![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/024.png)
ブログにお越しくださって
ありがとうございます
3月1日は
滋賀県へ
多賀大社へのお朔日参りと
太郎坊宮さんへ
雪が残っているかも、と
心配だったので
滋賀県内の近江八幡駅で
レンタカーを借りて
行きました
ちょっと懐には痛かったけど
電車で移動するのとは
違って
好きなところに行けるし
往復は電車なので
長時間運転する必要もないので
すごくラクでした
友達ともたくさん会えて
とても
楽しい1日でした
お朔日参りと
太郎坊宮さんのことは
また次の機会に
今日(3月2日)は
いつものように
家でウダウダしていて
夕方になって
動き出しました
自転車で
近所の
菅原神社にお参りし
レンタルコミックを返しに
少し遠くにあるTSUTAYAへ
最近、マンガは買わずに
ほとんどレンタルで済ませてます
マンガを買うと
家にどんどんたまっていっちゃうので
その途中
前回の記事
コレですね
で書いた
宿院頓宮(しゅくいんとんぐう)の
「飯匙堀(いいがいぼり)」へ
TSUTAYAへの行き方は
色々あるのですが
なんだか近くを通りたかったので
前回の記事で書いたとおり
日本神話に出てくる
「潮干珠」が沈められた、と
される場所です
どんなに雨が降っても
水がたまらない池、とされています
最近改修されて
キレイになりました
真ん中の石を拡大すると
こんな感じです
今は正方形に近い形をしていますが
かつての堀の形が
飯匙 = 飯(ごはん)の匙(さじ)
= おしゃもじ
に似ていたので
「飯匙堀」と名づけられたのだとか
お堀の中の石の形が
おしゃもじに似ているからだと
思ってた
堺市の中心部は
第二次世界大戦の空襲で
かなり被害を受けています
宿院頓宮のあたりも
焼けてしまったようで
それ以前の姿はわかりません
ところで
堺市は
かつて
「環濠(かんごう)」とよばれる
堀によって囲まれていました
主に外敵から町を守る
防御目的だったようです
昭和40年代に
高速道路が造られたときに
この看板の上部分が
埋められてしまいましたが
今も一部残されています
春~秋にかけては
「環濠クルーズ」といって
今も残る堀(川)を
船に乗って
楽しむことができます
春は桜が美しく
4月~5月にかけては
鯉のぼりがたくさん
飾られて
壮観です
また
看板の図をよく見ると
わかるように
道路が碁盤の目状に
整えられています
京都の町みたいに
道路が
タテヨコ直角に交わっているでしょ?
堺の町は
大坂夏の陣のときに
焼けてしまい
豊臣家が滅亡したときの
戦いです
そこから復興するときの
都市計画で
きれいに区画されたとのことです
空襲の被害をのがれたところでは
江戸時代そのままの道を
たどることができます
TSUTAYAに行く途中
環濠のはじっこを通ったので
以前から気になっていた
看板をじっくり読み
少しの間
歴史のロマンに
ひたっていたのでした
◇ お知らせ ◇
オンラインお話し会
参加者募集中!
3月12日(土)20:00~
オンラインお話し会を
開きます
*内容、少し変更しています
あなたの好きな神社
教えてくださーーい
好きな神社について
語り合いませんか?
顔出しなしで
オッケーです
ご希望があれば
チャネリングして
お伝えできることも
あるかも
かなまろんが
教員として
学んだり、人に伝えたりしてきた
日本の歴史や古典の知識も
お話しできたらな~
と思ってます!
特に専門の
鎌倉時代~室町時代の
雅楽関係のことには
詳しいです
詳しくはコチラ ↓