聖火は牛に引かれて善光寺詣り。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

善光寺 聖火リレーの記事第二弾である。
もし、チベット一揆が勃発しなかったら、或いは中国が事を穏便に済ませ武力を投入せず、話し合いで打開を模索していれば、聖火リレーは所定のコースを変更する事もなく、各国の市民の前から姿を消すような事はなかったかも知れない。
平和的解決を中国が望まない訳もなく、単に一国の首領が宗教の嫉妬に狂った結果が招いた悲劇である。
ただ、今回のリレーが前代未聞として世界中の的となり記憶に深く刻み込まれたのは間違いないだろう。
その意味ではもしかすると中国の思惑通りだったのか…。
あの国は自分たちが目立つことなら善悪を問わず実行する国であるから、わたしたちは単なるピエロだったりしたら中国にしてやられたという事になる。
つまり中国には恥という物がない。あるとすれば今回のようなおぞましい、世界の笑いもの、軽蔑を一身に受けるような行動は慎むものと思われるが如何だろうか。
北京オリンピックの行く末に一抹の不安を抱えるものの、中止になることはまずないし、戦争でも起きない限りオリンピックは開催されるだろう。
日本では聖火リレーのコースは変更されないだろうと大方の人はそう思っていた。良い意味で温厚で優しい日本、悪く言えば事なかれ主義の日本。
それを無宗派で名高い善光寺が断ったと言うのは「日本を甘く見るな」と言う世界に向けたメッセージとも取れる。
しかし、政府がこの件に関し全く蚊帳の外であるのは実に腹立たしい。メダルを取った時だけ笑顔で選手に拍手し、いかにも政府が万全のバックアップをしている如きに振舞う。
聖火リレーよりこんな政府はもう要らない。