日本から帰った最初の公開の曲目はラフマニノフのパガニーニ・ラプソディー、ベレゾヴスキーのピアノは典型的なロシアのそれ、男性的な確固とした安定感、速さはスラヴ系のピアニストの誰ででもある特徴。たいした差がないスターばっかり光があたるのはいつもながらの残念。最初全部通してから残りの数分間で完璧につめる練習法。 キタエンコはすべての拍節で棒を打ってしまう。それ以外でも棒を振るわせるのでとても振り付けがきれいに見えるが、オケは反って合わせにくいのでサワリッシュのような見世物棒に似ている。棒はあくまでも楽器を合わせるためにある。演奏者が合えさえすれば実はどう振っても良い。拍点を打つことは普通は楽器が合いやすいものだが、どうしても合わないときもある。奏者自体が正確な棒に対して神経質になるのだ。そのときはバーンスタインがシュレスヴィック・ホルスタインでレッスンしたように拍を打たないと楽器が自分の耳たちで自然に合ってくると、昔松本さんのレッスンで教わった。カラヤンや小沢氏らはみなそれを実行している。キタエンコがメジャーになれないのはそういう要因もあるのだろう。
いつものフンクハウスの演奏はもう希少価値のある知られざるアンサンブルではなく、ドナウエッシンゲンやダルムシュタットなどで十分活躍している、フライブルクのアンサンブル・アヴァントゥール。指揮がいつものジェームス・アーヴァイじゃなくてベルンハルト・ヴルフに変わったが、作曲家・ピアニストでもあるアーヴァイは3月8日に亡くなったそうだ。 最初の曲目はニコラウス・A・フーバーの1985年の作だが、最近は管弦楽などでもうフーバー節が聴かれなくなって、昔のスタイルの作品を改めて聴いてみるとやはり混乱がなくてしっかりとした構造である。 次のロルフ・リームはこのニコラウス・A・フーバーやマティアス・シュパーリンガーなどと同格の作曲家であろう。2000年に作曲された作品は彼の単純性とドロドロ性が交互に交じり合っているのでR・リーム節が明確に聴かれる。 3曲目のヘルムート・エーリングはいつも名ばかりが出てくる繰り返しのバウクホルトのような凡作品。当時の東ドイツの作曲法の教育のせいかもしれないが、聴衆はやはり優れたものだけを期待している。こういうものはウィーンのORFのように売らないでほしいのが率直な意見。 4曲目は委嘱作品だったが、名前も書きたくないほどの気の毒な失敗作だった。こういう責任って誰にあるのだろうか?作曲者か?委嘱者か?放送局の会長か?誰も責任を持たないのは日本の公務員ととても似ている。バウクホルト節も健在でどこでも同じ世界! 休みの後の曲も気の毒な作品が続く。われわれは音大の作曲科の音出し会に来ているのではないことをお忘れなく!繰り返しはもうたくさん。 最後にクセナキスの『フレグラ』を持ってきたのはこれらの聴衆を帰らせないように主催者が仕組んだのであろう。何しろ生中継なので編集が聞かない。最後に盛大な拍手がないと様にならないわけだ。要するにやらせの一種であろう。明日は夏時間で早いので拍手しないで演奏終了と同時にホールを出てきた。