プールサイドの人魚姫 -116ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

東京駅で東海道線に乗り換える為切符を購入。身体障害者なので半額で済んだ。行き先は浜松。昨年の同窓会以来1年ぶりだ。ホームに入る前、お土産の「ひよこ」それから昼食用のサンドイッチと飲み物を用意。東京から浜松まで乗り換えなしでは行けないから熱海か静岡で一旦下車。買った切符は熱海行。静岡生まれなので幼い頃から東海道線に慣れ親しんだ。昔は車内が木製で窓も開けることが出来た。天気の良い日には窓を少し開け、風を身体一杯に浴び流れる景色と心一つにして静岡と浜松間の短い旅を楽しんだもの。時代が変われば電車も変わり、今はもう窓は開かない。僕の心の窓まで閉じ込めて電車は今日も走って行く。
浜松
これから静岡の浜松まで行って来ます。学校から招待状が届いており、明日11日が式典で、朝早いので今日出発して友人宅に泊ります。帰りは明日遅くなるので、記事アップお休みします。
3年前の8月、まだ私が元気だった頃。夏休みを利用して家内の実家である柏崎に車で向かっていた。関越自動車道を軽快に黒のマツダプレマシーが日本海の潮の香りを浴びるために走っていた。ハンドルを握る手は少し汗ばんで緊張気味だった。それが最後のドライブだった。ハンドルを握れなくなったいきさつは皆さんに話して着た通り。精神安定剤をたらふく飲んで運転してはいけませんよね。お巡りさんに呼び止められたら逮捕です。そしてその3年間お付き合いしてくれたマイカーを別け合って手放しました。マンションの駐車場に取り残された車の陰影が消えません。孤独なパーキング。一ヶ月もすれば別な人の車が入ります。さようならプレマシー、我が愛車よ。私の分までこれからも何処かで走り続けていて欲しい。
マイカー
カツラ耐震偽装のプロ集団が逮捕されてからある程度時間が経った。取調べ室ではおのおの、自分の正当性や非をあっさり認める供述が始まっていると思う。取調べ室がどんな所か経験のある私にはよく分かる。おっと誤解しないで欲しい。私はあくまでも参考人でしたから犯罪者ではありません。逮捕された8人全員の供述が一致するとは到底思えず、まず防御に徹することで一杯だろう。出来るだけ不利になるような事は喋らない。調べる側も国家に不利な発言があったとすればもみ消すだろうし、取調べが正義の元に必ず行われていると思ってはいけない。耐震偽装の解決は遙か彼方の雲の上。
猫パンチと言えば俳優「ミッキー・ローク」だが、あの試合はショーなのでボクシングと言えるかどうかは別として、亀田兄弟の試合はまさにボクシングの醍醐味を存分に発揮させる内容だった事は間違いない。彼らの強さは日々の鍛錬と世界チャンピオンに必ずなると言う強い信念から成り立っているのだと思う。スポーツの中で、特に格闘技は現役生活の短いもの。パンチの強さとスピードを兼ね備えた亀田家の坊や達が本当の意味でその真価が問われるのは世界チャンピオンになった後のことであろう。追う者と追われる者の違いがそこにある。捨てるものがない挑戦者達は負けて元々と捨て身で挑んでくる。世界は広い、上を見れば限がなく頂点に立ったからと言って油断をすれば寝首をかかれる結果となる。それが勝負の世界だ。ベルトを守るのではなく、如何に世界チャンピオンとしてその名に相応しいボクシングをするかだろう。ベルトを奪われるのを恐がって守勢にばかり回っていれば、自分のボクシングスタイルを忘れてしまう事になる。負けることも大事でありそこから学ぶべきことも豊富にある。勝つだけでは真のチャンピオンにはなれな事を彼等はこれから学んで行くだろう。猫パンチ
自宅マンションの裏側に、大きなグラウンドがある。休日ともなれば少年野球チームの対抗試合や練習が盛んに繰り広げられる。監督やコーチの大きな声とそれを見守る親たちの声援が空の彼方に響いていた。野球は子ども達にとってもっとも人気のあるスポーツ。将来の夢はプロ野球選手という子ども達の夢は大きい。それはともかくとして現代の子どもたちに最も必要なものは体力と精神力。どんなスポーツでも良いから健康な身体を持っているのであれば、出来るだけ子どもにスポーツをやらせてみて欲しい。スポーツをしているかいないかで子どもに大きな差が出てくることは間違いないだろう。礼儀作法、忍耐力、思いやりなど今の時代に最も欠けている要素だ。これらがスポーツを通して培われて行く。私のように健康とは無縁であっても頭の中でスポーツをすることだって出来るのだ。身体を動かす事だけがスポーツではない。病気を抱えていたらそれを乗り越える為に本を読んだり、絵を描いたりする事。これは頭のトレーニングとなる。子どもたちよ未来の為に頑張ろう。
青木さやかをTVで最初に見た番組は、確か「笑う犬の情熱」だったと思う。このお笑い番組はタイトルがよく変わるので、スタート時が何だったか覚えていない。ウッチャンナンチャンが中心でコントを繰り広げるのだが、結構受けた。ベッキーもこの番組で初めて知ったが、今でも彼女のファンである。ある時いつもの番組メンバーに初めて見る顔が現れた。番組のADなのかな?とさえ思ったが、妙に気になった。殆ど台詞もなくコントの中に溶け込んでいる。そして数回見て行く内に、その存在感が見る見る大きくなって行った。そして今や誰でもが知る毒舌お笑いタレントになった。私たちが知るお笑い芸人はほんの一握りの数であろう。お笑いだけに限らず世には出ているものの知られていない歌手や小説家は数多くいる。「何故俺は売れないのだろう」と疑問を投げてみると「お前には華がない」と大体決まった返事が帰って来る。確かに売れている人達には人を惹き付ける魅力がある。だが、その影で人一倍の努力をし、悔し涙を飲んで来たことか。いきなり売れるタレントなどいないが、売れる要素がありながらそれに気付かないまま華を咲かせず散ってしまう人も多い。自分を育ててくれるスタッフがあり、チャンスがありそして己の努力が実った時それは大輪の花となるのだ。青木さやか
365日連休の私にゴールデンウイークはありません。友人が明日静岡から訪ねて来ると言うので、1年間放置したままの自分の部屋を大掃除。それでいつものような記事は書けませんので、動画で楽しんで下さいね。そうだ、この際頭の中も掃除しよう。レレレ
私が最初に笑点を見た時の司会者はてんぷくトリオのメンバーだった三波伸介だった。笑点の歴史は古く1965年3月に「金曜寄席」としてスタートした。タイトルは三浦綾子の小説「氷点」のパロディとして付けられた。あれから40年以上もこの落語番組は笑顔を視聴者に送り続けて来た訳である。漫才ブームや今流行のエンタの神様、笑いの金メダルなどは、この笑点が原点ではないかと思う。スタジオ収録と違い生放送というやり直しのきかないお笑い番組。舞台の緊張感が笑いの中に伝わってくるようにも感じられる。長い期間続いていれば司会者や出演者も当然変わる。座布団係りは松崎真から山田隆夫へ、そして4代目司会者だった三遊亭円楽師匠がついにその座を桂歌丸師匠に引き継いだ。3代目だった三波伸介が天国できっと「びっくりしたなぁ、もう」と笑いながらエールを送っている事だろう。笑点
アビディ、1歳の誕生日おめでとう。一年間大きな病気もせず無事に育ってくれたね。我が家に来た時からやんちゃ振りを発揮して、先輩ポッポとは大違いでした。最初は♂なのか♀なのか分からず、もし♀だったらポッポとお見合いさせようと思っていましたよ。1歳だから人間で言うと10歳。遊び盛りだね。ポッポは高所恐怖症で高い所が苦手な変わった鳥だけど、たらこ(猫)に立ち向かう君も相当変わっている。恐いもの知らずで勇敢だけどお願いだから僕の耳たぶを思い切り噛むのだけは止めて欲しい。文鳥のベルジやオカメインコのクックの分まで元気で長生きして欲しい。
誕生日アビディ