プールサイドの人魚姫 -23ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

高倉


 11月18日、高倉健さん死去のニュースが列島を駆け巡った。東映がおくる任侠映画の看板スターとして、「網走番外地」「日本侠客伝」などが大ヒットし、シリーズ化され映画スターとしての地位を確実なものとした。

 高倉健さんについては皆さんもよくご存知の事であるから、ここでは私自身と高倉健さんの接点について述べて行きたいと思う。

 健さんを語るにあたり、避けて通れないのが実は私の父「信夫」の存在である。私は今、その「信夫」をモデルとしたノンフィクション小説「網走番外地(仮題)」を執筆中で、第16章まで書き終えており、後は終章を残すのみとなっている。

 大まかなあらすじとしては、府中刑務所を出所し、故郷である藤枝に帰る途中の信夫が、静岡に住んでいる息子に会い、刑務所帰りの父親とそれを迎える息子とのやり取りを、過去の想い出と共に語ると言う設定になっている。

 その小説の中にも僅かではあるが高倉健さんが登場している。さて、話しは49年前に遡る。1965年(昭和40年)、前年に開催された東京オリンピックも大成功に終わり、日本は高度経済成長真っ只中であった。その影響は東京のような大都市だけではなく、地方の町や村にも波及して行った。

 一般的な家庭には「テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」などが普及し、貧しかった戦後の日本の姿は人々の暮らしから消え去り、車道を走る車の台数がその豊かさを象徴する時代でもあった。テレビが娯楽として定着し、ブラウン管から「オバケのQ太郎」「スーパージェッター」「ジャングル大帝」「ザ・ガードマン」など人気番組が続々と登場した。

 当時、私の家にはテレビがなく(一時あったが父が酒代のため質屋にいれてしまった)、自分の好きな番組は近所の家のテレビで楽しんでいた。ある日、学校をずる休みし不貞腐れていると、父が「映画見に行くがとし坊も行くか?」と訊いてきた。

 その時代、一日の小遣いが10円で、映画代は子ども一人80円であり、子どもにとって映画は贅沢な娯楽だったように思う。どんな映画を見るのか聞き返す事もせず、二つ返事で父の後を着いて行った。私以外に父の舎弟分が3人、厳つい肩をなびかせ、平日の昼間に往来の激しい車道を雪駄の音が歩く度にシャリシャリと響いていた。

 私は学校の友だちに見つからないよう、小さくなって父の影に隠れながら歩いた。映画館に着くと、派手な色使いの大きな看板やポスターが飛び込んで来た。「座頭市二段斬り」「昭和残侠伝・唐獅子牡丹」の二本立てであった。

 どんな映画を見るのか期待はしていなかったが、子どもの見る映画ではなかった。2本とも「やくざ」が活躍する任侠映画…。父らしいと言えばそれまでだが、父はスクリーン狭しと暴れ回る高倉健を意識していたかどうか知らないが、髪型も風貌もどことなく健さんに似ていた。

 年を重ね白髪も目立ち始めた高倉健さんを見ると、父が生きていたらきっと健さんのような感じになっていたのかな…と健さんの姿に父の面影を重ねてしまうのである。

 健さんのように父もまたぶきような生き方しか出来なかった…。昭和の時代が産んだ偉大な星がまた一つ、父の想い出と共に消えて行った。

 さよなら、健さん、謹んでご冥福をお祈り致します。

御嶽山


 バラバラと激しい音を立てて無数の噴石が情け容赦なく降り注ぐ。極限状態に追い込まれたその中を逃げ惑う多くの登山者たち。山頂付近の山小屋に避難し身を寄せ合って噴火が収まるのをじっと待つも、立ち込める灰色の噴煙で辺は暗闇に包まれ視界は殆ど遮られた。火山灰と噴石の雨は止むことを知らず激しさを増して降り続ける…。

 携帯を取り出し家族や友人にメールを送る人々…。「お母さん、ごめんね」それは死を覚悟した最後の言葉だったのかも知れない。余りにも衝撃的な映像の連続に私は言葉を失ってしまった。

 戦後最悪の火山災害を齎した御嶽山噴火から一週間が経過した。火口からは今もなお白い噴煙が立ち上り、噴火が収まる気配は見受けられない。今回の噴火による犠牲者は現時点で51人となり、23年前に発生した雲仙普賢岳の大火砕流で犠牲となった43名を大きく上回る結果となった。

 御嶽山に入山した行方不明者が現在も十数人存在する可能性が高く、県警や自衛隊による懸命の捜索活動が続けられているものの、雨などの天候不順により中止するなど捜索は難航を余儀なくされている。

 美しい紅葉を見せる御嶽山が一瞬にしてその姿を変貌させ、登山者を恐怖の坩堝へと巻き込んで行く。澄み渡る碧天の空が突如として濛々と黒い噴煙で覆い尽くされる。吹き出した噴煙は上空8千キロまで達したと言われる。

 噴火から一夜明けた御嶽山の容貌は一変し辺り一面、灰色の火山灰に覆われそこに降った噴石の跡が噴火の激しさを物語っていた。まるでそれは月面のクレーターを想起させ、活火山の持つ破壊力と大自然の猛威をまざまざと私たちに見せ付けた。

 火山の研究者や専門家たちは口を揃えて「噴火の予知は極めて困難」と言う。特に今回のような水蒸気爆発の場合は過去に殆ど前例がない為、マグマ噴火と比べても極めて難しいようだが、噴火の前兆が全く無かったと言う訳ではない。

 過去に水蒸気噴火を頻発している「草津白根山」の例を熟知し速やかに取り入れていれば、御嶽山の警戒レベルは2に引き上げられていたかも知れない。活火山を100以上も抱える日本はいわば火山大国でもある。気象庁・火山噴火予知連が無能と言われないよう、役に立つ研究に専心して頂きたい。

 活火山が与えてくれる自然の恩恵も大きいが、自然がひと度牙を剥けば今回のような大災害に繋がると言う事を忘れてしまわぬよう、謙虚な姿勢で自然と向き合う事が必要なのかも知れない。台風18号が過ぎ去れば、捜索が再開されるだろう。

 家族や友人たちの祈りを背中に感じながら、捜索隊の長い列が御嶽山の山頂を目指して歩を進める姿が眼に浮かぶ。降り積もった火山灰と、そして火山性の有毒ガスが隊員たちを待ち構えている。今はただ一刻も早く行方不明者が見つかり、家族の元へ帰る事を祈るばかりである。

 今回の噴火で犠牲となった多くの方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

デング


 日本国内では実に約70年ぶりとなるデング熱の感染が巷を騒がせている。厚労省発表によると、現時点での感染者は115人となり、今後更に感染者は増えるものと思われる。国内感染は、東京、埼玉、新潟、千葉、大阪、山梨、青森、愛媛、高知など全国に拡大しつつある。患者の殆どは代々木公園やその周辺を訪れていた時に感染したようだ。

 既にご存知のようにデング熱は『蚊』を媒介として感染して行く。おそらく最初の感染者は国外でウイルスを持った蚊に刺され、そのまま帰国したのではないだろうか。何れにせよ、蚊が大量に発生するような場所は避け、蚊に刺されない事が唯一の予防法である。

 さて、海外に眼を向けて見るともう一つのウイルスが猛威を奮っている。西アフリカを中心として感染が拡がるエボラ出血熱であるが、感染防止のため大統領命令で「握手禁止」と言う非常事態にまで陥っている模様。

 2013年12月、ギニアから始まったエボラ出血熱の感染は留まる事を知らず、今年の4月に爆発的感染が確認される事となる。その後8月、WHO(世界保健機構)が「非常事態」を宣言。感染拡大を防ぐため、各国政府、NGOなど国連機関と連携し支援活動を行っているが、感染収束の見通しはいまだ立っていない。

 医療現場からの報告によれば、支援に当たっている医療従事者の感染も増え始めており、機能停止に陥る病院も多いと言う。一旦は治まったかに見えた流行が数週間後には再び拡大し始め、現場を逃げ出す医療従事者も続出しているらしい。

 おそらくその現場は眼に見えな敵との戦闘状態にあるのだろう。主要病院が次々と閉鎖に追い込まれ、地元の医療は尽く崩壊して行く。まさにウイルスの絨毯爆撃にでも晒されているかのように…。

 エボラ出血熱の感染者数がこのまま推移して行くとなれば、おそらく2万人を遥かに超える事態になるのは時間の問題であり、日本から遠く離れた最果ての地で起こっているウイルス騒動がデング熱に飛び火する日が来るかも知れない。

 地球温暖化によってその生息分布が大幅に拡大された小動物や昆虫などが齎す新たな恐怖、それが「熱帯ウイルス」だ。致死率50%と言われるエボラに比べればデングは遥かに安全かも知れないが、その安全と言う麻薬的な言葉に騙されてはいけない。

 自分は大丈夫と言う「驕り高ぶる」態度や言動こそが人の心を蝕む最大のウイルスかも知れない。病気に対し謙虚な姿勢で臨む事、これが最良の予防策ではないだろうか。

風船
 
母さんのいる空に
風船飛ばそう
僕の想いを一杯込めて
風がサァッとやって来て
高く高く舞い上がる
届くかな 母さんに
白い手が
天から伸びて
僕の風船 掴むかな
母さんのいる空に
僕も早く行きたいな

※9月8日は母「雪子」の命日です。福島県常磐市で自ら命を絶ちました。享年28歳。
※初掲載:2008年5月12日。

 

ネコ花火



君と見上げた 打ち上げ花火

夜空を焦がして 散る想い

浴衣の裾で 隠した涙

濡れた花緒が カタカタ揺れる

見上げた空から 零れる君が

花火とともに 消えて行く

 

今年の夏は 想い出花火

君と二人で 行くはずだった

金魚すくいと 夏祭り

綿菓子ほおばり 揺れる髪

あの日誓った 小指の先で

線香花火が 弾けて消えた

 

ヒュルル ヒュルル ヒュル ヒュルル

浴衣 恋しや 夏祭り

極彩色に 舞う君の

姿 愛しい 想い出花火


43年卒業式


ありがとう

天竜養護学校

あなたは私の母であり父である

ここで学んだ三年間

優しさと友情と希望を育み

ここで出会った人たちは

みな 私の家族である

苦しみや悲しみを乗り越えて今がある

それもみな あなたのお陰だ

もしあなたがいなければ

今の私はないかも知れない

雄大な天竜川の流れを眼下に抱き

ここから天へと昇っていった魂も

きっと故郷ははここだと思っているだろう

ありがとう 我が母校

時代の流れは過去を忘却へと連れ去るが

我が魂は今でもあなたの懐にある

 
 

※母校である天竜養護学校(現:天竜特別支援学校)から50周年記念誌を作る旨、詩を書いて頂きたいと創作依頼があり、それを快諾し書き上げた作品。

※写真は1969年度卒業式(当時私は中学1年、下から3列目に映っております)。

 

撃墜


 分離独立を巡って政府軍と親ロシア派の間で対立が激化しているウクライナ。動乱の半島、クルミアの領有問題が発端となり、深刻化する政情不安が思いもよらぬ悲劇を招いてしまった――。去る17日、耳を疑いたくなる様な、俄かに信じ難いニュースが世界を揺るがした。

 マレーシア航空のボーイング777型機が何者かのミサイルによって撃墜される…。この衝撃的なニュースは瞬く間に世界を駆け巡った。事件発生当初はエンジントラブル等による事故と思われていたが、親ロシア派の武装勢力が所有する地対空ミサイル『BUK(ブーク)』によって撃ち落とされたものとする見方が強まっており、乗員・乗客合わせて約300名が全員死亡する大惨事となった。

 マレーシア航空機が飛行していた空域は、ウクライナ政府軍と親ロシア(分離独立派)が連日激しい戦闘を行っている内戦の真っ只中であり、そこはまさに『戦場』そのものだった。同機が何ゆえそのような危険地帯を飛行ルートに選んでしまったのか疑問が残るものの、戦闘の最も激しいとされる西部地域は飛行禁止空域に指定されており、撃墜された東部に至っては比較的平穏な非戦闘地帯と認識されていたのかも知れない。

 が然し、何れにせよウクライナ全土を危険地帯とみなし、飛行ルートからウクライナを外すべきではなかったかと、航空会社の危機管理体制の甘さも露呈した形となっている。

 マレーシア航空機は今年3月にも謎の失踪事件を起こし、4ヶ月経った今もその原因は謎のまま解決に至っていない。そして今回の撃墜事件であり、同国は落胆と渦巻く悲壮感の波により航空会社存続の危機に立たされている。

 多数の民間人の犠牲者を出したこの『撃墜事件』であるが、ミサイル発射を巡ってウクライナと親ロシア派の意見は真っ向から対立しており、どちらも関与を否定し責任の擦り合いが国際社会にも飛び火し、ロシア、アメリカをも巻き込んで泥沼化する様相さえ見せようとしている。

 仮に今回の事件が民間機と分かった上での撃墜だとするならば、まさしくその行為は『テロ』であり、国際社会の正式な場で断罪されるべきであろう。

 犠牲になった多くの命を弔う為にも国際社会が一致協力して、真相究明に全力を傾けて頂きたいものである。

ワールドカップ


 約一ヶ月間に渡り熱戦を繰り広げたサッカーワールドカップ2014、そのゴールの頂点に輝いたのはドイツだった。準決勝で地元のブラジルに7対1で大勝しその勢いのまま臨んだ決勝戦。堅牢な守りで定評のあるアルゼンチンは、攻守ともに安定した試合運びで決勝へと駒を進めて来た強豪。

 両チームとも技術・総合力とも拮抗しているだけにどちらか先に1点を取った方が優勝に大きく前進するのは目に見えていた。ドイツは『クロース選手』を中心とした連携プレーでゴールを狙う。それに対しアルゼンチンも負けじとエース『メッシ選手』のドリブル突破などで攻め入った。

 然し両チームとも得点には至らず、試合は延長戦へともつれ込んだ。そして迎えた延長後半8分、スタジアムが歓喜の声で大きく揺れた瞬間だった。左サイドを突破したドイツの『シュレール選手』が左足でクロス。すかさずこのボールを胸トラップした『ゲッツェ選手』そのまま素早くボレーシュート。ボールは吸い込まれるように白いゴールへ…。

 この1点が決め手となりドイツは24年振り4回目のW杯制覇を果たした。今年で20回目を迎えたFIFAワールドカップ2014は、開催国ブラジルに32ヵ国の強豪が揃い、32日間に渡り激闘を繰り広げて来た。

 優勝に最も近いブラジルは地の利を活かし順当に勝ち上がって来たが、そこに眼前と立ちはだかったのが南米勢の優勝を拒む欧州を代表する強豪のドイツであった。誰もが予想しなかったブラジルの大敗に、サッカーの持つ魔力を垣間見る思いがした。

 今大会でアジア勢が尽く姿を消してしまったのは寂しい限りであり、世界の壁が余りにも高くそして厚いのを聴衆よりもプレーヤーたちが身を持って感じていた事だろう。日本代表は初戦のコートジボワールに逆転負けした事が後の試合にも尾を引いた形となり、実力の半分も出さないままブラジルに別れを告げた。

 日本にとって多くの課題を残した大会であったが、日本の選手が他国の選手と比べて劣っている訳ではない。海外の一流チームで活躍する『海外組み』を中心にした万全のメンバーで臨んだ筈である。然し、個人のプレーがどれほど優秀であってもそれだけで優勝出来るものではない。

 随分昔の話しであるがプロ野球の巨人が『9人全員4番打者』と言う時期があり、優勝は間違いないと思われていたものの、最下位を味わう結果となっている。野球やサッカーのように複数の選手で行われる試合は、チームプレイの優れた集団が何よりも勝っているのである。

 『自分の持つ技術力・才能は他者の為にある…。』私がスポーツを通じて学んだこの言葉で今日の記事を締めくくりたいと思う。

七夕


 七夕の時期を迎えると私はどうしても忘れられない記憶が蘇ってくる。それは『七夕豪雨』と呼ばれ、1974年(昭和49年)7月7日に静岡市付近を襲った集中豪雨の事である。この集中豪雨の24時間連続総雨量は508ミリを記録し、静岡に於ける気象台観測史上最高記録となった。

 当時の私は18歳で、心臓弁膜症の手術をまだ受けておらず、静岡市沓谷にある『中央工芸静岡支社』で看板の制作やデパート等の内装・装飾の仕事に就いていた。日中はペンキだらけになりながら様々な内容の仕事に追われ、夕方になると呉服町の『ふしみや』8階にある『日本デザイナー学院』の夜間部に通い、グラフィックデザインの勉強に明け暮れていた。

 その日は仕事が終わった後、来週提出する課題『鉛筆デッサン(コカ・コーラの瓶)』に取り組んでおり、誰も居なくなった事務所で時間の経過も忘れて無心に鉛筆を走らせていた。

 中々思うように仕上がらないデッサンに少し嫌気が差し始めていた。事務所のガラス窓には叩きつけるような激しい雨音が乱反射を繰り返していた。時計に眼をやると午後11時を少し回っていたので、続きは明日にしようと思い、大きなシャッターをガラガラと開けアパートに帰ろうとしたが、余りにも激しい大粒の雨が真っ黒な空から降り注ぎ、コンクリートを容赦なく打ち付け、跳ね上がった水滴が白煙のようになって辺り一面を覆い視界もまともに見通せなかった。

「傘があってもこの雨じゃずぶ濡れになる…」そう思って帰るのを止めて事務所に泊まる事にした。来客用の少し長いソファに横になると、仕事とデッサンの疲れが一気に押し寄せものの数分もしない内に深い眠りの中に陥った。

 どのくらい時間が経っただろうか?耳元に「ピタピタ」と何か水の揺れる音で眼が覚めた。ところが、付けっ放しだった部屋の照明が全て消えており、辺は真っ暗闇であった。何かただ事ではない危険な気配を感じ取り、手をソファの下に持って行くと冷たい水に触れた。

「うわぁ!やばい…」と慌てて2階の小部屋に急いで駆け上がりそのまま朝が来るのを待った。昼夜降り続いた雨も漸く上がり、東の空が白々と明るくなって来た頃に1階の作業場を見ると、水水水…。あらゆる物がプカプカと浮かび上がり其処ら中が水浸しとなっていた。

 外がどうなっているのか気になり、1階に降りて衣服のまま雨水の中を歩きシャッターを開けた。どんより曇った空には早朝の静けさを掻き消すように、ヘリコプターがバタバタと轟音を響かせ舞っており、眼の前に拡がる光景は一瞬にして湖面へと姿を変えていた。

 兎に角、アパートに帰らなくてはと思い、ゆっくりと雨水の中に歩を進めて行った。最も深い部分は水が腰辺りまで来ており、この先無事にアパートに辿り着くのか心配になった。会社からアパートまでは徒歩5分もあれば十分であったが、広い道路を見て言葉を失った。

 道路上を走っているのは車ではなく、モーターボートだったからである。アパートは2階だった為、被害に会う事はなかったのが救いであった。

 この前代未聞の集中豪雨で、死者27名、全壊・流出家屋32戸、床上浸水11,981戸、床下浸水14,143戸と大規模災害となった。

 人気アニメ『ちびまる子ちゃん』の中で『まるちゃんの町は大洪水』と題して紹介されており、作者のさくらももこさん自身がこの豪雨を体験している。

 地球温暖化が叫ばれるようになって久しいが、年々その影響は加速しており、人間の環境破壊は留まる事を知らない。自然と共存してこそ人類の反映は築かれているのであるが、私利私欲に走る人間が余りにも多すぎる。

 人類がこの先も地球と仲良くやって行きたいのであれば、愚かな戦争や競争を止めて内なる自然の声に耳を傾けるべきである。その優れた知恵と勇気を明るい未来の為に使おうではないか。

 

ドラッグ


 巷に溢れ返る脱法ハーブは、いとも簡単に子どもでさえ手に出来そうなほど身近な存在となっており、この合法ドラッグを巡って年々事件・事故が多発している。

 これについて法の整備が追い付かず、対応は終始後手後手で終わり、早急な法整備による取締りが急務となっている状況である。

 先日24日に池袋の繁華街で起きた「暴走車事件」では、歩行者7人が車に跳ねられ重軽傷を負い、中国人女性の林雪琴さん(30)が死亡すると言う痛ましい結果となった。

 逮捕された名倉佳司容疑者は、運転直前に脱法ハーブを吸っていた事が明らかになっており、逮捕時、運転席で眼は虚ろ、意識は朦朧とし中途半端に開いた口からはヨダレがだらしなく垂れ、自力で車の外に出る事が出来ず、署員に引っ張り出されると言う状態であった。

 名倉容疑者が吸っていたと思われる脱法ハーブは、最近になって流通し始めた幻覚作用の強い最新型である可能性が高い事から、警視庁は入手経路やハーブの分析を急いでいるようだ。

 脱法ハーブは2004年頃より、欧州を中心として「Spice」と言う名称の乾燥した植物片を芳香剤やお香として販売し、喫煙する事により大麻と同様の作用が現れると言う噂が広まり人気を得るに至った経緯がある。然し、調査の結果「Spice」から大麻成分は検出されず、含有成分を特定する事が出来ず不明のままであった。

 その数年後の再調査で「Spice」から大麻と類似する作用を示す「合成カンナビノイド」が検出され、この時点で初めて人工的に合成された薬物が添加されている事が明らかになった。

 巷に出回っている脱法ハーブの殆どは、お香や芳香剤などと偽った目的で販売されており、指定薬物として薬事監視員による監視及び指導が行われているが、単純所持や使用の場合は規制外とされ、購入者の規制は事実上無しである為、罰せられない事から「合法ハーブ」として乱用を助長している側面もある。

 それにしても、このような実に危うい薬物を使用して車のハンドルを握ると言う行為は、脱法ハーブ以前の問題であり、「車は凶器」であると言う認識がドライバーに浸透しておらず、車社会を生きている私たちの最も身近なリスクの一つでもある。

 私も車の免許は持っているものの、精神科の主治医から「車の運転は出来れば止めておいた方がよい」とアドバイスを頂いた事もあり、メンタル系の薬を服用するようになってからは運転から遠ざかっている。

 メンタル系の薬に限らずどんな薬にも副作用は付き物であるし、特に眠気を催す薬は要注意である。時代とともに複雑化する人間関係や、情報化社会の波に呑み込まれて自分自身を見失い、路頭に迷う疲れた人々の心に降って沸いたような悪魔の囁きが語りかけて来る…。

「極上のひとときを貴方に、未体験ゾーンが貴方を待っている」あなたはこの誘惑に打ち勝つ事が出来ますか?