プールサイドの人魚姫 -115ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

同窓会記事どんよりとした梅雨の走りを思わせる雲が浜松の空を覆っていた。駅から数分の所にあるそれ程大きくない「ホテル・サゴーイン」に同窓会実行委員のメンバー8人が開場1時間前に集合。私はその日、朝早く新幹線で浜松に向かい彼等と合流。同窓会の最終打ち合わせでは笑顔の中ににも緊張が走っていた。参加予想人数は80名、だが実際に蓋を開けて見なければどれだけの人が出席してくれるか分からない。一般の学校と違い、養護学校という謂わば社会から見れば囲いの中に閉じ込められた特殊学級だから、そのような環境で教育を受けた自分を知られたくないと思っている仲間たちも大勢いた。それは同窓会名簿を作り始めた2004年10が頃から承知していた。一人で始めた名簿作りも徐々に協力者が現れ、住所が分からない時は現地まで足を運び探し回ってくれた先輩や後輩たち。それらの努力を無駄にはしたくない。なんとしても成功させたいと願っていた。当時私は職場復帰を果たしたばかりであったが、時期が悪かったのかまともに出勤出来ず苦労しており、体調も良くなかった。そんな私の顔色を察知した仲間たちから励ましの声が不安げな細い背中を後押ししてくれていた。開場2時、ポツポツと懐かしい顔が受付にやって来る。一目で分かる人もいれば思い出すのに数分かかる人、全く思い出せない人それぞれだ。30年も経っているのだから当たり前である。同窓会は予想を遙かに超える人数でホテルは歓喜の声で溢れかえっていた。おめでとう同窓会、大成功の影で若くして天に昇っていた魂も一緒に祝ってくれていた。画像をクリックすれば新聞の記事が読み取れます。
夏場所大相撲夏場所は新大関の白鵬が初優勝を飾って幕を閉じた。朝青龍や栃東といった優勝候補が早くから休場というアクシデントの今場所、力士達にとっては優勝を手にする絶好のチャンスだった。ベテラン大関の千代大海、魁皇にとってもここは意地の見せ所。両者とも優勝から遠ざかっているだけに、最も優勝に近い場所は無い筈。にも関わらず結局またも日本人力士の優勝はならず、相変わらず外国人勢が土俵を沸かす結果となった。運も実力の内と言うが、自分の相撲が取れない力士達は結局弱いという事なのだろう。金髪ちょんまげが似合う力士が増えて来ると国技は国際相撲に早変わり。咲き乱れるは片言日本語の笑顔なり。
ギャルサー
土曜日、夜9時は日テレのギャルサー。「食いタン」が終了しその後登場した人気TVドラマ。私はこの番組が大好きで毎週欠かさず子ども達と一緒に見ている。藤木直人の主題歌もパラパラダンスに相まって心が元気になってくる。主人公がカウボーイと言うのは映画「クロコダイルダンディ」をパクッたと思われるがそれは別に構わない。毎回変わるストーリーは非常に単純明快でありながら、しっかりとしたメッセージが込められており、素直に受け入れられるTVドラマである。昔で言うならば「お上さん時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などだろう。その昔「竹の子族」と言うのが流行り、休みの日になると原宿辺りの路上で派手な衣装を着飾った少女達が好きな音楽に合わせて踊っていた。ギャルサーもこの延長にある気がしてならない。子どもから大人までが良く使う最近の言葉として「ウザイ」がある。これは「うざったい」が短縮して出来たものだろう。本来の意味は「鬱陶しい」だが、日本語とは時代と共に大きく変化し、これほど柔軟な言葉は世界中に日本だけであろう。美しい日本語を活かしつつ新しい言葉文化を生み出す若者達の捉われない心に大人も見習う所があるかも知れない。ドラマでは、インディアンの言葉が随所に登場するが、もしこの番組を見てインディアンに興味を持ったとするならば、ぜひお薦めの一冊がある「リトル・ト・リー」確かチェロキーインディアンの物語だったと思う。この本は一家に一冊置いて置きたい名作なのだが、ある曰く付きでもある。
いないいないばあ子どもを脅す事は出来ても守ってあげられない大人達が増えている。先日起こった秋田の小1児童殺害、その子と仲良しだった少女も事故から一転して事件の可能性が指摘されている。警察は国民の安全を守る為に日々努力を怠ってはならないのだが、事故なのか事件なのかさえ判断のつかない捜査体制に憤りを感じる。捜査の詰め、簡単に結果を出しすぎる。不審なところが一つでもあれば徹底的に捜査すべきである。あらゆる角度から事件を洗い出し住民の納得がいくまで24時間体制で犯人を捕まえなくてはならない。このような子どもが犠牲になる事件は後を絶たないが、東京のような都心ではあまり聞かれない。やはり地方のあまり人が多くない地域で事件は多く発生している。人口密度の高い都会では何処かで誰かが目撃する可能性が高い分子どもが襲われる最も痛ましい犯罪は少ないのだろう。女性や子どもといった弱き者に向けられる悪魔の牙は今日も何処かで息を潜めて次の獲物を狙っているかもしれない。子どもを守ってあげられるのは大人しかいない。だが、その大人同士のコミュニケーションが上手く取れていない。他人の子どもも自分の子どもと同じだと思って接してあげるべきである。
猫と携帯見栄を張って携帯電話を購入したのが昨年10月だったが、自分に携帯は不要と判断し数ヶ月もしない内に解約した。現代は携帯電話とパソコンは必需品になりつつある。街に出て見ると、携帯電話を持ち歩く人の群れ。特に電車の中では携帯画面を見詰める人の多いこと。連絡を取るには非常に便利で仕事に限らずプライベートでも手放せない代物である事は間違いなさそうなのだが・・・。私は携帯を購入した途端に子どもが新しい玩具を手に入れた時のように瞳を輝かし夢中になった。メールや電話をパケ代も気にせず(知らない)掛けたり、送ったりして遊んでいた。これは玩具ではない筈。緊急時のみに使う筈が家の中でさえ携帯を使う始末。この時期、私は詩や小説などの作品をあまり書けずにいた。こんな小さな機械に心が捉われて周りの移り行く心象風景を見逃していたのだ。携帯の小さな画面に心の風景は映らない。そして携帯を捨て去った時久し振りに何ともいえぬ解放感を味わうことが出来た。物に捉われてばかりいると大事なものを見失うことがあるので自分に合った使い方をすれば文明の利器は貴方の強い味方になるであろう。
ドラキュラ街に出てみると時々見かける献血車両。その姿を見ていつも虚しさを覚えうなだれてしまう。私は人に血をあげられない身体。死ぬまで薬に浸かっていなければならず、人の世話に頼ってばかりいて役に立たない自分に腹が立つ。もちろん血を分けることが出来ない人は私以外にも大勢いるだろう。身長制限や年齢などもあるからだ。その昔、父の友人が酒代欲しさに自分の血を売っていた。今はそれに変わって臓器売買が様々な国で行われている。貧しさは酷く人の心を荒野の果てに追いやってしまう時がある。世の中に、役に立たない人間はいない。この世に生を受けた時既に喜びをもたらしている筈なのに人間の欲とエゴがそれを踏みにじる。血は毎日勢いよく貴方の体中を駆け巡る。今日の命を明日に繋げる為に・・・。
細木日本人は占いが大好きである。自分の将来がどうなるのか気になって仕方ないようだ。過ぎ去ったことはどうにもならないが、これからの人生をよりよくしたいと誰もが思っているだろう。殆どの人は細木数子を占い師だと思っているらしい。彼女は人生経験が人一倍豊富なおばさんに過ぎない。人の将来を見抜くエスパーな女性でもない。人が引き出しを5つ持っているとしたら、彼女はその数十倍持っている。占い師ではなく人の心を開いてあげるカウンセラーと呼ぶべきかも知れない。将来は自分の努力で作って行くもの。占いの結果に右往左往していると足を踏み外して人生の急流に飲み込まれてしまうから気をつけろ!
狂い咲き咲いた花は必ず散るもの。しかし自然の花は時期が来ればまた花開く。それは約束された自然の風景である。回転の速い芸能界、特にお笑いの世界は変化の連続で、次々と新しい芸人が登場する。今最も注目を集めているお笑い芸人の一人小梅太夫。強烈な個性と衣装、人の想像を遙かに超える点ではそのパフォーマンスは大成功。CDも発売し売れ行きも好調。人生には必ずチャンスがあり、そして誰にでもその芽を出す種を持っている。自分を育て、芽を出すにはまず人から学びとる事が大切だろう。
昨年6月、梅雨空が広がり始めた早朝の公園で子猫を拾った。生後約1ヶ月ほど。公園の林の中でニャーンニャーンと赤ん坊が助けを求めるように鳴いていた。そして我が家の一員となり、そろそろ1年を迎えようとしている。先輩のセキセイインコたちともトラブルもなく仲良く過ごしている。猫が1匹増えただけなのに、我が家には以前にはなかった新しい笑顔に包まれた。今では猫(タラコ)の天下である。
松井あらゆるスポーツには怪我というリスクが付き纏う。松井秀樹が手首の骨折で今シーズンは絶望らしいが、本人以上に悔しい思いをしているのはNYヤンキースのチームメイトや監督、そしてファンである。野球のファインプレー、特に大リーグでは日本の野球では見られないようなダイナミックでアクロバット的なプレーがよく見られ、野球ファンを魅了する。怪我を恐がっているとプレーそのものが小さくなってしまうので、当然プロである以上怪我を覚悟の上で試合に臨むと思う。しかし、プロは意識せずとも自然に身体がボールに反応するように出来ている。怪我を防ぐには練習を重ねること以外にないが、ゴジラの生命力ならもう一本手首が生えて来そうな気がする。長島さんから励ましの電話が治療中の彼に届いたようだ。