死ぬのはやつらだ さんのエントリー。
http://anarchist.seesaa.net/article/89851196.html
こんなブログのエントリーもありました。
若松孝二監督『実録・連合赤軍』を観る
http://blog.livedoor.jp/planet_knsd/archives/51138234.html
と評価が高いのですが、へたれなわたしは絶対に観ない。
リンチのシーンとかあるんでしょ?
連合赤軍の時代を、多くの皆さんリアルタイムで経験してないと思います。
故老として経験談を語る意味はあるでしょうね。
浅間山荘のとき、兄たちと車でスキーにいっていたのだと思う。たしか警官が撃たれたときだったな。途中のドライブインで事件の中継を見ていたおじさんが、「こいつら、みんなの前で死刑だな」と話しておりました。
そのとき、一般大衆というものを生まれて初めて具体的に観たような気がした。
そういう反応をする人って、なかなかリアルでは出会えないから、その光景自体がなにか作り物めいた気もしましたが。
なにしろ、次々とリンチで殺された人の遺体が発見される。後年、早くからわかっていたのだけど、公安は情報を小出しにして国民の興味をひっぱったのだという話も聞いたけど、真偽のほどは知りません。
知り合いの尊敬すべき女性、天風会にうちの母親を紹介してくれた人ですが、そのお宅に遊びに行ったら、そのおば様が、「見ていると気持ちが悪いのだけど、見なければいけないと思ってずっとテレビを見ておりましたのよ」と語っていました。そのおば様はご実家も地方の酒造家ですし、婚家も名のある家なのでとても上品な方です。それ以上の連合赤軍への感想は一言も言いませんでした。どう思っていたかは今でもわかりませんが、死刑にしろなどとは、仮に思っていても口走るようなたしなみの無さはないのですね。何しろご子息(兄の家庭教師)は、そのおば様を「お母様」と呼んで敬語をつけて話す。
(昭和20年代、30年代では家族でも目上には敬語を使って話す家は普通だったんだよ。小津映画の原節子が近所隣に引っ越してきたようなもんです)
ともかく、「見なければならないと思って」といい、非難めいたことも一切言わなかったそのおば様のことが、強く印象に残っています。
もう少したって、関係者がみんな逮捕されたころ、電車の中で短大生ぐらいの年ごろの女の子が、「ながたようこが・・・」「あれ、ながたひろこじゃなかったっけ?」と話し合っていました。そして永田洋子のことをひとしきり話していて、一人がポツリと「可哀そう」と言ったのも覚えています。
それ以外の、連合赤軍に関わる思い出はありません。なんの本も記事も見ていない。
後年、いささか運動シーンに関わるようになると、全共闘世代に学生運動をやっていた人たちと知り合いになる。彼らの共通認識は、連合赤軍以来、左翼運動は壊滅したということのようです。
今、「過激派」というのがテロリストのように使われるのも、イラク人質事件で「自己責任論」によるバッシングが巻き起こったのも、連合赤軍の「事件」がなければ無かったかもしれない。日本の保守化の淵源は、あの連合赤軍報道による国民への刷り込みかもしれない。「死刑にしろ」と口にしている人を目の当たりにしたわたしには、そう思えます。