桜の花びらが舞い散る午後に(鎮魂歌)。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

桜の花びらが舞い散る午後に

あの娘は逝った

天使の衣を纏って空高く

注射が嫌だと駄々こねて

僕を随分困らせたっけ

君があんまり泣くもんだから

瞼を両手で押さえると

「バカっ涙であたし溺れちゃうよ」

と言って僕の腕にキスしたね

桜は散ってもいつかまた戻って来るけれど

君と過ごした日々はもう戻らない

桜の花びらが舞い散る午後に

涙の抱擁だけを僕に残したまままで

あの娘は散った

閉じた瞼に最後のくちづけを

 

 

※白血病のため17歳で亡くなった少女に捧げた詩。
 当時はまだ白血病の治療が確率されておらず、輸血と出血の繰り返しであった。彼女の病床を見舞い、「頑張れ!負けるな!」と励ましたその3日後に彼女は眠るように息を引き取った。

 夜桜を撮影したその二日後に再び同じ千鳥ヶ淵へ出向いた。太陽の陽射しを浴びて煌めく桜を撮りたかったからである。レンズはタムロンの望遠とNikonの単焦点MC105mmを用意した。千鳥ヶ淵緑道を大勢の人が行き交う中で皆さんの邪魔にならぬようかなり気を使っての撮影だったが、一度ファインダーを覗き込んでしまうと自分の世界に糸も容易くのめり込んでしまうから多分『邪魔なおっさん』と思われたかも知れない。
 桜の花びらが舞う季節が訪れると、必ず数十年前の若き頃の青春の1ページが鮮やかに蘇って来る。このポエムに登場する少女は私と同じ養護学校の卒業生であった。在学中、お互い好意を寄せ合うような間柄ではなく病棟で顔を合わせた時に挨拶を交わす程度で、少女がどんな病気を抱えていたかなど特に関心もなかった。養護学校を卒業した後、少女は地元(浜松市)の高校へ進学、私は清水市駒越にあった療養型職業訓練所で1年半を過ごし16歳で静岡市沓谷にある会社へ就職。18歳を迎えたばかりの頃、養護学校から同窓会の通知が届き、それに出席しそこで高校生の彼女と再会するに至った。在学中は丸顔のショートヘアーだった髪型もセミロングに変わり、松林の隙間から降り注ぐ陽射しを浴びた黒髪がキラキラと星の様に輝いていた。同窓生たちとの集合写真を撮った後、「神戸さんですよね?」と声を掛けて来たのは彼女の方だった。
 私の出で立ちと言えばフォークのプリンスならぬ吉田拓郎の真似をして、彼女より更に長い髪で当時流行りのラッパズボン。丸刈りの中学生だった頃の面影など何処にも残っていなかったが、彼女は一目で私が分かったようだった。いきなり声を掛けられて驚いたが、言葉も殆ど交わした事のなかった自分を覚えてくれていたのが意外で、内心は嬉しくもあった。
 「千絵ちゃんだよね?」これが彼女との最初のマトモな会話だった。そしてそれが切っ掛けで二人とも堰を切ったように話が弾みお互いの近況を語り合った。この時、初めて少女の身に何が起こっているのか初めて知る事となった。高校に進学はしたものの、体調不良により授業を欠席し入退院を度々繰り返しているようだった。彼女は悲しみを打ち消すかのように笑顔でポツリと呟いた「あたし、白血病になっちゃった…」。私は返す言葉を見失ってしまい「えっ?」と再度尋ね、ただ驚くばかりだった。在学中は元気に飛び回っていた彼女の姿からは想像も付かない病名だった。
 高校に進学してから病気は更に悪化して行ったようだった。おそらく急性白血病だったのだろう。その同窓会での再会以降、彼女との付き合いが始まった。重い病気を患った彼女に対する同情心も多少はあったかも知れないけれど、その時は時間の許す限り彼女に寄り添って病気の克服を手伝いたいと思っていた。携帯電話など便利な物のない時代、会えない時は手紙を書き励ました。
 今年の春もきっと高い空の彼方から散り往く桜を大きな瞳を輝かせ、彼女は見詰めているだろうと私はそう思っているし、歳を取った私の下に17歳のままの千絵ちゃんが舞い散る花びらに乗って降りて来ているんだと…。