審判奇譚 第八章1 | 神鳥古賛のブログ

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古典。読めば分かる。

 フランツ・カフカの小説、邦題に所謂「審判」の文語体化古典化の試みは八章に入る。

 
 
   あきんどブロク、弁護の士解き放し
 
 
 さてもあるべきにや、K、弁護の士より、みづからの名代の役を取り下げばやと思ひ立ちぬ。
 
かくの如き振る舞ひ、これ良きや否や、これに就きての迷ひは拭ひ去れざるも、如何にしても為さゞるべからずとのしかとしたる思ひ、より勝りける。
 
弁護の士のもとへ赴かんとするの其の日、この志しのゆゑに、勤めの方、身を入るゝ事少しも叶はず、恒ねにも増して遅き勤めの為ざまなりき。
 
かくて、甚だしうも長きにわたり事執る間に居残らざるべからざりしかば、やうやう弁護の士のうちの扉のまへに立ちしは、はや正亥の刻を過ごしたり。
 
呼び鈴を鳴らさんとするに及び、早便りや恒ねの便りもて解き放しを告ぐるに及くなからんやと思ひ見ぬ。
 
相ひ見て話さんとするは、いといたう心苦しう為りもやすべからまし。さはれ、思ひ計り量りて、即ち、K、相ひ見て話さんと思ひ成りぬ。
 
余の取り下げの仕方ならば、音無しに容れられんとするか、さなくば、わづかにかたちばかりの文言もて容れられんとするのみ。
 
しからば、レニになりと、探りを入れさしめざらん限りは、弁護の士、これ如何やうに此の解き放しを受け取りしか、
 
更には、強ちに見棄つべからざる弁護の士の心添へとして、この取り下げにより、Kの身の如何に成りもて行くべきか、これらの事を、Kには、はや知るすべを失なひぬめれ。
 
さはれ、縦し、弁護の士、これKと直たおもてに相ひ居て、矢庭に解き放しの告げを得てうち驚かば、事ほど左様に心のうちを聞くを得ざるとするとも、
 
顔ばせや身の素振りにより、彼れの知らまほしうしたる事、なべては、たは易う推し量るを得べけん。
 
加之、弁護は弁護の士に任せんに及くなし、解き放しの告げは取り下げて然るべし、など説かれて、此方も其の言葉を真に受けて容れんとする事、無きにしもあらざらんとす。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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