昨日は陸上自衛隊福島駐屯地まで創立記念行事(観閲式)を
見に行こうと目論んでいましたが・・・朝起きられずに失敗![]()
ここのところ休みになると早朝2時3時に起きて深夜ドライブを繰り返してまして。
もう疲れちゃいました。
会津や福島まで郡山時代よりも100km程余計に運転しなくてはならなくてね![]()
往復で200kmですからフィジカル的にもメンタル的にも負担になってきました。
まぁ福島駐屯地創立記念行事は昨年に行きましたからねぇ
陸上自衛隊の観閲式は結構ワンパターンなんで・・・ってな塩梅で今回はパスしました![]()
昨日は午前中に飯野平城(大館城)散策に出かけました。
現在の磐城平城は江戸時代に近世大名鳥居氏が築城した近代城郭(平山城)。
戦国時代まで磐城地域を統治していた戦国大名岩城氏の居城が飯野平城(山城)。
こん前に磐城平城を散策してるうちに飯野平城にも行きたいと思いつきました。
磐城平城と飯野平城の関係を上図に示します。
(国土地理院様の標高図を加筆修正いたしました。)
東向きに長く伸びた舌状台地に対して・・・
近世陸前浜街道(国道6号線)からの伊達氏(仙台)の対する防備が磐城平城で、
岩城街道(国道49号線)からの田村氏(郡山周辺)に対する防備が飯野平城で
あったことが伺われます。
江戸時代と戦国時代の戦略性の違いから2つの「平城」が築城されたという感じ![]()
じゃぁ平市街に車を停めて散策開始。
平は歓楽街が充実してますね![]()
銃砲火薬店ってどういうお店なのかな![]()
銃や火薬は分かるけど「砲」は売ってないよね。
(まぁ今は廃止されたけど昔に「銃砲火薬類取締法」ってのがあった影響か・・・)
この道が近世陸前浜街道であります。
なお・・・盛んに「近世陸前浜街道」という言葉を用いていますがこれは私の造語であります。
現在の国道6号線は江戸時代には「藩領型呼称」が用いられ各藩域でバラバラに呼称![]()
明治初期になって「陸前浜街道」に統一されましたが私はそれを過去にまで拡大解釈して
「近世陸前浜街道」と勝手に称しているので念のため。
平バイパスを国道49号線の現道とすれば・・・ココは旧旧道であります![]()
古鍛冶町というバス停(町名)からして如何にもであります。
結構な急坂でヒーヒー![]()
これも磐城街道から侵攻する勢力から平市街地を防備するために
故意にココに街道を設置したと察します![]()
峠の頂上は結構な切り通りですな。
1934年(昭和九年)の日付の開削記念碑あり。
それまでは車両の通行は困難だったと察します。
郡山⇔平を結ぶ一大幹線道路だったのに・・・
磐城街道はココで左折。
街道が直角に曲がるのは旧道あるあるです![]()
なお、右折すると磐城平城に至る直結道路です。
飯野平城は山城ですが・・・その稜線から磐城街道がバッチリ望める構造となってます。
磐城街道を侵攻すると想定する田村氏に対処した中世城郭なのは明かですな。
戦国大名岩城氏の「敵」は浜通り地域の北の相馬氏・南の佐竹氏も存在するのですが、
地政学的に最大の仮想敵は田村氏だったんでしょうなぁ![]()
(内陸部の戦国大名は海を欲しがるしね。)
振り返ると・・・奥の高台が磐城平城。
江戸時代にはこの街道の両側を下層武士が住む武家屋敷が建ち並んでいたそう。
で・・・JR磐越東線の踏切がありますが・・・ますがた(枡形)踏切と称します。
ココが磐城平城の西端を防備する枡形門のあった場所。
現在でも道路の微妙な屈曲にその痕跡が残ってるのがGooderですなぁ![]()
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下好間のY字交差点を左折して国道49号線の旧道を平市街へと引き返しまして![]()
旧道とJR磐越東線の切通しの場所に飯野平城(大舘城)の入口あり。
彼岸花は今が花盛り![]()
花と茎しかなくて葉っぱがない少々奇異な植物ですな。
急斜面に咲いていましたが無論ながら人の手で植えられたと察します。
一応はアスファルト舗装された坂道を歩きまして・・・
飯野平城(大舘城)址の石碑。
どうやら岩城氏が築城したこの中世山城を鳥居氏が築城した近世城郭たる磐城平城と
区別するために飯野平城と称したようで、地元では大舘城と称する様です
大舘城頂上部には戦没者慰霊碑あり。
合掌(-人-)
こちらは台座だけ残された何らかの記念碑があった台座。
側に「忠魂碑」と記された石柱が破壊されて放置![]()
かつて忠魂碑があったんですねぇ
このような軍国主義的記念碑は太平洋戦争後の民主国家日本に不都合とされ
放棄される傾向にあったのですが、その痕跡がそのまんま残ってるっての凄い![]()
この場所が飯野平城(大舘城)の本丸だったハズですが・・・痕跡は分らないすね。
戦国時代はハゲ山で見通しは良かったと察しますが、
現在は周囲を樹林が取り囲み視界ゼロです![]()
こちらは本丸から一段低い場所に設置された湯殿山神社の鳥居。
神明鳥居ですな。
こんな誰も近づけないような森の中に立派な拝殿があって仰天![]()
どうやって神社を建立して維持整備してるのか![]()
この尽力は凄いと感じました。
合掌(-人-)
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じゃぁ飯野平城を降りて平市街へと戻ります![]()
御台境という地名は7年前にいわき市に住んでいた頃から不思議でしたが・・・
「御台」とは戦国時代にあった城郭を称した地名でその境にあるから「御台境」なんすね。
現在では旧国道49号線とJR磐越東線で切通しとなってますが・・・
かつては舌状台地の稜線が連なっていたわけで、ココを開削した労力を思うと痛み入ります。
JR常磐線と磐越東線をアンダーパスするまんぽトンネルあり。
磐越東線が開通した当時の110年前の構造物。
美しい煉瓦構造物で惚れ惚れします![]()
このトンネルは線路の北側に住む住民にとっては唯一の車で通れる通路。
自家用車や2tダンプは何とか通れそうですが・・・
宅急便の4tトラッククラスでは絶対に通れない![]()
なかなか・・・凄いです。
じゃぁ松ヶ岡公園へ。
ここも飯野平城の一部であっただろうと察せられる舌状台地の一部。
良く整備された記念碑で何だろうと思ったのですが![]()
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昭和戦前期に建立した軍国主義的遺構である忠魂碑を再整備したんですね。
よくぞ出来たなぁ・・・と驚いてしまいました![]()
こちらは阿部信正公の銅像。
幕末維新期の磐城平藩最後の藩主だった方。
坂下門外の変で襲われて(軽傷を負っただけで襲撃犯は全員闘死したのに)
老中を罷免されてしまった不幸な御殿様。
松ヶ岡公園から平市街へと戻ります。
いわき駅前付近の平市街の町割りって中世どころか
古代条里制の痕跡が色濃く残ってるようで・・・
何だかまだまだ散策したくなってきました![]()
帰りは鮮場やっちゃばに寄って買い物。
なかなかユニークな市場で良いですねぇ![]()


































































































