赤ちゃんはポストを選べない。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


ベビー 親はなくとも子は育つ、確かに。親代わりになる人物がいれば子どもは育つ。しかし最も重要な事は子どもの育つ過程である。施設を転々としたり親代わりがころころ変わっては健全な成長とはほど遠い結果になる。赤ちゃんポストについては賛否両論。何が問題かといえば将来その子どもが成長し自分の過去に疑問を持った時、真実を明かす事が出来るかである。ポストは良いとしても育てる環境が子どもに与える影響を考えた時、現代の子どもたちを取り囲む環境が悪化する一方で、赤ちゃんポストは謂わば特殊な環境である。その存在すら意見が分かれている以上そう簡単に答えは出て来ない。コインロッカーに捨てられるよりは遙かに増しであり、赤ん坊にとっては捨てるような親に育てられるよりも幸せかも知れない。その昔、日本には口減らしという行為が行われていた。貧しい家庭では子どもの数が増えると、とても養っては行けずその為養子にやったり奉公に出していた。出す親も、離れる子も非常に辛く断腸の思いであっただろう。時代は変わり、日本の経済成長と共に暮らしは豊かになり食べる事に困るような家庭は殆ど無くなった。世の中が便利になるに連れ、人はより一層の利便性を求めるようになった。飽食の時代、捨てられるゴミの増大、その中には食品類も多く含まれる。家がなくホームレスになっても腹を充たすことが出来るほどだ。環境の激変と人間同士の関係が少しずつ希薄になり、思いやる心が失われつつある現代で子ども中心に時間は動かない。産みの親、育ての親、子どもがどちらを選ぶか或いはどちらも選ばないにしても、これだけは言える。産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう…そう言われる大人でありたいと。