「私の辞書に反省という文字はない」by石原慎太郎。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


石原 統一地方選挙、そして都知事選。この結果は投票が始まる前から決まっていたようなものだった。他者の追い上げをものともせず投票箱を空にする必要さえなかった。この圧倒的な大差は何処から生まれるのであろうか。石原慎太郎以外に東京都を任せられる人物がいなかったのだろうか。都民が求めているものそれは安定。とりあえず冒険はしたくないという臆病風に吹かれたのだろう。都民或いは国民が変わらなければ国も変わらず動きもしない。しかしながら選挙のたびに思う事は投票率が低すぎるということ。無関心派があまりにも多すぎる。わたしは選挙権を得てから一度も休んだ事はない。自分が障害者である為どうしても福祉に力を注いでくれそうな人に一票を投じるが、自分の票が活かされたことはまだ一度もない。しかしそれでも選挙には必ず行く。税金を一円たりとも無駄にしたくはない。一体いつ頃からこんなに政治から人々が離れて行ったのか。もし日本が経済的に貧しい国で、あちこちでテロや諍いが耐えない国だったら、国民の大半は選挙に行くだろう。そして大声で叫ぶ「平和を我らに」と。この国を堕落と腐敗に追い込んだもの、それは急激な変化、富と繁栄に他ならない。石原慎太郎の問題発言に「三国人」というものがある。日本の経済力に目をつけ多くの外国人が仕事と金を求めて、近くの国或いは灼熱の地から蟻の群れのように流れ込んで来た。いつの間にか上野公園は日本人より外国人の溜まり場と化していた。外国人による犯罪も増加し、それを憂いての発言かどうかは知らないが、外国人に対して「三国人」という差別用語を平気で使う都知事をまたしても選んでしまったのである。政治家の問題発言が頻繁に世間を騒がしている割にマスコミは傍観者という立場で見送っている。金に結びつかないニュースには飛びつかない。操り人形同然の日本のマスコミそれを影で高笑いする政治家たち。この国に正義は最早存在しないのであろうか。作家としての石原慎太郎は認めても政治家としてみた場合、高飛車な態度や民衆の嘆きを数で計算する打算的で狡猾な姿からは人としての優しさが見えて来ないのである。32年前に観た映画、石原慎太郎原作の「化石の森」が懐かしい。映画の内容に興味があって観た訳ではなく、主演が当時人気俳優であった萩原健一が主人公だったからである。政治は小説よりも奇なり、まさにそんな印象を持つ選挙であった。