会津まつり3日目の日曜日は会津若松市七日町にある阿弥陀寺まで
会津新選組まつりに出かけました。

大町のとこの変則十字路辺りのコインパーキングに車を停めて
歩いてJR只見線七日町駅へ
この辺りには駐車場が少ないので。

2日連チャンでいわき⇔会津若松間往復300kmドライブする予定ではなかったのですが・・・
この会津新選組まつりのフライヤーを入手して決心しました。
歴史講演会「会津における斎藤一の存在」を是が非でも公聴したくなったからです。

若松城から大町交差点・七日町通りを経由して柳橋を右折して神指に抜けるルートが
江戸時代の(新潟に至る)越後街道であります。

この旧越後街道添いにあるのが正覚山阿弥陀寺であります。
阿弥陀・・・ってことで、浄土宗or浄土真宗系の寺院ですね。

この寺院には東軍墓地があります。
合掌(-人-)
ココには1868年の戊辰戦争における会津戦争の
東軍戦死者1,300柱超が埋葬されてるとのこと。

新選組幹部であった斎藤一(藤田五郎)のお墓もあります。
合掌(-人-)
動乱の幕末維新期を生き抜いた斎藤は大正時代になり東京本郷の自宅で死去。
遺言により東軍墓地のあるこの阿弥陀寺に埋葬されたとのこと。

阿弥陀寺の重要文化財としてかつて若松城天守閣にあった三階櫓が移転保存されてます。
かつての若松城天守閣は若松城攻防戦での砲撃で中破され明治時代になって解体。
その唯一の遺構がこの三階櫓とのことで貴重です。
一見3階建てに見えますが・・・実は4階構造のかなりのクセモノ的なカラクリ屋敷。
かつてこの辺りもいろいろ散策したことがあります。

今回は中野竹子像のある中野竹子殉節之地まで散歩

新政府軍包囲下にあった若松城市街地の郊外で無数に行われた小競り合いの1つ、
柳橋の戦いで中野竹子は銃撃され戦死。
首級を奪われないように母親や妹の優子等が
戦死した竹子の首を切断して持ち帰ったエピソードとか凄い話です。
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時間になったので阿弥陀寺に戻りまして・・・

ホントにこぢんまりとした式典でした。

10時30分から東軍墓地前で会津藩遊撃隊戦没者慰霊祭を挙行。

天然理念流居合演舞を奉納。
近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八等、
その後の新選組幹部が若き日に修行した試衛館道場は天然理念流だったとのこと。
太い木刀(棍棒)での立合はその幕末の時代に行われていたらしい。
可憐な剣術と言うよりも朴訥な力業の剣術だったんだろうなぁ

この白い稽古着の師範様は近藤勇の甥の子孫の方とのこと。
へぇ~
後ろの草が生えた石の台座にはかつて大きな大仏様が
越後街道から見て横向きに鎮座していたとのこと
太平洋戦争中の金属供出で失われてそのままになってしまった
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一旦、七日町の商店街をウロウロ散策してから
午後になって再び阿弥陀寺の境内に戻ってきました

お昼頃に結構な勢いの通り雨がやって来て大変でしたな
斎藤一墓前祭行事が行われる14時頃には降り止んでそこそこ晴れて幸いでした。

先ずは殺陣新選組の演舞から
模擬刀とはいえ切っ先を真正面に受けるとドキッとしますね。
殺陣師に指導してもらって
息を合わせて練習しないとここまで出来ませんねぇ
住職さんの読経から法要始まり。

お~・・・菅家一郎さん久し振りに拝見
一応、国会議員は引退したのかな
大林素子さんも参加していらっしゃいましたが長身の方で驚きますねぇ

無外流居合道の演武奉納。
諸説あるようですが、斎藤一の剣術流派は無外流だったみたい。

この師範の先生の剣術も格好良い。
この先生の御先祖は棚倉藩士で白河口の戦いで戦死されたとのこと。
東北地方にはこのような方が沢山いらっしゃるんだろうなぁ

合掌(-人-)
長らく斎藤一(藤田五郎)の確実な写真は見つからなかったのですが、
10年ほど前に藤田家の蔵から「再発見」されたと。
凄い話です。

15時10分から本堂の中で歴史講演会開催。

プロジェクターを使ったパワーポイントでの説明。
いろいろトラブルもあったのですがそれはおいといて・・・

レジメ
先ずは・・・そもそもの話ですが
今の時期に会津まつりが実施されるのは、会津城攻防戦が終了(会津藩降伏)したのが
1968年(慶応四年)9月22日(旧暦)だったからなんですね。
(※ 旧暦の9月22日は新暦だと11月になるわけで、
もう少し粘って冬季戦になれば戦況も変わっていたかもしれない。
勿論、更に凄惨な戦いになっただろうけど。)
斎藤一(藤田五郎)の命日は1915年(大正四年)9月28日。
と言うわけで、会津まつりに合せて斎藤一墓前祭も共催されるようになったと。
実は・・・こういう基礎知識も私的には初耳でへぇ~・・・でした。
それから・・・
会津若松では「新選組」と「会津新選組」は別組織として考えているようで驚いた。
確かに会津祭りの行列でも「新選組」と「会津新選組」が別々にあって
でした。
戊辰戦争が始まって敗走する新選組が再結集したのが会津で組長は土方歳三。
その後に土方等は会津に見切りを付けて庄内→仙台→函館へと転戦。
一方、会津に留まった斎藤一等がこの地に再結成したのが会津新選組だったと。
組長は斎藤一(山口二郎)で隊員は130人程集まったとのこと(思ったよりも多い。)
よって会津の人々には「会津新選組」に対する思い入れが強いようです。
この「会津新選組まつり」ですが・・・
「会津の新選組のまつり」と言うよりも「会津新選組のまつり」だったんですねぇ
ふ~む。
斎藤一は1月1日生まれ、
それほど人殺しはしていない、
そもそも会津藩のスパイとして新選組に潜入した・・・らしい。
オレさ・・・講演会の演題「会津における斎藤一の存在」ですが・・・
この「会津」を「地域としての会津」「会津藩」という公的意と捉えていました。
でも講師の先生の講演を聴いていたら・・・
実質的に「会津人における斎藤一の存在」の意味合いの講演会だったんですねぇ
斎藤一に対する思い入れがとにかく凄い。
大前提「会津の人達は実直で情熱的で嘘を付かない(嘘を付くのだったら黙る=寡黙)」
小前提「斎藤一も実直で寡黙で喋らない」
結論「よって、斎藤一は会津人である」
と言う三段論法のようです。
現在の藤田家の御当主さんも寡黙な人らしい
西の人は嘘を付く、「嘘も方便」という言い方もあるし・・・とも
郡山在住時代に酒の席で地元の人から「会津人は閉鎖的で冷たくて嫌い
」と
言われた事があってビックリした思い出があります
会津の人達的にはかつて嘘を付かれて酷い目にあった・・・との被害者意識がまだあって
ヨソ者には容易に心を開かないんだろうなぁとちょっと納得しました。
同じ福島県でも浜通りと中通りと会津では気風も風土も方言も全く違うので驚きますもん。
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講演会が終わって七日町通りも少し散策

渋川問屋。
二・二六事件で刑死した渋川善助氏の生家がココにあったんだ
渋川は超優秀な人物だったのに陸軍士官学校時代に教官と衝突して放校。
その後も不器用な生き方に終始し、民間人の立場として二・二六事件に自ら突っ込んで
軍事裁判で死刑になってしまうと・・・

会津地方には清廉な水と米が豊富ですから日本酒の産地ですね。
鶴乃江酒造さんの酒蔵直営店。

こちらは中通りにも流通してる末廣酒造さんの酒蔵。

CS放送日本映画チャンネルで見た日本映画「春の山脈」の舞台となったのがココかぁ

今回は鶴乃江酒造さんの特別純米会津中将ひやおろしと大小御猪口を購入。
美味しそうでこの御猪口で飲むのが楽しみ