせいだと思いました。

全部自分でなんとかしなきゃと思って、一人で抱え込みました。

自分を責めました。

そして、日本中飛び込み営業に歩いたら、ひどい目にばっかり遭います。

だから、飛行機乗るたんびに「今日こそ、この飛行機落ちてくれ」
って一生懸命祈りました。

でも飛行機は落ちませんでした。

やがて僕は成長して、えげつないことも、冷酷なことも出来るようになって、
競争相手をやっつけたり陥れたり出来るようになりました。

でもその人にどんな家族がいるかなんて、ひとつも考えませんでした。

やがて売り上げが増えていくと、銀行の人がほめてくれました。

でも僕の心はすっかりおかしくなっていて、誰も信じることができません。
一人ぼっちなんです。
そしてなにもかも、合理でしか考えられないんです。

やがては自分の大切なものも全部捨ててしまおうとまで思ったんです。

でも、そんなときに僕は、会社が苦しかったもんだから日本中歩いていて、
いろんな人にアドバイスされたんです。

それは「青年会議所に入ったらいいよ」って「売り上げにつながるよ」って言われました。
僕はよこしまな気持ちで青年会議所に入りました。(笑)

ところが売り上げにはつながりませんでした。(笑)

でもそこで僕は、かけがえのない知らなかった人たちと出逢うチャンスをもらったんです。

僕はそこで友達を作りました。

その友達が、僕を誘ってくれました。

児童施設に僕がボランティアに手伝いに行くことになったんです。

ところが、一生懸命準備して行ってみた、その児童養護施設の子どもたちは、
親からひどい目に遭った子どもたちでした。

最初は誰も近寄ってきませんでした。

でも、一生懸命かかわっていたら、帰る頃には「帰らないで」って言ってくれました。

スキンシップを求めてくれました。

友達と一緒に「やぁ、いいことしたよね」って「今日打ち上げどこでやろうか?」
なんて帰ろうと思ったらば、男の子が自分の夢を聞かせてくれました。

その子の夢は、親ともう一度暮らすことだそうです。

信じられん、と思いました。

なんでひどい目に遭わせた親のことをまだ愛してんの?って思いました。

そして、なんもいいことできてないわ、と思いました。

だっていくらお金を寄付したとしても、その子を連れて帰ってうちの子にしたとしても、
何の解決にもなりません。

なぜならば、その子はまだ親を愛してるからです。

なんでこんなことが起きるんだろう?って思いました。

そして、自分は何のために人をやっつけてまで、金稼いでんだろうって思いました。

いろんなことがわかんなくなっちゃいました。

ぐるんぐるんしてしまいました。

そしたら、封印した記憶がよみがえってしまいました。




僕は小学校に上がってすぐに、担任の先生にものすごい嫌われたんです。

僕が信じていたことや、ばあちゃんが教えてくれたことは、全部否定されました。

僕の夢は、お前なんかに出来るわけがないって、さんざん言われました。

じいちゃんがなぜてくれた頭は、先生にさんざん殴られました。

とってもつらかったです。

でも、それを助けてくれる大人はいなかったです。

僕はその先生が言っていた言葉を忘れてませんでした。

その先生は「どーせ無理」という言葉をよく使っていたんです。

この「どーせ無理」という言葉が、おそろしい言葉なんだなと思いました。


これは、人間の自信と可能性を奪ってしまう最悪の言葉です。


でもとっても簡単な言葉なんです。

これを唱えるだけで、何もしなくて済んでしまうから。

とっても楽チンになれる、おそろしい言葉でもあるんです。

こんな言葉で未来を諦めさせられてしまった人たちは、自信を失ってしまうんです。

でも人間は、生きてくためにはどうしても自信が必要なんです。

だから、自信を無くしてしまった人の中にはお金で自信を買うようになって、
身を飾るようになったり、またそれを自慢しなければいけなくなったり。

そのために人を見下さなければいけなくなってしまったり。

また、他の人が頑張ったら困るから、努力を邪魔するようになってしまう人もいるんです。

こういう人が、みなさんの身のまわりにも、もしかしたらいるかもしれません。

でもその人たちは、自信をなくしてしまったかわいそうな人たちなんです。

その人たちが自分の自信を守りたくって、しょうがなく他の人の自信を奪ってしまって
るのかもしれません。

さらには僕の会社に、アフリカの人たちが来てくれました。

彼らが僕の話を聞いてくれた後で、教えてくれました。

今、アフリカでは、「自分なんて勉強したってムダだぁ」「努力したってムダだぁ」って、
自分の未来や可能性を諦めてしまった人たちが、最後には人を殺して奪うように
なるんだそうです。

なぜならば、がんばれないから。

生み出せないから。

奪うしかないんです。

暴力で奪うこともできます。

でも、他にも嘘をついたり、弱いふりをしたり、だましたりして奪うことも出来るんです。

でもみんなが奪ってしまったら、社会なんか成立しないんです。

僕はこの「どーせ無理」という言葉のおそろしさを知ることができました。

僕はこの「どーせ無理」人間は、最初から知らなかったはずだ。

いつ僕たちはこんな言葉を覚えちゃうんだろうって考えたんです。

それが宇宙かなって思ったんです。

宇宙は美しいです。

だから誰もが、ちっちゃい頃に一回は憧れるんです。

でもみなさんは、自分が宇宙開発出来ると思ってますか?

宇宙なんてよっぽど頭が良くないと、すごくお金がかかるって思い込んでませんか?

国家事業だって思ってませんか?

誰がそれを教えてくれましたか?

それは、こんなことを教えてくれるのはやったことがない人なんです。

やったことがない人が、適当なやらない言い訳を教えてくれるんです。

そのせいで僕たちは、何をしていいのかわからなくなるんです。

何が出来るのかもわからなくなってしまうんです。

だからこそ、 僕は、「どーせ無理」という言葉をなくそうと思いました。

これがなくなったら、いじめや暴力や、戦争がなくなるかもしれない。

児童虐待もなくなるかもしれないって思いました。

だから僕は、誰もが「どーせ無理」だと思われてる宇宙開発をしてみようと思ったんです。

ところが僕は、ロケットは危ないから作っちゃいけないということを知っていました。

だから諦めてました。

でも神様がいたんです。

神様が北海道大学の永田教授に会わせてくれました。

永田教授は、奇跡的に安全なロケットの研究をしてました。

そして、奇跡的にお金がなくて諦めようとしていました。

僕はお金がないけど物が作れるんです。

そんなふたりが出逢っちゃったんです。

以来僕は、人の出逢いには意味があるんだなと思うようになりました。

神様があんたとあんた逢いなさいって逢わせてくれてるんです。

今日みなさんと逢えてるのも、神様がそろそろ逢っときなって言ってくれたんだと思います。

僕と永田先生は助け合えたんです。

なぜならば、ふたりとも足りなかったからなんです。

実は人は足りないから助け合うことが出来るんです。

足りてたら人の助けなんか必要ないじゃないですか。

人は足りないから助け合えるんです。

だからこそ、足りないことをバカにしちゃいけないんです。

恥ずかしいって思う必要もないんです。

大事なことは、自分は何やっても中途半端だなぁだなんて、
自分を責める必要なんかまったくなかったんです。

実は中途半端っちゅうのは、何もしないよりも、何も出来ないよりも、
全然いいんです。

ちょっとできてるだけマシなんです。

だから 自分を責めることなく足りない自分をマイナスに思う必要なく、
一生懸命出来ることをすればよかったんです。

そんな僕たちは助け合って、今では宇宙開発が出来るようになりました。

いろんな研究者が僕の会社に実験や研究に来てくれるようになりました。

そして、今では年に1万人もの子どもたちが、修学旅行や見学旅行で、
僕の会社に来てくれるようになりました。

正直言うと、会社17人しかいないです。(笑)

ちょっと大変です。
だけども、一人でも多くの子どもたちが、可能性を奪われなくなったらいいなぁと
僕は思っています。

僕は 信じてるんです。

「どーせ無理」をなくせばいい社会が来ると思ってます。

でも僕一人で出来ることに限りがあるから、どうしても仲間がほしいんです。

これは僕の代で終わらない夢なのかもしれないんです。

だからこそ、みなさんの力を貸してほしいんです。

みなさんが、今日から「どーせ無理」っちゅう言葉に出会ってしまったときに、
「だったら こうしてみたら?」って言ってくれたら、ただそれだけでいつか
「どーせ無理」がなくなって、この世から、いじめも虐待もなくなるんです。

だから、ぜひ、みなさんの力を貸してほしいです。

学問というものがあります。

僕らは学問を一生懸命学んできました。

では、学問っちゅうのは、誰かに評価されるためのものだったんでしょうか?

とんでもない間違いですね。

学問っちゅうのは、社会の問題を解決するために人類が生み出したものなんです。
必死になって築き上げたものなんです。

じゃぁ、教育ってなんでしょうか?

教育っていうのは、失敗の避け方とか責任の避け方っちゅう、
要領いい生き方を教えるためのハウツーでしょうか?

全然違いますね。

教育というものは、死に至らない失敗を安全に経験させるためのものだったんです。

でも、それがすっかりおかしくなってしまったんです。

なぜかというと、4失敗をマイナスだと思っている大人がたくさんいたからなんです。
その人たちが、みんなの可能性と自信を奪ってきたんです。

でも大丈夫です。

これからの日本を良くしていくためには、世界を良くしていくためには、
やったことないことやりたがる人、諦めない人、工夫する人が増えればいいんです。

「どーせ無理」に負けない人が増えればいいんです。

じゃぁその人たちはいったいどこにいるのか。

それはみんなです。

すべての人がそうなんです。

なぜならば、僕ら人間は、必ず小さい頃を経験するからなんです。

みなさんも思い出してみてください。

小さい頃は、ボタンあったら押してみたかったんです。

ハンドルあったら回してみたかったんです。

そして余計なことすんじゃないって、怒られるもんだったんです。

実は生まれたときから、諦め方を知ってる人間なんてこの世に 一人もいないんです。

みなさんは全員、諦め方を知らないで輝いて生まれてきたんです。

でも僕たちは、諦め方をちょっと習っちゃってるかもしれません。

そんな自分たちの自信を取り戻すための、とてもいい方法がひとつだけあります。

それは、やったことがないことをやってみる、なんです。

やったことないことをやったら、それだけでちっこい自信がわいてきますから、
ぜひみなさんは、やったことがないことに挑んでみてほしいって思います。



~~中略~~



マズイと思ったら逃げるもアリ、ということなんです。

そうねぇ、僕が知ってる限り、まじめで優しくて責任感のある人ばっかり
死んでしまうんです。

死なないでほしいんです。

生き延びてほしいんです。

だから、マズイと思ったら逃げるのも絶対アリなんです。

でもそのときに失敗した自分を、逃げた自分を、諦めた自分を責めないでください。
へこまないでください。

そんなことする必要ないです。

でもこんなとき自分の心の中は、苦しいとかつらいとか申し訳ないとか、
くやしいとか悲しいとか恥ずかしいがぐるんぐるんして、大変なことになるんです。

でもこれがぐるんぐるんしてる最中は「ただいま成長中!」って言えばいいんです。

そしたらぷりっとひと皮むけるんです。

だから、ぜひね、「ただいま成長中!」って 言ってみてください。

そんな僕らは、今、生まれて初めての一回きりの人生を、ぶっつけ本番で生きてるんです。

そんな僕らは何のために生まれてきたのか。

僕らにとって失敗というものは、より良くするためのデータにすぎませんから。

ぶっつけ本番だからね、失敗して当たり前です。

でも失敗はより良くするためのデータだと思って乗り越えてほしいです。

そして 僕たちは、してもらうためや諦めるために生まれてきたんじゃないです。

そんなことのために生まれたんじゃないです。

僕たちは世界を救うために生まれました。

世界を救うのは簡単です。

世界を構成するすべての人間が、「自分なんて…」って 思わなくなるだけで世界は救われてしまいます。
今日から一人一人が出来る世界の救い方です。

だからぜひ、今日から救ってください。

自分なんて…って思わないでください。

そして、これから先、僕らがやってくべきことは、出来ない理由を探すことではありません。

出来る理由を考えることです。

ただそれだけで、世界はきっと、あっという間に良くなるんです。

僕の長い話が、やっとこ終わります。

僕は小さい頃から飛行機やロケットが好きでした。

でもやったことない人は、出来るわけないってさんざん言いました。

でも母さんは「思うは招く」って教えてくれました。

思い続けたら出来るようになりました。

だから、思い続けるってきっと大事です。

そして最後に、このひと言があればどんな夢も叶っちゃうよって言葉を
プレゼントして終わりにしたいと思います。


それは

「だったらこうしてみたら?で 夢は叶う」

なんです。

考えてみてください。

自分の夢を、誰かに喋ったときに、「いや それ 無理だわ~」って
言われたら元気なんかなくなります。

でも

「だったらこうしてみたら?こないだ本屋にこんな本売ってたよ」

「こないだテレビで、こんな番組やってたよ」

って 言われたらもっと元気がわくじゃないですか。

その方が絶対楽しいです。

だから、お互いに夢を喋って、お互いに「だったらこうしてみたら?」って
言ってたら、全員の夢が叶ってしまいます。

全員有名人になっちゃいます。

素晴らしいですね。

「だったらこうしてみたら?」 が世界中で流行ったらいいなぁって。

そしたら「どーせ無理」がなくなるなと思ってますので、
ぜひみんなで「だったらこうしてみたら?」 を流行らせていきたいと思います。

それがきっと、僕たちが出逢えた意味かもしれませんから。

お互いに助け合っていきたいと思います。

ということで、僕も、これからもがんばりますんでね、
これからも、せっかく出逢えましたからね、仲良くしてほしいと思います。

今日は本当にどうもありがとうございました。


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参考;
https://www.youtube.com/watch?v=gBumdOWWMhY

元サッカー日本代表、鈴木隆行選手をご存じでしょうか。


トルシエ監督の元で戦った日韓ワールドカップで日本代表として出場。


初戦のベルギー戦で得点を挙げるなどして、ベスト16進出に
導く活躍をしました。
ライオンのたてがみのようなヘアスタイルがトレードマークでした。




鈴木選手は2015年始めに、
ジェフユナイテッド千葉への加入が発表されました。


2014年オフに4年間在籍した水戸ホーリーホックを契約満了で退団。
38歳のベテランは17年ぶりにジェフに復帰しました。


そして、元在籍チームの水戸のスポンサーから、
粋な感謝の広告が「2015サッカーダイジェスト選手名鑑」に
掲載され話題となりました。


感謝を込めた広告を掲載したのは、
水戸ホーリーホックのサポートシップスポンサーの一つ「誠不動産」。


水戸の選手を掲載したページの4分の1ものスペースを使い、
鈴木への感謝の言葉を綴っています。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

鈴木隆行選手

4年間ありがとうございました。

東日本大震災の後、アメリカでコーチに就任予定だったにも関わらず、
チームの現状やスタジアムを見て
アマチュア契約/無報酬でのプレーを希望し水戸へ戻ってきてくれた姿。

常にチームのことを考えてプレーする姿。

その姿は一生忘れません。

感動をありがとうございました。

水戸ホーリーホックのファンの皆は
どこに行っても必ず貴方を応援します。

これからもご活躍楽しみにしております。

本当にありがとうございました。

私にとって侍の魂を持った
永遠の、そして最高の日本代表選手です。

誠不動産株式会社
代表取締役 鈴木誠

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



鈴木選手は、茨城県日立市出身。


そこからほど近い水戸と、
震災直後にアマチュア契約/無報酬で加入したことなどを初めて知った
サッカーファンが多かったのです。


アマチュア契約/無報酬は本人の強い希望だったとのこと。


鈴木選手は当時、

「震災が起きて、非常に経営も苦しいということを聞いていた」

「チームに迷惑をかけないように加入したかったので、
僕の強い希望でアマチュア契約となった」

と経緯を説明していました。



そんな鈴木選手と、退団後に改めて感謝を伝えたスポンサー双方の
「地元愛」を感じるこの一連の話を知り、次のようなコメントが数多く
寄せられています。


「粋だね こういうスポンサーがいるのは幸せなこと」

「真の意味でのスポンサーだなぁ お金出すだけじゃなくて、
ちゃんとサッカーとチームと選手のことを見てるんだろうな」

「こんなこと出来る社長、あんたもすごいよ」

「泣いた。師匠(鈴木選手)の侍魂は本当にかっこいい」



また情報を掲載したサイトにも鈴木社長が書き込み

「皆様コメント ありがとうございます。

友達から載ってるよと聞きましてやって来てました。

全力で挑戦する鈴木隆行選手をこれからも応援し続けていきます。

皆さんの温かさに感動してますありがとうございました。」


と返答するなど律儀な一面をみせており、
サポーターやサッカーファンとの交流が続いています。







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http://youtu.be/uEEt1u2Upuk
http://youtu.be/-u8Bem3uvdM
誠不動産 オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/marioo11/entry-11989936645.html
http://news.aol.jp/2015/02/19/hwz_suzukitakayuki/
http://matome.naver.jp/odai/2142421577980097201?page=2

東北で筋ジストロフィーという難病と闘いながら、
毎日を前向きに生きている兄弟がいます。


筋ジストロフィーが襲ってきたのは中学校の時。


それまで登ることができていたバスのステップに足がとどかない、
どうしても乗ることが出来なくなってしまった兄の健一さん。


バスに乗れず、足をひきずり何度も倒れ、
歩きつづけるうちに動けなくなってしまいました。


悔しくて泣きそうになった時に、探しにきてくれたお母さんに発見され、
お母さんの背中におぶわれて帰ったそうです。


筋ジストロフィーとは、少しずつ筋肉の力が弱くなり変性、壊死し、
骨格筋だけではなく、多臓器を侵す全身疾患です。


原因不明で、まだ治療法は確立されていません。


健一さんは25歳の時に呼吸不全に陥り意識を失い、
命は取り留めたものの気管切開で声を失いました。


弟の航さんもほぼ同じ時期に呼吸管理が難しくなり、
今、お二人は完全24時間介護が必要な状態です。


お母さんが介護で倒れた時に、家族に負担をかけながら
生きている自分を悔しく情けなく思ったそうです。


しかし、そんな二人を心から励まし元気づけるお母さん。



「人生を充実させるのも、つまらなくするのも、自分次第。

悔いを残しちゃいけない。自分の人生は、自分で責任を持ちなさい」



と二人に声をかける強い母の言葉。


しかし、大変さをわかっていながら、力を振り絞って語った
お母さんはどれほどつらかったことでしょう。


家族の励ましが力となって、お二人は支え合いながら、
自分の進むべき道を見つけ出しました。


ある春のこと、電動車イスで病院内の敷地を散歩していた健一さんは
うららかに咲き誇る満開の桜を目にし、まるで自分を励ましてくれているようだ
と感じたそうです。


生命にみちあふれた花々を描きたい。


手は自由がきかないが、パソコンのマウスを動かすことで、
葉脈や花弁の一つ一つを活き活きと描き表わしていきました。


111点の作品が「植物画と歌のハーモニー」という一冊の画集にまとめられました。


副題は「生きた証のパソコン画」となっています。


暖かさと生命力が満ちあふれる素敵な絵の数々です。





弟の航さんは、昔から読書が大好きだったそうです。


時が進むにつれ、航さんも身体の自由が奪われて行きました。


正直言って死にたいと思ったこともあったそうです。


しかし、時には打ちのめされながらも病魔に負けることなく、
闘っていく道程を生きる証として五行歌に表わしました。


「しあわせ/輝く/こころの大地は/すべて自身で/拓けと母は」

「責めないで/責めないでいいよ/お母さん/ぼくの苦楽は/丸ごと宝となっていく」


そして2013年に詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』が出版されました。



筋ジストロフィーと闘い、生命を輝かし光を発する御兄弟の姿は、
とてもまぶしく感じられます。







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参考:http://d.hatena.ne.jp/kawamotoblog/20130120
   http://d.hatena.ne.jp/kawamotoblog/touch/20130120/p9
日めくりカレンダー「まいにち、修造!」が
異例の大ヒット!


増刷に次ぐ増刷で累計10万分を超えた。



特に人気のメッセージは

「次に叩く1回で、その壁は破れるかもしれない」


この言葉が松岡の心に浮かんだのは、20歳のときだったという。


当時の松岡の夢は世界の100位に入ること。


グランドスラム大会の本番で戦えるランキング入りを
目指していた。


プロツアーを回り始めて2年、世界ランクは271位。


なかなか夢の途中に立ちはだかる壁を破ることができないでいた。


それでも、もがき続け、目の前の壁を叩き続けた。。。




1988年のジャパンオープン。


松岡のランキングでは出場できなかったが、
推薦枠でコートに立った。


そこで、世界ランク7位の相手に勝つなどの大番狂わせを演じるなど、
奇跡的に勝ち上がり、準々決勝まで進んだ。


準々決勝の相手は、元世界ランク1位の”悪童”ジョン・マッケンロー。


結果、6-7 6-7で敗れたものの、
「世界のテニス」を披露した。




この試合で、衝撃的な出来事があったという。


タイブレークに入り、チェンジコートをする際、
マッケンローがすさまじい勢いで声を出しながら
肩タックルをしてきたのだ。


そのとき、松岡は

「世界トップクラスの選手が僕に本気で挑んでいる」

と思い嬉しかったという。


このとき、自信という大きな宝物を手にした。





これ以後、松岡は練習してきたことが試合でもできるように
なっていったという。


自信をもった松岡はその後、世界ランク46位まで上昇。


ウィンブルドン選手権では、日本人男子として
62年振りのシングルスベスト8に進出した。





彼は思った。


夢に向かう道のりには、破れるかどうかも定かではない。


そして大きな壁がいくつもある。


もしも「100回叩けば破れる」ことが分かっていたら
誰もが100回叩くであろう。


しかし、破れるかどうか分からなければ、
99回叩いて100回目を叩かずして諦めてしまうかもしれない。


その<1回>が人生を分けるのだ。
===============


だからこそ叩き続けて欲しい。


壁の先へ行きたければ、叩き続けるのだ。




最後に

日めくり「まいにち、修造!」

の一節「次に叩く1回で、その壁は破れるかもしれない」

のページに書かれている文章ををご紹介します。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本気で取り組んでも壁を破れない時もあるよね。

「100回叩けば、壁は破れる」と言われれば、
頑張ることができるけれど
回数がわからなければ、途中で諦めたくなる。

次に叩く1回で、壁は破れるかもしれないのに。

壁を破れるかどうかは、
自分を信じ切れるかどうかにかかっている。

だから君も、自分を信じて、
もう少しだけ頑張ってみないか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~










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参考;
ナンバー871号







コンサルタントであり、25年以上にわたりのべ30万人以上に
研修、講演を行ってきた福島正伸氏。


彼の言葉は、多くの人々を魅了し、幸福に生きるうえでの人生の指針
になります。


福島氏は「仕事」に関して次のように言います。



「つまらない仕事はありません。仕事をつまらなくする考え方があるだけです」


「意味のない仕事はありません。意味のない仕事にしてしまう考え方があるだけです」


「楽しくやろうと思えば、何でも楽しくなってくるし、いやいややれば何でもいやになります」


「今、自分が関わっている仕事の面白さは、自分の仕事に対する考え方によって
決まるものなのです」




仕事を面白いものにしたり、仕事を通じて感動を得たりするためには、
どのようにすれば良いのか。



ポイントは次の5つだといいます。


1)仕事の意味を考える


2)ものごとを前向きに受け止める


3)自己原因で考える


4)自分の可能性を信じて、自分らしくやる


5)目指すことをあきらめない



そして氏曰く

「考え方を変えるというのは、
難しいことのように感じるかもしれません。


しかし、考え方を変えるというのは、<気づくこと>。


気づくことで、実践することができるようになります。


実践することで、実感することができるようになります。


そして、実感することができれば、習慣にすることも

できるようになります。」



1つ1つの説明は次になります。



1)仕事の意味を考える


仕事の意味を考えて、
自分がわくわくする意味を付け加えましょう。

次のような質問を自分に投げかけてみてください。



この仕事にどんな価値があるのか?

この仕事によって、誰が喜ぶのか?

この仕事は、社会とどのように関わっているのか?

この仕事がないとすれば、会社や社会はどんな問題が起こるのか?

この仕事の楽しさとは、どのようなところにあるのか?

この仕事で、感謝されるようになるためには、どのように取り組めばいいのか?

この仕事に、どれだけたくさんの人がどのように関わっているのか?

この仕事に、取り組む自分の姿を子供たちが見てどう思うのか?



2)ものごとを前向きに受け止める


失敗したことがない完璧な人間などいません。

問題は、失敗そのものにあるのではなく、例えどのような失敗をしても、
その後にどう活かしていくかなのです。

チャンスにできない出来事はありません。

チャンスにしなかった人がいるだけです。


「次のチャレンジは常に過去最高の成功確率なのです」




3)自己原因で考える


うまくいかないことを、他人のせいにすると、その瞬間は楽に思えますが、
同時に自分の出番や改善のチャンスを失い、達成感や感動を
得ることもできなくなってしますのです。


自己原因とは、自分の出番をつくり出すために必要な
考え方であり、他人のせいにすることは、そのチャンスを失うということなのです。




4)自分の可能性を信じて、自分らしくやる


「こだわり」は、そのものが個性です。

その人にしかない、他人がまねできないものです。

どのような仕事であっても、「こだわる」ことで、私たちは自分らしい価値を
社会に提供することができるようになるのです。


最高の能力とは、自分の「こだわり」を発揮して、社会に貢献すること。




5)目指すことをあきらめない


あきらめないと決めると、他人から怒られたり、非難されたりしても、
アドバイスに聞こえるようになります。

さらにいえば、諦めない人にとっては、まわりの人はどのような人であっても、
感謝したくなる存在に見えるのです。

あきらめないこと、それはあらゆる可能性に満ちた人生を創造することに
他なりません。


そして、あきらめなかったことが感動になります。
反対に、もしすべてが簡単に達成できるものばかりだとすれば、
そこに感動はありません。





そして氏は次のように言います。



「もし、百年前であれば、(現在のように便利な)生活をすることは
できなかったと思います。

数えきれないほどの人々の努力の結果、今私は世界中のおいしい
食べ物を、日本にいながら味わうことができますし、その気になれば、
飛行機に乗って、世界中のどんな遠い国にでも、1日で行くことも
できます。

それはある意味、百年前の王侯貴族でも成し遂げることができなかった
ことです。

このように考えると、今この時代に生きていることだけでも、
大いに感動することができるかもしれません。」



「実は、私たちが当たり前と思っていることに、感動があるのです。

それを発見することは、生きている喜びを見つけることでもあると思います。」



「私たちは、一人で生きているように感じることがあったとしても、
実はたくさんの方々とのつながりの中で生きているのです。

見知らぬところで、私たちは本当にたくさんお方々に支えらながら生きています。」



「生きることは、感動を見つけ、そしてつくり出すことです。

どこで、生まれ、どのような仕事をしていたとしても、
そこで感動を得ることは必ずできると思います。

私たちは感動するために、生まれてきたのですから。」











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引用;「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」(福島正伸著・中経出版)