自己紹介と言うか、なんと言うのか。~part4~ | Gyutto~世界がHUGで溢れますように~

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HPをお手製で1から作ろうとしたらダメダメだった主婦です(笑) 日記/育児/備忘録/文通/音楽(歌)/健康・医療…多岐に渡り書いて行けたらと思います。(*^^*)

​history


4番目のhistoryです。


\⬇️前回のhistoryはこちら⬇️

ここからは息子君達のお父さんとのお話です。


長男S(7)小学2年生と、次男H(6)小学1年生のお父さんは大工Tさん🔨

出会ったのは2015年の夏頃。

歳がだいぶ離れていたけど、私はそんな事はちっとも気にしていなかった。


マメで、甘えや愛情をストレートに表現する人で、運転とヒーローが好きで、大人なのに子供みたいな…少年の様な人でした。

おちゃらけてる事が人生の大半に見えて、彼の過去は結構ダークで。


乳児期の感染症から無毛症を発症した彼は赤ちゃんの時生えていた髪の毛やあらゆる体毛がなくなることになりました。

そこから虐めがあったりして彼の心は傷ついた。

そのせいかな?

私の事を喧嘩の時、仏頂面でめっちゃ睨んできたよね。

でも、きっと、それは悲しさや寂しさや不安や怒り…色々な感情の交錯が表現された彼なりの表現の形だったのだと思う。

彼の心には今でも傷付いた少年が居て、それを世の中ではAC《アダルトチルドレン》と言うのだろうね。


そんな彼と時折別れる別れないに発展する大喧嘩をしながらも順調な交際を続けていたある日、私は長男を身ごもった。


私はこの頃酷く精神を病んでいて、子供達を親元に託して彼の実家に身を寄せていた。

彼が早くから私を恋人であり婚約者であると紹介した上で、彼のご両親の配慮の元、私は彼の実家に滞在していた。


2015年11月か12月かな、妊娠が解り、

月一帰れる小笠原諸島での大工仕事に無謀にも妊娠5週のつわりの中、私は寂しさに耐えきれず船旅に同行して行ったのである。


ほかの彼の仲間と船に揺られ、酔い止めも使えない中、吐きまくり胆汁まで出尽くした。

尿漏れも酷く。

到着した島でも中3日ほぼダウンしていた。


結局、私は観光に島に行った様なもの。


そして、私とは帰れない彼は仲間に私を託して、仲間は私を彼の実家まで送り届けて、待っていたお義母さんにピンポンして挨拶してくれて、お義母さんは「ほら~、あんた行っちゃダメだったのよぉ~💦」ってオロオロしてた。

大丈夫だったよ、お義母さん。

その時のSはもう2年生なんだよ。


このお義母さん、Sが産まれる前に他界してしまったのです。

彼が島と本土を行き来し始めてから3ヶ月後頃のこと。

お義母さんは彼が一時本土に帰ったその翌日未明、彼が来るのを見届けたかのように…。

朝には亡くなっていた。


前日の夕飯時、お義母さんは胸の痛みがあると話していた。

「お母ちゃん、病院に掃除婦で勤務してるんだから早く診てもらえよ。」なんて話してたその真夜中に。

虚血性心疾患でした。


彼は救急や警察対応、葬儀対応に追われ私は自分の実家へもどった。



~to be continued~


今回はここまでですニコニコ

また次回続きを書きますねニヤリ