プールサイドの人魚姫 -118ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

天養1970年14歳だった頃、中2のクラス全員と天竜養護学校の白い校舎の前で撮影した写真。モノクロなので分からないが、重度の心臓病だった私は常に貧血状態で蒼白い顔をしていた。授業に出る朝は決まって隣接する病棟の処置室で太い注射器に入った造血剤を打っていた。その割には結構元気で、悪戯をして教師に怒られ、職員室に立たされたこともあった。昨年の30年ぶりに開いた同窓会の時に下級生から「養護学校で神戸さんが一番恐かった」と笑いながら言われてしまった。確かにかなり苛めた記憶があるが、誰一人当時の事を恨んでいる人はいなかった。養護学校は様々な病気を抱えた子どもたちの集団生活の場でもある。病気を除けば普通の学校と何ら変わらない。なのに大人達は特別扱いをする。特殊学級の延長に養護学校があるからだ。子ども或いは保護者の中には養護学校にいた事を忌み嫌う人がいまだに多く存在する。とても悲しく寂しいと思う。確かに私も社会に出てから養護学校にいた事を必死に隠し続けていた時期があった。就職する時など履歴書に書く勇気がなかった。心臓病で障害者である事さえも隠した。分かってしまったら採用して貰えないだろうと自分で思い込んでいたのかも知れない。だが、そんな風潮が社会に蔓延っていたのも事実である。採用する側にとってみれば健常者を最優先するだろう。私は健常者を装い100時間近い残業もやった。内部障害なので見た目は健康な人と同じだが、やはり健康な心臓を持った人には適わない。腕や足があり、耳が聞こえ目が見える事、当たり前なようである事がどれだけ大切かを知るには障害者になって初めて理解するのかも知れない。
ビリヤードビリヤードの歴史は非常に古く、紀元前400年(ギリシャ)が発祥の地と思われている。最初は屋外で円錐型のものへ丸い石を棒で突き当てて楽しんでいた。私とビリヤードの出会いは1980年、26歳の時だった。当時横浜に住んでいた私は、会社の先輩に誘われて、伊勢崎町の繁華街から少し外れたどぶ臭い運河の横にへばり付くように佇んでいるうらぶれたビリヤード場に入った。平日の日中という事もあり客は誰もおらず、ガランとした冷たい冬の空気を溜め込んだ空間に3台のビリヤード台があった。私は初めての経験でもあり、ルールなど知らない。先輩から教わったのは先ずローテーションというゲーム。そして4つ玉。玉の突き方等を丁寧に教えてもらいながらも取り合えずゲームの形にはなった。管理人と私たち2人しかいない室内でカキーンと玉と玉がぶつかり合う音だけが室内を乱反射していた。26歳の青春はビリヤード場に置き忘れてしまったが赤と白の丸い玉を見る度に横浜の景色が今でも浮かび上がって来る。
椎名林檎私は椎名林檎の事をあまり詳しく知らない。だったら記事にするなと言われそうだが、一応ブログライターである以上どんな事でも記事にする意地がある。音楽好きの私が全く知らない訳ではない。初めて彼女と出会ったのは10年以上も前だった気がする。コスプレ(ナース服)の格好で踊りながら歌う彼女の姿が腐りかけた記憶から消えない。それ程強烈な個性を持ったロック女性シンガーだと言える。東京事変についてもあまり知らない。今の若者が「楊貴妃」という伝説のロックバンドを知らないのと同じかもしれない。前回の記事「宇多田ヒカル編」でも書いたが、女性は男性と違い、凄まじく変化する。これは化粧という武器がある程度影響していると思うが、現代は男性も化粧をする時代だ。化粧をして綺麗になるのは結構だが、心の化粧も忘れないで欲しい。化粧は心の身だしなみとでも言えるかな。
ブルースリー1973年12月に公開されたカンフー映画の口火を切った、アクション映画の最高峰「燃えよドラゴン」その主人公ブルース・リーの人気はいまだに衰えを知らない。お笑い芸人のワッキーなど、様々なジャンルのタレントが真似をしている。おそらくブルース・リーを超える空手アクションスターは存在しないであろう。彼は武術家であり、哲学者でもある。私は34年前、17歳の時だったが静岡の田舎映画館でも正月映画の目玉として封切られていて友達と一緒に七間町にある映画館に足を運んだ。ところが物凄い人の波。長蛇の列が数百メートルにも及んでいた。映画の人気ぶりがもう映画館の外にまで溢れ返っているのである。数時間待たされ、漸く800円を払い館内に入ったが当時は入れ替え制などという洒落たものはなかったので一番後ろで立ち見状態。それでも暗い館内とスクリーンに映し出されたブルース・リーの見事な肉体美、そしてアチョーの怪鳥音。ところ狭しと蹴り、殴りまくる彼の姿に魅了された。映画館を出た時には誰もがブルース・リーに変身していた。私は早速自分でヌンチャクを作り練習に励んだ。自分の頭に瘤を幾つも作り、身体は痣だらけになった。ありがとうブルース・リー、青春の1ページに刻み込まれた貴方は私の永遠のヒーローである。
サラ金大手消費者金融のアイフルが悪質な取立てを行ったとして、金融庁から業務停止命令を受けた。どんな内容の取立てなのか分からないが期日までに支払うべき金額を理由はともかく払わない借りた人間の方が悪い。借りたものは返す、それが金であれ物であれ当然のこと。返すあてが無いのなら最初から借りなければ良い。だが、人間は非常に弱い。金額はともかく金を借りた事のある人は大勢いるだろう。子どもの頃友達から100円借りたとしても立派な借金であるし、家を購入する為には銀行や住宅金融公庫から金を借りる。私も住宅ローンを払っているから、大きな借金を背負っている身。金に困って仕方なく手を出すサラ金はレジャー等に使う分には簡単に貸してくれるが困っている人には貸さない。恐いのは闇金融、彼らは困っている人をカモにしているからだ。何処からも金の工面がつかずつい手を出すと、その先に待っているのは最も悪質な取立て地獄。別の高利貸しを紹介され、また借金を重ねて行く。もう泥沼で抜け出すことも出来ず夜逃げするしか道はなくなる。だが彼は取立てのプロだから一ヶ月もすれば発見されてしまう。そして最後に待っているのは生命保険。無理矢理加入させられて自殺を装い殺されてしまうのだ。このような借金地獄から抜け出す方法の一つとして自己破産があるが、この手続きにしても50万という金が必要(20年前のデータなので現在は分からない)。500万程度の借金で自己破産するのはリスクが大きすぎるので真面目にコツコツ食費を削ってでも返して行く方がいいだろう。
スケボー1974年の夏、当時私は18歳だった。デザイン学校で知り合った友人二人と夜、学校の帰りにふと立ち寄ったスポーツ用品店で見慣れぬ物を発見したのである。特に何かを買うわけでもなく貧乏でお金もなかったし、冷やかし半分と暇つぶしだった。その長細い物体は白い壁の高い所に立てかけてあり、非常に目立つ存在だった。好奇心溢れる10代の事だからそれが気になって仕方ない。店員にそれとなく尋ねてみる。「ねえ、あの壁にある黒いの何ですか?」「ああ、あれねサーフボードだよ」初めて耳にする言葉だった。「アメリカの若者の間で流行している乗り物さ」面白そうな物を見つけつい欲しくなり金額を聞いた。記憶は定かではないが12,800円ほどだったと思う。だが当時のその額はかなり大きい。借りているアパートの家賃がその位だからだ。そして二人で半分ずつ出し合って購入する事を決めたのである。これが私とスケートボードの最初の出会いだった。もちろんその頃何処を見てもスケートボードを乗り回している若者などいなかった。深夜誰もいなくなった公園の空き地やガソリンスタンドのコンクリート舗装を見つけては練習に励んだ。コーラのビンを1mほどの間隔に数本並べて置き、その間をS字に通り抜ける練習など、体重を移動させての方向転換。スケボーは今でこそ若者の一つのアイテムになりいずれスノーボードのようにオリンピック競技になるのも近いと思われるほどメジャーな競技になっている。青春の夢を乗せてスケボーに乗り颯爽とキックする若者達を見る度に10代だった自分が蘇えってくる。
拉致北朝鮮の麻薬や偽造紙幣はともかく、我が国にとって最も深刻な問題が拉致被害である。余りにもスロー過ぎる国の対応を見ていると本気でさらわれた国民を取り戻す気があるのかと怒りさえ覚えてしまう。が、それなりの事はやっているようで多少の動きが見えてきたのも事実。横田めぐみさんの夫が韓国人だったことなど新たな事実が浮かび上がってきてはいるが、解決の糸口にはほど遠い気がしてならない。北朝鮮は謂わば勝手に連れ去った誘拐犯なのだから、国際指名手配してさっさと逮捕。娘さんを日本に戻すことがそれほど難しいことなのだろうかと首を捻ってしまう。機密情報を握ってしまっただとかそんな役立たずの情報など今更要らない。国がだめなら民間からスパイを雇って007ならぬ救出劇でもやったらどうだ。
レッサーパンダ昨年、二足歩行のレッサーパンダがいるという事で、子どもから大人まで注目の的になったニュースは記憶に新しい。動物がテーマとなる話題は沢山あるが人の心を和ませてくれるニュースは嬉しいし、手放しで喜んでしまう。それだけ人は動物が好きな生き物なのである。何かしらの生き物、例えそれが植物だとしても、育てるという行為は自分の子どもを育てる事と同じであると思う。みな生命を宿してこの地球上に存在している訳だから、命の区別などつけようがない。精一杯の惜しみない愛情を注ぎ、完璧なまでに育てあげることが出来ればそれは必ず大きな愛の形として返ってくるだろう。動物や植物は裏切るような事はしない。大切にする心、愛のピンポンを繰り返し育て出来る限り継続して行くことが大切なんだと思う。そう言えばアザラシのタマちゃんは何処へ行った?狭い川から本来の棲みかに無事に戻っていれば良いのだが。
真央ちゃん4月は入学式や入社式などのシーズン。それぞれが新しい季節を向かえ、人によっては大きな海へと旅立つ事だろう。浅田真央15歳、愛知・中京大中京高校に入学。高校生となって新たな環境でフィギュアスケートをスタートさせる事になる。年齢的にも多感な年頃。長年培ってきたスケートの年輪にも時には大きく蛇行して思い通りに滑ることが出来ない時が来るかもしれない。誰にでもあるスランプ。若さゆえの失敗もつきまとうだろう。だが、若さこそが武器でもある。忘れてはならない自分の若さ、未知の秘めたるエネルギー。有り余る若さを持ちながらそれを活かせず生きている若者達が多く見受けられる。溢れる情報化社会の中で戸惑う子羊たちの群れ。見つからない自分流の答え。氷の上を華麗な円を描くようには行かない、それが青春なのかも知れないが。
携帯電話「我携帯に屈する」の記事アップから半年も経たない内に携帯電話を解約した。殆ど外出しない私に果たして携帯電話が必要だったのか?何故購入したのだろう?今思うとおそらく何かに憑つかれていたのかも知れない。待ちうけ画面には時々得たいの知れない画像が浮かび上がるし、着信ありは恐いしでとんでもない呪われた携帯電話だった。家の中で携帯使っても意味がない。携帯の通話料は高すぎる。色んなサービスが受けられるが最初パケットと言う言葉の意味すら知らなかった。友人から「パケ代がかかるよー」なんて聞いた時パケ?なんだそれ・・・。2週間おきに行くメンタルヘルスと2ヶ月に一度行く循環器外来が外出らしきもの。それ以外はずっと家の中にいるというのに携帯からメールするならパソコンで事足りる。パソコンが携帯電話のサイズになったら必要かも知れない。携帯パソコン、ノートパソコンはポケットに入らない。それとも折りたたみのパソコンが出来たら嬉しいね。防水加工で水の中でも使える優れもの。携帯電話もその内プールの中で使えるようになるだろう。