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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-本

 わたしは、2005年3月に詩集「天国の地図」を文芸社から出版したが、その数カ月後の8月に初めての印税が入金された。

 印税率は出版社によって若干の違いがある。わたしは、「文芸社」「碧天舎(倒産)」「新風舎(倒産)」「新生出版(倒産)」など5社と出版について話しをしたが、出版部数から印税についてまで様々な形態がある事が分かった。

 印税率だけで出版社を決める訳にはいかないし、最も優先すべきは書籍が確実に書店に陳列されるかであった。

 新風舎の場合、初版については印税が支払われない仕組みになっており、増刷時にのみ発生する。これにつては聊か問題点ありだと思っていたが、その代わりに非常に門戸が広く特に厳しい審査基準もないため、当時は多くの出版希望者たちに人気があったが、まず書店に並ぶ事はなかった。

 特に「詩集」というジャンルになると非常に厳しいと言えるが、その壁を乗り越え「天国の地図」は平積みという快挙を成し遂げた。

 画像を見て頂ければ一目瞭然であるが、その当時は韓流ブームの火付け役となった「冬のソナタ」などが大ヒットした年でもあり、「天国の階段」などのベストセラー本に混じっての平積み。

 出版された本が書店に届いてもその書籍をどのように扱うかは、書店のオーナーが決める事であり出版社自体がこれに関与する事は殆どない。

 入金された印税の一部は、わたしが当時お世話になり、所属していた「全国心臓病の子どもを守る会」に寄付した。


プールサイドの人魚姫-大滝

 映画やドラマの中心にいる訳ではないが、その俳優が居なければストーリーそのものが成り立たなかった。

 俳優として数多くの作品に惜しげもなくその資質を発揮した「大滝秀治」さんが、2日の午後に肺扁平上皮がんの為、都内の自宅で亡くなった。

 つい先日にも女優の「馬渕晴子」さんが、やはり肺がんのため亡くなったばかりである。馬渕さんは、女優として日本で初めて自分のヌードを公開するなどして、女性解放の一役を担っている面もあったが、やはり大滝さんと同様に、名脇役の一人として高い評価を受けていた。

 大滝さんは、悪役から政治家、刑事役など幅広く様々なドラマ、舞台、映画などでその滋味深い演技をさり気なく醸し出し、存在感たっぷりの名脇役だった。

 彼は、若い頃から老け顔でそれに伴って俳優の人生を左右すると言われる「声質」についても、決して褒められたものではなく当時から「悪声」と呼ばれており、その二つの個性により、ドラマの中心的存在に位置する事がなく、常に「脇役」と言う、俳優生活に取ってみれば「付けたし」のような部分に甘んじてはいたが、その個性を持ち前にし独特のキャラクターを創り出し、結果的に成功を収めている。

 わたしの中で、最も印象深かったのはやはり名作「北の国から」で演じた「北村清吉」。普段は朴訥で殆ど口を聞かない清吉であったが、時には周りの者たちをねじ伏せてしまうほどの説得力と存在感をその個性に重ねて表現していた。

 今年6月に他界した「地井武男」さんもまた名脇役の一人だったのかも知れない。大滝さんの訃報で、「北の国から」に出演していた役者が二人亡くなってしまい、このドラマの筋書きに二人の運命を重ね合わせてしまう人も多いのではないだろうか。

 全ての人の人生に於いて、主人公(主役)は常に「あなた」、「自分」であるが、その影には多くの「脇役」が存在している事を忘れてはならない。

 そしてまた、あなた自身も「脇役」である事が心の中に存在していて欲しいと思う。自分を支えてくれる人たちと、自分もまた誰かを支えているのだと言う事、それこそが人生そのもだと思っている。

 あなたの周りには何人の脇役がいますか?あなたは誰かの脇役になっていますか?「名」が付く必要はない、さり気なく気付かれなくともあなたの大切な人の支えになっていて欲しい。


プールサイドの人魚姫-胸騒ぎ


傷つくことには

慣れている

そう 思い続けて

来たけれど

くちびるを

重ね合わせる度に

何故か胸騒ぎ

いっそのこと

心憎い

あなたを振り切って

この 恋地獄から

抜け出したい



プールサイドの人魚姫-心霊

 2004年10月、父の30回目の墓参りに行った時に写した写真。この日は朝から土砂降りの雨で、東名高速も速度制限をしていた為、郷里の藤枝市に着くまでかなり時間がかかった。

 この雨ではまともに墓参りなど出来ないだろうと思っていた。藤枝に着いた時は既に時計の針は午後1時を回っていたが、雨は相変わらず激しく道の至る所に水溜まりを作っていた。

 コンビニで弁当を買い、車の中で家内と息子の3人で遅い昼食を済ませる。いい加減に止んで欲しいと心で呟きながら長楽寺へと向かった。

 すると突然雨が小降りになり始め、寺に到着した頃はすっかり止んでしまったのである。車から降りた時は一滴も落ちて来ない。

 空には秋雨前線がどんよりと立ち込めている。さあ今のうちに済ませてしまおうと、墓参りといつもの恒例の記念撮影。

 そして車に乗った途端に雨が激しく降り始めた。妙な気分ではあったが、その日はひねもす不思議な現象が続いていた。

 さて、おそらく既に気付かれた方がいると思うが、わたしの右肩に注目して欲しい。それは、ハッキリと鮮明に写し出された手。

 わたしの肩をしっかりと掴んでいるではないか。専門家の鑑定によれば、どうも若い女性らしい。それもかなり昔に亡くなられている先祖の霊だと言う。

 心当たりがあった。23歳で亡くなった叔母がおり、子どもの頃とてもよく可愛がってくれた綺麗な女性。鑑定士曰く、「これは非常に貴方を心配して守ってくれている守護霊なので大切にしなさい」との事だった。

 この写真(心霊写真)は非常に強いエネルギーを放っているので、見た人にも良い事が訪れるかも知れないと、その霊能者(鑑定士)は語っていた。


プールサイドの人魚姫-反日デモ

 たわわに実った果物や野菜、そして米など。実りの秋、収穫の秋がやって来ている。連日続いたあの猛暑が嘘のように、ここ数日は実に涼しく爽やかな秋の風が高い空を吹き抜けて行く。

 そんな自然の営みを余所に、この夏を振り返って見ると、「デモ一色」だったような気がする。「原発再稼働」「脱・原発」そして「オスプレイ配置」などであるが、デモに参加した民衆の呻きにも似た叫び声は、虚構の空に虚しく消えて行った。

 耳栓よろしくそれらの声に全く動ずる事も耳を傾ける事すらしない役人や政治家たちには、幼子の鳴き声ほどにも聞こえなかったのであろう。

 そして今、海外に眼を向ければ言わずと知れた中国の「反日デモ」である。尖閣諸島を取り巻く領土問題でヒートアップする中国の人々。

 9月中旬から8日連続で行われた反日デモは、その一部の民衆が暴徒化し日系企業を襲撃し、店舗などがその荒くれどもに取り囲まれ略奪行為にまで及ぶと言う、これは謂わば一種の戦争状態と言ってもよいほどであった。

 中国による反日デモは過去に何度も繰り返されて来てはいるが、やはりその根底に渦巻いている憎しみは戦争が産み落として行った日本による中国の植民地支配にあるだろう。

 切っ掛けは日本政府による尖閣諸島(中国名:釣魚島)の国有化に反発するデモであるが、それが中国の各地に飛び火し、大規模デモに発展した訳である。

 然しながらこのデモを当局が操っていたと言う噂も実しやかに流れており、デモの背景に当然の如く中国上層部が関与している事は明らかである。

 金銭を払ってまでデモに参加させると言う辺りは、実に狡猾な中国の手法であり、そこには何のイデオロギーも存在してはいない。

 反日デモは現在鎮静化してはいるものの、これもまた当局の操作によるものと言う推測の域を出ないのである。

 それに取って変わるように、中国国家海洋局と民政省による発表は尖閣諸島の山・岬などの計26ヶ所に中国独自の地名を付与し公表した。

 この領有権を巡る問題は双方が歩み寄らなければこれからも半永久的に続いて行くと思われるが、アメリカに依存する日本にとっては、自力での外交努力だけで解決する事は皆無であるだろう。

 日本国内で行われた「デモ」は20世紀初頭の頃であるが、江戸時代に勃発した「百姓一揆」もまたデモの部類に入るのではないだろうか。

 原発デモについて言えば、永田町の首相官邸を取り囲んだ民衆の大波は、1960年(昭和35年)に起こった「60年安保闘争」以来であるが、その中身は50年前のものと比べ大きく異なっている。

 つまり政党や労働組合などとは関係なく個人の意思によって人々が一堂に集まる事が多い。インターネットが全国的に普及している現代では、それらのネットを駆使し呼びかけを行うという、まさに現代の情報化時代を象徴した動きであり現象とも言えるだろう。

 然し、そこに本来のデモクラシーは存在しているのだろうか?民主主義を紐解けば、国そのもは国民一人ひとりの集合体であり、国を動かしているのは我々国民と言う事になる。つまり民主主義体制下に於いての権力者は政治家ではなく国民なのだ。

 50年前とは時代も大きく変化し、ある一定の水準を手に入れた日本経済の下で、わたしたちはなりふり構わぬ時代を疾走し、平和と安定した暮らしを手にしたかに見えたが、その対極に犠牲と痛みを伴う忘れ物を残して行った気がしてならない。

 核家族化が訪れ否応なしに人間本来が持つ労いやスキンシップが失われ、傍観者のみが巷に溢れだし、その行く末に待っていたのは孤独死や自殺者が増加する無縁社会である。

 大震災や原発事故によって、それらは曲りなりにも本来の人間性を取り戻してはいるものの、充分だとはとても言い切れないのが現状である。

 日本人と違い、韓国や中国の人々は感情の表現があからさまで時にはそれらに嫌悪感を抱いてしまう事さえあるが今回のデモを見ても分かるように、国内と国外では非常に対照的である。

 日本人の持つ奥ゆかしさは美徳ではあるが、無関心とは全く別である。オリンピックは参加する事に意義があると説いているが、さて、これらの「デモ」についてはどう判断すべきだろうか。


プールサイドの人魚姫-影



手を伸ばせば

すぐそばにいる

けれども

一度だって

触れることの出来ない

あなたは恋の影

追いかければ

追いかけるほど

わたしから

逃げて行く

決して

重なり合うことのない

わたしたち



プールサイドの人魚姫-献本

 わたしは今でも月に一度のペースで精神科(うつ病)に通院している。それをもう6年以上続けているが、それまでに3回も病院を変えた。

 1度目は運悪く評判の余り良くない心療内科に当たってしまい酷い目にあってしまった。そして大学病院に変更してみたが、余りにも待ち時間が長く(3時間待ち)、行く度に担当医が変わり同じ事を何度も話さなければならず非常に疲れてしまい結局そこも止めてしまった。

 そして漸く3回目にしてやっと良い精神科医に巡り会えたのであるが、この担当医に出会えた事が詩集出版に繋がった一つの要因でもあった。

 だからわたしは担当医にも献本をした。本を出版すると必ず献本作業がある。当然出版社がある程度マスコミ関係に献本するが、わたしは今までお世話になった先生や知人にも献本した。その数は約50人に及んだ。

 静岡県を代表する藤枝市出身の作家である故・小川国夫氏にももちろん献本したが、この時は事前に電話を入れ、小川国夫氏本人とは話せなかったものの、奥さんがわたしの事をよく覚えており(実家が隣同士)、話が弾んだ。

 他では須磨久善医師。当時は世界で5本の指に入ると言われたスーパードクターである。NHKのアーカイブにも出ている有名な心臓外科医。

 お礼の葉書が届いた時には感激した。献本用のケースは文芸社が無料で提供してくれた。独立法人国立特殊教育研究所にも所蔵されている。自分が在籍した学校にも献本し、学校の先生たちからは高く評価されていてとても喜ばしい限りである。

 写真は通院中の精神科に展示されている著書(天国の地図)。


プールサイドの人魚姫-余命

 1989年4月28日、わたしは三井記念病院の手術室にいた。その日の朝の記憶は鮮明に残っている。手術前日の夜、看護婦が眠れないからと睡眠剤を置いていったが、わたしはそれを使わず熟睡した。
 余命1年といっても、癌などの宣告とは多少違う。この心臓の状態だと1年もたないと言う意味で、それは否応なしに手術を受けなければ助からないという事だった。  
 19歳の時に一度手術は受けていたが完治した訳ではなかったので、何れ再手術という、その日が来ることは分かっていた。
  当時の三井記念病院はまるで戦場の最前線のようであった。6人部屋にはベッドが8個、とにかく予約待ちの患者が溢れていたのであるが、その頃、当病院には バチスタ手術で有名な「神の手」と呼ばれる心臓外科の名医「須磨久善」先生がおり、その腕を頼って日本全国から患者が殺到していたからだ。
 その日手術を受けた患者は、わたしを含め8人で症状の重い患者から手術を受けることになっており、わたしはそのトップだった。
 浣腸で腹の中を空っぽにする。そして真っ白な手術着一枚に着替える。軽い麻酔剤を一本打つ。意識ははっきりしており、その注射は無意味だった。
 ストレッチャーが迎えに来る。自分の力でベッドから乗り換える。部屋を出て行く時、「頑張れ」と声がかかる。自分もそれに応えるように手を振った。手術室は7階だった。
 扉が開くと同時に看護婦の声「かんべさん、手術室に入りますよ」声は出なかったが頷いたと思う。「かんべさん、手術台に移りますよ」遠のく記憶の彼方から優しい女性の声が木霊していた。薄っすらと目を開けると眼鏡を掛けたドクター3人の顔が見えた。
 麻酔医が「全身麻酔します」と言ったのが最後だった。手術は9時間に及ぶ大手術だった。時間が全く分からない、朝か昼か夜なのか?とにかく手術が成功したのだ。
 成功率は85%、ただし手術中に心筋梗塞を起こし一時危なかったらしい。そして空気が脳に流れた事も分かった。
 ICUからCCUに移りはしたが、どうも息が苦しくてよく眠れない。レントゲンを撮ると片方の肺が完全に潰れていた。
 次の日、背中に太い注射器を指し、肺に溜まった血を抜いた。牛乳瓶8本分の水分が右の肺に溜まっていたのだった。
 一気に呼吸が楽になり手術成功を実感した。あれから23年が過ぎ、今年24年目に入った。これほど生きられるとは思っていなかった。
 機械と薬に頼る毎日だが、わたしを支えてくれる多くの人たちに感謝しながら、これからも生きて行きたいと思う。


プールサイドの人魚姫-尖閣

 尖閣諸島や竹島を巡り、領土問題に揺れる日本にその荒波が押し寄せている。中国や韓国など、相手国が強硬姿勢を見せてから漸く事の重大さに気付く日本政府は、今も昔も後手後手の対応。

 100年以上も前の文献を埃の被った倉庫から引っ張り出し、それを証拠として日本の領土だと言い張っても、彼らはそんな昔の事など眼中になく、現在が最も重要なのである。

 それまで何の策も打たず、放置状態を続けて来たそのつけが今、まさに日本を脅かしているのである。政府の対応に業を煮やした石原東京都知事が尖閣諸島を東京都が購入すると爆弾発言。その方向で島の地権者と話しが進んでいる事に面目丸つぶれの野田総理とその側近たち。

 東京都による尖閣諸島上陸申請を早速不許可。同じ祖国の中で領土問題に対して足並みが乱れ、混乱しているようでは、北方領土も含めこれらの問題は前途多難である。

 日本のトップでさえ、いまだ足を踏み入れていない「竹島」に韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が自らの足で竹島の土を踏みしめた。

 これに対し日本政府は、独島訪問の抗議内容が入った書簡を韓国側に送ったものの、殆どが門前払いという情けない結果に終わった。

 竹島が日本の領土であるとされる証拠が「ラスク書簡」。1951年、米国のラスク国務次官補が、竹島の領有権を主張する韓国政府に送ったものであるが、その中身には「朝鮮の一部として取り扱われたことが決してない」とう内容の事が記されているようだ。

 韓国側の不法占拠を明確に示す決定的な資料であるが、この文書の存在がどれほどの影響力を持つかは全く未知数である。

 相手は物の道理が通じない、それこそ未知との遭遇。戦前・戦後の忌まわしい過去(従軍慰安婦問題等)を両国が引き摺っている限り、韓国と日本の間に「友愛」という絆は生まれる事はない。

 それにしても韓国の日本に対する猛反発は人種の大きな違いを見せ付けてはいいるものの、日本人が大人し過ぎるのか、それとも単なるお人好しなのか。原発デモ行進やパレードは兎も角としても、領土問題ではデモを起こす気にすらならないのだろう。

 こんな自分さえ良ければの自己中心主義が蔓延るからこそ、国内外から「平和ボケ」と指摘されるのも頷けるのである。これだからあるブロガーに「竹島なんぞくれてやれ」と毒舌を噛まされるのだ。

 中国が「釣魚島」と呼び、領有権を主張している尖閣諸島(魚釣島)については、米政府が公式呼称として「センカク」を採用していることが明らかになっているが、あらゆる所に米国の影が存在し、日本が自国のみで解決に至らない弱みを他国に曝け出しているようなもの。

 それに付け込む中国や韓国の暴走。それを止められない弱小政府を見ていると、如何に日本の基盤が弱体化している事を見せ付けられる思いだ。

 領土問題を個人レベルで捉えてみれば、人間の持つ浅ましい姿がそこに垣間見えて来る事だろう。土地絡みの利権問題、財産分与などや隣人との争いごとに至るまで、強欲な人間の罪深さだ。

 相手のテリトリーを一切侵さない野生動物とは大違いで、地球・自然・共生という最も基本的テーマから大きく道を踏み外すのも残念ながら人間の特徴なのであろう。

 

プールサイドの人魚姫-ささ舟

 

 
 
 

空が涙の池になり

そこに笹舟を浮かべて

遊ぶのです

おまえの小さな魂乗せて

ふーっふーっと吹いて

さあ

天国の涙で出来た

池の周りを一周しておいで

そうしてまた

我が家に

戻って来ておくれ