日付ネタと言うことで、209系の話。
JR東日本が開発した新製通勤電車として1993年より登場。「コスト半分」「重量半分」「寿命半分」「省エネ」として色々な意味で革新的な車両でした。
13年程度経てば次の技術に移行できると言うことでコストカットの見本市でもあったが、実際のところ13年だと首都圏各線の置き換えが出来ないことから、更新して転属という形で今に至っている。
内装も「プラスチック多様」や「片持ち式イス」など、現在の基礎になる形状が多く搭載されていた。
害版も「各社独自で良い」と言うことで、川重製と東急製では形状も異なっていました。
●京浜東北線 0番台登場
1992年に先行試作車として、901系が3編成登場。蛍光灯の配置や座席などが異なりなかなか面白かったんですが、末期になると明らかに「走行中に天井が上下する」という大丈夫なのかなとも思わせる形態でした。
形状は悪くなかったので見る分には好きな車両でしたが、乗ると「堅いイス」「質素な車内」で、通勤ラッシュ時に疲れた体にとっては、あまり好きでは無いというイメージが残っています。
ラッシュ対策の6ドア車も連結されていましたが・・・。
一度だけ通勤時に乗車しましたが、座席が無いだけで時間が長く感じられましたね。
量産車は10両×78本導入されました。
●南武線 0番台導入
1993年に東中野駅の衝突事故および、横浜線の増発の関連で、205系1本(旧ナハ7)が転出したため、代わりに209系1本が新規投入(川重製)、ナハ1編成として活躍。この時点では103系の後期車の置き換えはされていない。
さらに1997年に南武線増発用として、ナハ32編成が東急車輌で新造された。
ナハ1編成は「空気式ドアエンジン」ナハ32編成は「電気式ドアエンジン」だった事で、廃車する時期が異なってしまう。
また2012年に「シングルパンタ」に交換される。
●八高線・川越線 3000番台
1996年の3月に八高線の八王子~高麗川間が電化され、川越線と直通化へ変更になった。
名前は「八王子~高麗川」の頭文字を取り「八高南線」、非電化区間が「高麗川~高崎」の頭文字で「高タカ」に・・・なってません。
3000番台は「ドアボタン装備」で新規製作。「ハエ61が川重製」「ハエ62~64が東急製」で4本が新規製造された。
帯の色は、「川越線の緑」と「八高線キハ30の首都圏色」だと思うが、なんか田舎くさく見えたのはなぜだろう。
*当時沿線民です。
そしてもう一つ驚くべき事は、川越線で使っていた103系3000番台&3500番台の不足分で新製されたのだが・・・。
103系3000番台は「元73系のアコモ改造車」だったので、年齢差がすごく有る車両を、道路線で一緒に運行したのには驚いた。下手すると置き換えられた「キハ30&キハ35」の方が、新しいかもしれない。
話が脱線しました。
●中央・総武慣行線 500番台
1998年になると、103系の故障による運休が多発、運輸省から改善命令が出たため、急遽E217系の拡幅車体と209系の下回りを合体させた500番台が登場。本来は「E231系」の登場を待ってから導入予定だったが、改善命令が出ては仕方ない。
17本製造した時点で、E231系0番台に移行して製造が続けられた。この形式から「新津のみ」で作られるようになる。
103系置き換え目的だったが、実際は「205系撤退」「201系撤退」が先立った気がする。
●常磐慣行線(千代田線直通) 1000番台
1999年には千代田線乗り入れ車両の増発のため、1000番台が2本登場。乗り入れの関係から、「幅狭車体」と「全面貫通路」付きで製造されたため、独自のデザインとなった。
この顔つきが2編成だけで終わったのは勿体ないと思ったら、後に東西線直通車の「E231系800番台」も同一デザインで、それを見越したデザインでした。103系の1000番台と1200番台の関係を思い出しますね。
なお、現在は「中央快速線」で活躍していますが、それは後編(転属)に話します。
以上、「209系物語、新製導入編」でした。