2019/8/15 2/5 太平洋の白鳥 日本丸・横浜みなと博物館 | 金屋代かずおのお部屋

金屋代かずおのお部屋

周防大島町を拠点に鉄道旅行・鉄道もけいの活動を行っています.

目次 前回

 

(ランドセルランドマークタワーと日本丸)

 

今回の旅行の行程が横浜宿泊になっていたり,北陸周りになっていたりしていたのは,ひとえに「日本丸・海王丸」を一度に見るためと言っても過言ではありません.そこに筆者の休暇と,JAMを組み合わせた結果,お盆の最暑期に行くことになりました.実際,この日の横浜は日差しこそありませんでしたが,蒸し暑かったです.

 

本日からの3連休で,1930年生まれの重要文化財の船舶3隻を一挙に紹介します.

日本丸

1930年〜1984年まで,航海訓練所の練習船として使用されていた帆船です.多くの海の男[1]がこの船で育てられました.現在は同名の帆船で練習航海が行われています.早速,中に入ってみます.

 

船上から眺める横浜の街もオツなものです.大きなマストに登り,大きな帆を掲げて,太平洋を舞い進んでいました.

通路の至る所に整備機材が置かれています.老朽化は否めませんが,現役の船であるので整備は行き届いています.

 

船内も見学できます.

真鍮材を用いた階段です.現代基準でもかなり豪華に見えます.

練習生はこの部屋で泊まり込み,時には夜中の当直につきながら練習をおこなっていました.

乗員はこちらの部屋を使用します.

船の指揮をとるブリッジです.信号旗も収められています.

方位を示すジャイロコンパスの本体があります.

通信室です.人工衛星の登場でより安全な航海ができるようになりました.

練習生の教室です.写真の3倍ほどの面積があり,ピアノもあります.食事もここで取ります.

船舶ではあらかじめ航海予定分以上の食料を詰め込み,専門のスタッフがいつも料理をしています.(現在でもそうですが)揺れる船内での大量調理の苦労がしのばれます.

保健室もあります.簡単な手術が行われることもあったようです.

日本丸は帆船ですが,ディーゼル機関を搭載しており,入出港・混雑海域などでは機走も行われていました.機関練習生の練習でも使用されます.

保守部品も搭載されています.

船長の部屋です.豪華な調度品を備え,寄港地での応接に備えます.近くには机・寝室・浴室も備えており,緊急時にいつでも対応できるようになっています.

船長・機関長・航海士・機関士をまとめて「士官」と呼び,船の運航の責任をとるほか,練習船では練習生の指導も行われます.

この士官サロンは士官の食堂であるほか,会議も行われます.悪天候・悪海象時の針路検討は緊張が高まるシーンでしょう.

上にはステンドグラスがあります.当時の士官のステータスの高さ[2]がしのばれます.

 

船の後部(艫)には,舵をとる舵輪があります.荒れている際はフードの内側から操作できます.

 

当時としては画期的な船でした.

横浜みなと博物館

日本丸に付随して,横浜港の歴史を中心に紹介する博物館です.

横浜港の発展,港湾設備の模型などが数多く展示されています.中には,「わが日の本は島国よ」で始まり,地元スポーツチームの応援でも使用されている横浜市歌の演奏装置,実際の訓練でも使われる操船シミュレータも設置されています.操船シミュレータは意外と難しく,成功した場合は記念証が配布されていました.

また,「アンクルトリス」のイラストでおなじみの柳原良平のアートミュージアムも併設されています.船舶のイラストも多く発表・展示されていました.

常設展は撮影禁止ですが,企画展「オドロキ!日本・海の環境と開発~海といつまでも」が開催されていました.

ソーラーパネルや帆をふんだんに使用したエコシップの模型です.近年注目度が上がっています.

海の資源利用に関する調査船です.

 

これからも海といかに付き合うかが,社会の発展の鍵を握ることがわかります.

 

なお,この企画展は9/29まで実施されます.

 

日本丸周辺その他

ピカチュウがデザインされた水陸両用バスを見ました.実に可愛らしいです.

現在こそ商業施設が立ち並んでいますが,みなとみらい地区は長い間港湾地区で,鉄道も通っていました.「汽車道」と言われています.(今回は通りませんでした)

 

昼になりましたので,みなとみらい線に乗り,中華街で八宝菜をいただくことにしました.

 

明日は,この中華街周辺で展示されている船を紹介しようと思います.

 

続く

 

[1]:当時,船員を育てていた商船学校は男子校でした.

[2]:当時,日本人の海外旅行は事実上禁止,あるいは一般的ではなかったため,外国へ行くためには船員になるのが手取り早かったです.