わたしには祖父も祖母ももうこの世にはいない。しかし、小学校低学年までは父方の祖母が面倒を見てくれた。その後祖母は病気で床に伏せた切りだった。歩く事すら難儀だったようで、殆ど寝たきりの生活を送っていた。
神戸家の祖父をわたしは写真でしか見たことがない。西郷隆盛に良く似た恰幅のよい人物に見えた。わたしが生まれる5年前に他界。祖母の生活を支えるのは息子たちなのだが、誰もよりつかなかった。
唯一父がそれでも看病をしていたが、その父も突然行くへを晦ましてしまい、家に帰ってくることはなかった。孫である小学2年生のわたしが大人の面倒を看ることが可能だろうか?学校から帰って来ると昨日作った残り物が散乱し、食べた形成ももなかった。「ばあば、ちゃんと食べないと病気は良くならないよ」励ますように語りながら、夕食の支度をする。
父は鉄砲玉だからいつ帰ってくるか約束などで出来ない。とりあえず、米びつを覗いたが一粒の米も残っていなかった。当方に暮れたわたしだったが、それでも諦めず、台所を隅々まで探し回りやっと子どもの片手で一杯の麦を見つけたのだ。見よう見まねで飯盒に麦と水を入れ、ガスコンロのスイッチを入れた。学校へ上がる前に父からご飯の炊き方を教えてもらっていたので、それほど苦労せず炊き上がる事が出来た。
しかし、米のない麦飯の不味さは経験者にしか分からない。味見をして顔が歪んでしまった。こんな不味い物を祖母に食べさせる訳には行かないと思い、かなり広い台所や棚、引き出しを片っ端から探しまわった。既に味の素さえ底を付いていた。
こんな事になったのも定職に付かないやくざな父の性だと恨んだ事もあった。台所の置くに大きな壷があった。それは毎年取れる家の庭に咲いている梅ノ木の実だった。それを壷に入れて蓄えておいた。腐っているかはわたし自身が味して漸く麦飯と梅干の食事が出来上がった。
それを祖母は「俊が作ったのか、そうかそうか」と言いながら美味しそうに平らげてしまった。
それから数ヶ月もしない打ちに祖母は他界した。祖父から受け継いだ神戸家を守る事ができずに、後は出来の悪い息子3人に任せることしかないと、無念の表情をこの世に残しながら天国で静かに暮らしていてくれていればばよいのだが。どんなに歳を重ねてもお互いを労わる気持ちを忘れずに、出来れば精神面でも豊かに暮らして行けるのが老後の理想ではないかと思う。
