財団法人 日本相撲協会は名称を改め、本日より「大日本賭博協会」と致しました。
日本人力士がどうして弱いのか漸く分かった。外人力士が強すぎるとばかり思っていたが、それはわたしの買被りだった。
野球の試合結果ばかり気になる力士たちは、稽古や勝負に全く実が入らなかったようだ。本来の相撲はそっちのけで、野球賭博に骨身を削る力士や親方たちに愛想を尽かしたのは、わたしたちだけでなく、最も大切なスポンサーまでもが、ソッポを向いてしまった。
自業自得と言えばそれまでだが、前回の記事で、「NHKが放送を自粛すればよいと」提案した事が現実となり、相撲離れが加速する一方だ。
横綱白鵬にまで飛び火した賭博問題は、白鵬自身が花札賭博に手を染めた事が、彼自身の言葉で明るみに出たが、ギャンブルの怖さは、最初は遊びのつもりで始めた賭け金が気づくと万単位になり、更にエスカレーとして行き、万札が何枚も宙を飛ぶ結果となる。
ギャンブルは覚せい剤的な依存性があるから、場合によっては一家離散というケースが幾つもあり、人生を台無しにしてしまったという話しをよく聞く。
今回の件で、悪質性が最も高い元大関琴光喜と、元大嶽親方が解雇という処分になったが、後の関係者は謹慎処分と減俸という、生ぬるい処分に留まっている。
歴史の長い国技と言われる相撲道に、取り返しの付かない最も不名誉な汚点を残してしまった事に対し、理事会の「名古屋場所開催」の判断は恥の上塗りに他ならない。
相撲をやっている場合か?本当に猛反省しているのか?と言った疑問が全く解消されていない。野球賭博の全貌解明も未だに出来ていない状態での場所開催は、理事会の傲慢そのものだ。膿を出し切らない内は、やはり名古屋場所を中止し、その時間を徹底解明に当てるべきである。
もちろん、名古屋場所を楽しみにしている相撲ファンも大勢いるが、中止したとしても理解は得られる筈で、暴力団との決別が明らかになった時点で出直す事が、ファンに対する礼儀でもある。
数十人近い力士が土俵に上がれず、天皇杯や外部からの表彰も辞退する事になり、そのような状態でまともな場所を開催出来る筈がない。
ここまで名古屋場所開催に固執する相撲協会の考えは理解に苦しむ。開催すべきという意見も一部にあるようだが、やはり中止する勇気を持つことこそ、真の相撲道には必要なことであるだろう。
スポーツには全体責任という言葉があうように、一人の失態は全員の責任という、徹底した管理と規律を重んじるのであれば、責任を当事者だけに押し付けてしまうのは、自浄作用とは程遠い内容であり、改めて相撲界の特異な体質が根深い事を裏付けるものである。
今回の野球賭博問題を受けて、外部有識者による独立委員会も設置されるようだが、メンバーに些か疑問が残る。
彼ら全員が相撲界とは利害関係のない人物かどうかである。各メンバーの肩書きなどを見ても、本当にこれが正当な機能を果たすのか疑問が拭えない。
いっそのこと相撲協会を株式会社にしてしまった方が、自浄作用は働くのではないかと思える。そうなると相撲は国技と呼べなくなるが、「国技」に拘る必要は既に残ってはいない。
すべてを一新して再スタートを切るのであれば、そのくらいの大改革が必要ではないだろうか。
