講座準備、締切蝶々、殻を脱ぐ | かんちくログ

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1発屋どころか、まだ1発も打ち上がってませんが。勝負は、これから。

今日は朝からずっと次の講座の内容を考えて準備をしていました。今週末が動けないので今のうちに。毎週締切のある連載小説みたい。いやあ、毎週締切ってかなりハードなんですけども。

伝えるべきことはわたしの中に確実にあるから、それは救い。あとはそれをうまく見つけて形にして整理して分かりやすい言葉にするだけだ。実感してもらうためのプチワークも考える。考えることが多くて脳がフル回転している。

大変だけど一度考えて作ってしまえば、またどこかで応用できるし、と講演や講座をするたびに毎回思うのだけど、今まで同じことをしたことがない。また別のことがしたくなってしまう。この性質はもうしょうがない。だから小説家をやっているのだと思う。自分で勝手にいくらでも高い山に挑戦できる仕事だから。

「今は何を書いているんですか」と、ときどき訊かれるけれど、たいていの場合、今は書いていない、と口ごもりながら答える。だって、書いていたらここにいない。ここにいて話してる場合じゃない。でも相手は何の悪気もなくて、ただの場つなぎの質問で、それをわたしも分かっているから、相手に気まずい思いをさせてしまうこの質問がいっそう苦手になる。

書いているとき、というのは映画の撮影のクランクインからクランクアップまでのイメージ。その間はできるだけ人に会わないし、できるだけスケジュールを白紙にしておく。頭の中は自分が書く話のことでいっぱいで、何かに追われるように、青い顔をして、書き続ける。そのほかの時間は膨大な準備期間だ。その準備期間の間、わたしは常に後ろめたい。小説家なのに小説を書いていない、ということが恥ずかしくてつらくていたたまれない。

「今は書いていないんです」という言葉の代わりに、何かもっとないかなーと思う。いや、まあ、常に書いていればいいんだけども。でも常に締切に追われてたら今みたいに講座をやったり人に会いにいったりということがまったくできなくなってしまう。

締切がいつ発生するか、今のわたしにはまったくコントロールできない。仕事が回ってきたら返事は「はい、やります」の一択しかないし、締切を指定されたら「はい、できます」と言うしかない。そうしないと、仕事は他の人へ回っていってしまうか、企画自体がなくなってしまう。わたしにとって締切は、気まぐれに舞いこんでくる蝶々のような存在で、今はたまたま蝶々がやってきてなくて、そのタイミングでこういう講座をやらせてもらうことになり、何だかちょうどいいというか、そういう流れなんだなと思う。

締切になる前の、なりかけの、サナギの話はいくつか聞いてるんですけどね。それがいつ動き始めるのかひそかに怯えています。一斉に孵化して、蝶々が大群でやってきたらどうしよう…。いや、何事も先取りして心配しない。それに無理だったら無理って言うんだ。待機させといて、音信不通になっといて、いきなり無理なスケジュールで締切指定されるなんて、普通の仕事だったらありえない。が、普通の仕事じゃないので、きっと「はい、できます」って言うんだろうな。

だってやりたいんだもの。仕方がない。

あ、でもよく考えたら今はTREESの朗読劇の脚本を書いていたんだった。おいおい、忘れるのか…自分。書く瞬間は集中して、休みのときは、何を書いてるかもすっかり忘れてリフレッシュする。そのメリハリが創作力を枯渇させないコツですな!とか言ってみたりして。

去年の展示「殻を脱ぐ」がDVDになりました。見れなかった人も見た人も楽しめる豪華な内容になっております。こういうイベントってやり終ったらそれっきりになるんだけど、こんなふうに形にできて嬉しいな。それもこれも動画編集やら印刷デザインやら通販やら何もかもをひとりでこなしてくれた有能な相棒 tomatotonasubiちゃん のおかげでございます。

え、わたし、何やったかって? …うーん。アイデア出した?くらい?



また特設サイト公開したら詳細お知らせします。