七夕の時期を迎えると私はどうしても忘れられない記憶が蘇ってくる。それは『七夕豪雨』と呼ばれ、1974年(昭和49年)7月7日に静岡市付近を襲った集中豪雨の事である。この集中豪雨の24時間連続総雨量は508ミリを記録し、静岡に於ける気象台観測史上最高記録となった。
当時の私は18歳で、心臓弁膜症の手術をまだ受けておらず、静岡市沓谷にある『中央工芸静岡支社』で看板の制作やデパート等の内装・装飾の仕事に就いていた。日中はペンキだらけになりながら様々な内容の仕事に追われ、夕方になると呉服町の『ふしみや』8階にある『日本デザイナー学院』の夜間部に通い、グラフィックデザインの勉強に明け暮れていた。
その日は仕事が終わった後、来週提出する課題『鉛筆デッサン(コカ・コーラの瓶)』に取り組んでおり、誰も居なくなった事務所で時間の経過も忘れて無心に鉛筆を走らせていた。
中々思うように仕上がらないデッサンに少し嫌気が差し始めていた。事務所のガラス窓には叩きつけるような激しい雨音が乱反射を繰り返していた。時計に眼をやると午後11時を少し回っていたので、続きは明日にしようと思い、大きなシャッターをガラガラと開けアパートに帰ろうとしたが、余りにも激しい大粒の雨が真っ黒な空から降り注ぎ、コンクリートを容赦なく打ち付け、跳ね上がった水滴が白煙のようになって辺り一面を覆い視界もまともに見通せなかった。
「傘があってもこの雨じゃずぶ濡れになる…」そう思って帰るのを止めて事務所に泊まる事にした。来客用の少し長いソファに横になると、仕事とデッサンの疲れが一気に押し寄せものの数分もしない内に深い眠りの中に陥った。
どのくらい時間が経っただろうか?耳元に「ピタピタ」と何か水の揺れる音で眼が覚めた。ところが、付けっ放しだった部屋の照明が全て消えており、辺は真っ暗闇であった。何かただ事ではない危険な気配を感じ取り、手をソファの下に持って行くと冷たい水に触れた。
「うわぁ!やばい…」と慌てて2階の小部屋に急いで駆け上がりそのまま朝が来るのを待った。昼夜降り続いた雨も漸く上がり、東の空が白々と明るくなって来た頃に1階の作業場を見ると、水水水…。あらゆる物がプカプカと浮かび上がり其処ら中が水浸しとなっていた。
外がどうなっているのか気になり、1階に降りて衣服のまま雨水の中を歩きシャッターを開けた。どんより曇った空には早朝の静けさを掻き消すように、ヘリコプターがバタバタと轟音を響かせ舞っており、眼の前に拡がる光景は一瞬にして湖面へと姿を変えていた。
兎に角、アパートに帰らなくてはと思い、ゆっくりと雨水の中に歩を進めて行った。最も深い部分は水が腰辺りまで来ており、この先無事にアパートに辿り着くのか心配になった。会社からアパートまでは徒歩5分もあれば十分であったが、広い道路を見て言葉を失った。
道路上を走っているのは車ではなく、モーターボートだったからである。アパートは2階だった為、被害に会う事はなかったのが救いであった。
この前代未聞の集中豪雨で、死者27名、全壊・流出家屋32戸、床上浸水11,981戸、床下浸水14,143戸と大規模災害となった。
人気アニメ『ちびまる子ちゃん』の中で『まるちゃんの町は大洪水』と題して紹介されており、作者のさくらももこさん自身がこの豪雨を体験している。
地球温暖化が叫ばれるようになって久しいが、年々その影響は加速しており、人間の環境破壊は留まる事を知らない。自然と共存してこそ人類の反映は築かれているのであるが、私利私欲に走る人間が余りにも多すぎる。
人類がこの先も地球と仲良くやって行きたいのであれば、愚かな戦争や競争を止めて内なる自然の声に耳を傾けるべきである。その優れた知恵と勇気を明るい未来の為に使おうではないか。
