西ドイツの社民主義と日本 | みんななかよく

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 二大政党による政権交代というのはトータルな政治システムと政治文化の問題でもあって、個々の政党を贔屓にするたらしないたらの話じゃねーやい、と思う。

 何が何でも二大政党で政権交代すれば風通しがよくなるというのも胡散臭いし、「確かな野党」などとおさまりかえっているのも自己満足なだけで信頼しにくい。


 どうすればいいか、という前に、政権交代可能な野党、という願望がどう、いつごろから強まったのかな、と振り返ってみましょう。


 あたしの物心の範囲では、欧米で保守ならざる政権が誕生したのはイギリスのウィルソン労働党政権です。ただ、イギリスの二大政党性はそのままで日本には通用しないと思われていたのではないかな。それに60年代は左翼さんも威勢がよかったから、イギリスの政権交代などあまり評価しなかったんだろうと思います。

 普通、一般にはイギリスの議会制民主主義はお手本とされていたのでしょうけど、そんなに研究して日本の政治の参考にしようという人はいなかったみたい。


 日本の政治思潮に大きな影響を与えたのは、西ドイツのブラント政権の誕生だと思います。折から日本は70年安保の時期でした。

 でも当時の共産党も社会党(とくに左派)も、社民主義というのは「ダーティーワード」みたいに扱っていたのではないかしらん。 それほどこの政権交代を評価していたのか、あんまり記憶が定かでない。まあ学生にもなっていない子どもでしたから、情報に接していないだけかもしれないけど、日本にひきつけてヨーロッパの社民主義をみてみようという動きは、そんなに一気に広がったわけではないと思う。

 でも、だんだんソ連の停滞と軍拡は不信をよび、中国は文革でぐしゃぐしゃ。一方、北欧の福祉国家は注目されるようになってきた。(北欧は、フリーセックスという意味で若者層の注目も集めた)

 

 そうしたなか、ブラント政権の東方外交など西ドイツの政治を扱ったNHKの番組がありました。NHK特集の枠だと思ったけど、NHK特集は76年からの放送だったみたい。ブラント政権は74年だから、NHK特集ではないか、番組がブラント政権後、西ドイツの社民党政権を扱ったものだったのを、わたしが覚えていないか、どちらかでしょう。

NHK特集

http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-tokushu/


 その西ドイツの政治を扱ったNHK番組では、西ドイツの労働総同盟が紹介されていました。それによると、西ドイツでは有名大学を出た学生が西ドイツ労働総同盟に就職しているのです。日本でいえば、東大法学部卒業して、官僚になるか総評のシンクタンクで仕事をするか、という感じなんですね。日本でも、革新政党で東大出身者が珍奇なわけではない。上田、不破兄弟とか秀才なんでしょう。

 でも世の中の仕組みみたいに一般的なこととして、エリート予備軍が官僚になったり労働組合のスタッフになったりはしないと思うんですね。当時はまだ社会党が労組依存体質と言われていました。で、労働組合というと、少なくともわたしには「叩き上げ」というイメージだった。実際は専従職員が学卒で応募してきていたのかもしれませんが、でも社会のエリートコースではなかったと思う。

 

 まあ何がエリート学生なのか優秀なのか、そんなに決められないとも思いますが、個人の資質の問題ではなく、人材の社会的な流れ方としてみると、労働組合が社会的セクターとして地歩を占めているな、という印象をもったし、そう捉えてもおかしくはないと思います・

 

 日本が、東大→官僚→自民党政治家、普通の学歴→官公労→社会党政治家だとすると、どうしても自民党が上にきちゃうなあ、と感じました。情報集積から何から、高級官僚のほうが有利でしょうし。

 それで、日本でも政・官・財のトライアングルに対してカウンターパワーが形成されればな、というような願望を感じたので、今でもその番組を記憶は虫食いながら覚えているのだろうと思います。その当時、「政・官・財のトライアングル」などと表現されていたわけではないかもしれません。でも、要するに現政権与党に対して、対抗するには人材供給や情報の面でも、何らかシステムを作らなければならないのじゃないか、と漠として感じたのです。


 この番組の影響と断定するのは愚かですが、こうして西ドイツの事情などが広く知られたことが、後年の総評解体、連合結成につながっていくのではないかと思えます。ただ実際は、連合の成立は労働組合の再編というだけで、カウンターパワーの形成にならなかったのでしょう。共産党の人にように「労働界の右翼的再編」などというのは、ただの政治主義でとるにたらない総括だと思うけど、労働組合再編が政策作成能力をどれだけ高めたのかは、もっとシビアに評価されていいと思う。


 連合そのものは政治に関し、あまりいい関与をしてこなかったという印象がありますが、対抗的なパワーを育てて政権交代可能な状況を作ろうという欲求は、70年代後半から1980年を通じて高まっていたtのだろうと思います。

 学生の反乱、政治の季節の終焉とともに、「自民党も嫌だけど社会党もだらしがない」といいながら、高度成長に突っ走っていった時代が終わり、「他の国では政権交代しているよね」と思うようになった。

 その間、地方政治では相乗り状況が続き、中央政界では自民党が「田中派支配」を軸として内紛しつつ、金権問題で弱体化していった。

 そして冷戦終結から政治改革ブームへいたります。

 たぶん、オイルショックをへて日本が経済大国になり、冷戦が終わって旧来の政治的ポジションが意味をなくすとともに、55年体制は急速に無意味に思われたのでしょう。また、自民党の腐敗、リクルート事件とかもろもろは、長期政権の腐敗を印象付けた。

 そうして、政治改革ブームになり、小選挙区制になっちゃった。


 わたしは、自民・民主の二大政党は、どっちが政友会でどっちが民政党なの、と言ったりもするわけですが、キャリア官僚などが民主党から選挙に出るようになるのはいいことだろうと思います。

 国民の政治信条や利害を、せいぜい六つぐらいの政党がカバーするとすれば、政党の中で幅があるほうが当たり前。中小企業の利益を守ろうという人、大企業サラリーマンの利害を主にする人が、自民、民主のどっちにいてもいいし、共産党にいたっていいや。

 ただ、一つの党の中の政策形成過程は可視的でなければならないし、政党間の取引も開かれているべき。そのなかで、政治的な意思を集約して政策として実現していくのが政党の役割だろうし、政治家の職能でしょう。


 何が何でも政権交代をしなければ始まらない、というのではないけど、どうしても対抗的なパワーを育てなければと思う。そういう点で、石原都知事には、浅野候補で接戦に持ち込むほうが社会気分は変わるし、国政選挙、小選挙区では民主に票を集中させるほうが、新自由主義的経済政策と復古的な戦前志向の複合という、最近の保守の政治傾向に対して有効だと思う。

 大阪では、自・公候補が大差で負けることが、政権へのプレッシャーになるし、ネットウヨ的価値観への対抗ともなると思います。