審判奇譚 第八章34 | 神鳥古賛のブログ

神鳥古賛のブログ

古典。読めば分かる。

 これなる弁護の士、何でふ心後れしたるさまに、我れが身を持て成すものぞ矣。

 

なりはひのうへの面目に於いて、まさに今この時こそ、心づかひ、いとゞしく際立ちてゐたるべけれ。

 

さるを、はや、ことごとくを投げ打ちてけれ。何ゆゑ斯かる持て成しとは成らんとするや。

 

見れば、為事さはなるべき弁護の士にて、そのうへ、富めるにやあらじかし。

 

儲け、これ失せたりとて、頼み手、これ一人ばかり失なひたりとて、そはそれ、それもて痛手となるべくもあらざれ。

 

あるがうへに、病うどなり、為事を減らすべう心懸けあるべき身なれ。

 

しかすがに、この我れを、かくも確つかとゝらまへて、放たんともせざるはや矣。そも何ゆゑか。

 

叔父への友としての義理合ひに因るや、さらずは、己が訴へ沙汰を、まこと異ざまなりと覚えて、さては我が為や、

 

或るはーーかゝる有りなん有りやう、つねに心すべき事なれーー裁きの司の仲らひうちへ、腕利きならんさまを見せんと思うてか。

 

如何に思ふさま、弁護の士のおもて、繁しげと見入るにも、その面差しより見え分かるもの、何ものも無かりし。

 

敢へて思ひ知らぬ顔に持て成いて、己が言葉の及ぼす処を見分きてんとしたれ、となん見做さんも有るべき事なる。

 

しかるを、弁護の士、Kの黙だしゐるを、いとゞしく己が心の有りたきまゝに思ひ解きたるならめ、かく言葉を継ぎぬ。

 

「思ひ及びたる事とは存ずれど、この我れに、厳い事執る間こそあれ、手まはりの者、これ一人とて無し。

 

先つ頃は此れに異なり、若き法りをわざとする者、二、三あり、我が為に働きゐたるをりもありしか。今や我れ、ひとりもて携はりぬ。

 

 

 

 

 

 

 

@f136668b2db245dhttps://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://twitter.com/f136668b2db245d&ved=2ahUKEwit4_G4mv3kAhVvwosBHYlGD-8QjjgwAHoECAEQAQ&usg=AOvVaw2nI1qh59sKtDPZm_bNThw8

 

フォローしてねフォローしてね!フォローしてね…アメンバーぼしゅう中!ペタしてねペタしてね