history~part5~
今回は前回の続きのPart5です。
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お義母さんの亡くなった時の記憶。
細かい事がこの辺り欠落していますが…
書いていきます。
前回お義母さんが、長男Sがお腹に来てまだ間もない頃に他界したと書きました。
その晩の詳細。
私は今でも時折思い出しては、何か出来たんじゃないか…と悔やみます。
その晩、私と彼は彼の部屋で、彼の妹は彼の部屋の隣で就寝しました。
お義母さんは普段ご夫婦で寝てる寝室兼仏間で寝ていました。
私たちは当然妊娠中なので、スキンシップと言っても軽くお話しながら小笠原の島での話などしながら、手を握りあい、温もっている程度。
寝ようとした頃…。
その違和感はやってきました。
外から?いや、家の中から?
呻く様な、呼ばれている様な、猫の盛りの様な、
酔っぱらいのような…
どうとでも捉えられると言えばそうかもしれないけど…
私は彼に「なんか聞こえない?」と訊ねた。
彼は「うちの近所、酔っ払いが吐いたりとか多いからそれだろ?」と2階から窓の外を眺めました。
特段異変はありませんでした。
私は嫌な予感がぬぐえず、「お義母さん、具合が悪いんじゃない?」など、彼に聞きました。
「見てこようよ。」とすら言いました。
でも、彼は酔っ払いだろ…と。
私は彼のその言葉に「そっか。この辺に詳しいTちゃんが言うんだからそうだよね。」と安心して寝付いてしまいました。
しかし、
この時聴こえたこの声はお義母さんの声だったと翌朝確信に変わりました。
┈泡を口から吹いて、もがいたのか、枕から離れた所で息絶えていたのです┈
私が起きて、隣に居ない彼に一気に不安になり、居間に降りた時には既に救急隊が来ていました。
何やら調べてましたが…。
外に出た彼を追い、私も何が何だか解らず、嫌な予感を胸に「なに!?お義母さんどうしたの!?」と聴いたら、掠れる様な絞る声で「ゃぁ…お母ちゃん、死んじゃったよ。」「島の父ちゃんに電話しないと…。」って、
小笠原の島に居たお義父さんに電話。
そこで、また、「父ちゃん、母ちゃんな、死んじまったよ。」って伝えてた。
お義父さんの言葉はハッキリ聞き取れなかったが、随分落ち込んで悲しむやり切れない声だった様に思う。
そんな事があって、私は実家に帰りました。
病理解剖の結果、虚血性心不全だった事が解りました。
葬儀は、私はまだ親族が知らない婚約者の段階で妊娠初期だった為、辞めておきましょと促され、辞めておきました。
でも、ご遺体に接することはさせて貰えましたし、自宅でお風呂に入れてあげる湯灌をしたり、お化粧したりね。
そーゆう所も見させてもらいましたし、長女次女もお泊まりに来た時にお世話になったので、
サヨナラなんだよと教えて、棺の窓を開けてお顔を見せてもらったりして、「おばあちゃん、バイバイ」って声をかけて。
私と娘たちを私の実家に送り届けた彼はまた斎場へ戻りました。
翌日か翌々日頃に葬儀が執り行われた様に思います。
大変な想いをした彼を支えなくては…と当初は思っていました。
しかし、日を追う事に、あの声が聴こえていたのに何故下に降りれなかったのかと、悔やむ日々が続きました。
彼は、「虚血性心不全は発見しても助けられないんだってよ。」と、医師から聞かされたことを私に伝え、私の落ち込みを和らげようとしてくれました。
が、私は後悔に苛まれ続けてしまい、挙句の果てにFacebookに居る彼の元嫁さんにまで「○○の苗字の表記がURLに付いてるの消してもらって良いですか?」など、突然、嫉妬が強まり、変えられないシステムのものなのに強く言いよったりメッセンジャーでしてしまい、元嫁さんが私の事までも含めてだったのか、心配して「何があったよ!?」と、Tちゃんと連絡。
そして、私の心境を理解してくれ、私の言いよったことを許してくれました。
むしろ、この元嫁さんは、私の心理が辛いことをとても理解してくれ、本当に申し訳なかったです。
その後、私たちは、長男が産まれる前に…と、転居。
テラスハウスを安く見つけ、そこで長女次女とTちゃんと私の4人で暮らしてみることに。
不動産屋めぐりが6月頃の話だったかな。
記憶が曖昧ですが。
ここまでにしておきます。
また次回、Part6に続きのepisodeを書きますね
またね!