安全地帯から一歩出る ~「両論併記」で終わらず、自分の言葉で語ることの大切さ~ | 東京府中の税理士、金成祐行の日々の気づき

東京府中の税理士、金成祐行の日々の気づき

東京府中の税理士法人かなり&パートナーズの経営や、強度行動障害の状態にある自閉症の息子との生活など悪戦苦闘ですが、日々気づいたことを書いております。

 


◇「いろいろな意見があります」で終わっていいのか

障害者問題など、

福祉や制度のあり方など、

社会的な問題について議論していたり、

講演を聞いていたりすると、
よく、こんな結論に出会います。

・「この問題には、さまざまな意見があります」
・「どちらの立場にも、それぞれ理由があります」
・「一概には言えませんね」

のような「両論併記」の結論です。


もちろん、その通りなのです。

世の中の問題の多くは、

単純な白黒ではありません。
 

当然、

異なる立場から物事を見ることも大切です。
 

私自身、

一方の意見だけを聞いて判断することは、

危険だと思っています。


しかし、このような

👉「両論併記」という安全地帯

 

から、物事を語ることに、

少し違和感を覚えることがあります。



◇多角的に考えることと、立場を示さないことは違う

私は、
「両論併記そのものが悪い」
とは思いません。


むしろ、自分とは異なる意見を知り、
「なるほど、そういう考え方もあるのか」
と検討することは、とても大切です。


問題なのは、

十分に両論を検討した後でも、

自分の立ち位置を明らかにしないこと

だと思います。

「Aという考え方があります」
「一方でBという考え方もあります」
 

「Aにも一理あります」
「Bにも一理あります」

――以上。

よく、

一部の議員さんとか、

役所の方とか、

こういう話し方をする人が、

とても多いです。


これでは、
「考えた」というより、
判断する責任から降りてしまっている
場合もあるのではないでしょうか。



◇自分の言葉を語れば、必ず誰かから批判される

👉「私は、こう考えます」

そう言った瞬間、
リスクが生まれます。

・「それは違う」と言われるかもしれません。
・批判されるかもしれません。

場合によっては、

・誰かにとって不愉快な意見になるかもしれません。

しかし、

👉自分の言葉を語るということは、本来そういうもの

なのだと思います。


自分の考えを社会に示すということは、
同時に、その考えに対する反論を、

受け取る覚悟を持つことでもあります。

だから私は、
意見を述べるという行為には、
小さな「責任」が伴うと思っています。



◇摩擦がなければ、対話も始まらない

人と人との対話には、
ある程度の「摩擦」が必要だと思います。

・「私はこう思う」
・「いや、私は違うと思う」

そこから初めて、

・「なぜ、そう思うのですか?」

という問いが生まれます。


そして、
自分には見えていなかったものが、

見えてくる。

相手の話を聞いて、
「なるほど、そういうこともあるのですね?」
と修正することだってあります。

それでいいのです電球

立場を持つことと、

保身や、勝ち負けにこだわって、

頑固になることは違います。

現時点で自分が知っている事実や経験に基づいて、

「私はこう考える」

といったん立つ。

そして、

新しい事実や根拠、

優れた反論に出会えば、
また考える。

私は、

それが健全な議論だと思っています。



◇「誰も傷つけない言葉」は、本当に優しいのか

もちろん、

私は、人を不必要に傷つける言葉は、

使いません。


しかし、


誰にも反対されないように、
言葉の角をすべて削って、
立場も消して、
最後には何を言いたかったのか

分からなくなる。

それでは、
言葉を発する意味そのものが、

薄れてしまうのではないでしょうか。



ときには、誰かが、

👉「私は、それはおかしいと思います」

と言わなければ、
現状が1ミリも動かないことがあります。



◇だからこそ、”根拠”を大切にする

ただし、
自分の立場を明確にするからこそ、
私はもう一つ大切なことがあると思っています。

それは、

👉”根拠”を大切にすること


単なる好き嫌いや思い込みや感情で、
「私はこう思う!」
と叫ぶだけでは、
それは意見というより、

情緒の表明になってしまいます。


できるだけ”根拠”となる

 

・事実

・科学的エビデンス

・法律や規則

 

を確認する。

反対意見も調べる。
その根拠も調べる。

その上で、

「それでも私は、こう考えます」

と言う。

そこまでやって初めて、
自分の言葉に責任を持てるのだと、

私は思います。



◇間違っていたら、訂正すればいい

そして、
もう一つ大切にしたいことは、

👉間違っていたら、訂正する。

ということです。

自分の意見を曖昧にするのは、
「間違ったらどうしよう」
という不安だと思います。


でも、
人間ですから、
間違えることはあります。

新しい事実や根拠を知って、
考えが変わることもあります。

だったら、

「以前はこう考えていましたが、

調べた結果、考えを改めます」

とすればいいのだと思います。



◇自分の言葉を語って生きたいですね

分からないことは、
「分からない」と言えばいい。

判断するだけの材料がなければ、
「まだ判断できない」と言えばいい。

それもまた、
立派な自分の立場です。


しかし、
十分に考え、根拠を調べているのに、
批判を恐れて、

「いろいろな考え方がありますね」

という「両論併記」の安全地帯へ逃げ込む。
 

そういう生き方はしたくありません。

 

間違えることを恐れず、

反論も恐れず、

根拠を持って、

 

👉「私はこう考えます」と言う

 

そして、間違っていたら

躊躇なく訂正する。

 

そんなふうに、

自分の言葉を語っていきたいですね。