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乾パンのブログ

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今朝、職場で福島民友新聞を眺めていたら・・・
映画女優クラウディア・カルディナーレさんの訃報に驚きましたショック!



23日の秋分の日にお亡くなりになったんですね。
享年87歳とのことでこれは寿命ですねぇ
御冥福をお祈り致します(-人-)

1960年代の三大ミューズ映画女優と称されたのは・・・BB、CC、MMの3名。
このうち、MMさんは早世されてしまいましたが他の2名は長く活躍されていたんですけどねぇビックリマーク

私的にはルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」かなはてなマーク
イタリア統一戦争という日本では微妙にマイナーな戦争を舞台とした作品で印象的。
御食事会はてなマークでのCCのゲスな笑いが忘れられないにひひ

この映画はNHKBSで放送されたのをBDに焼いたのですが・・・
実家の倉庫に放り込んだので残念ながら今は見れずあせる

映画「ウェスタン」
上矢印それから印象的だったのは、セルジオ・レオーネ監督の映画「ウェスタン」ねパー



大きくて垂れ目だけど日焼けして精悍なお顔付き。
一目惚れですわコリャ音譜



1960年代に「風と共に去りぬ」をリメイクするんだったら、
スカーレット・オハーラはCCだなぁ・・・と強く感じましたグッド!
少なくても南北戦争敗北後の南部に生きるスカーレットはきっと日焼けしたと思うけどね。

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んで兄弟フォークデュオ「ビリー・バンバン」の兄である菅原孝さんの訃報にも驚きましたえっ



享年81歳かぁ・・・肺炎とありますが嚥下性肺炎なのかなぁ・・・
脳出血で倒られたそうですがいろいろ身体機能(咀嚼機能)に負担が掛ったのかなぁ
となるとこれも寿命です。
御冥福をお祈り致します(-人-)



ベタだけどビリー・バンバンと言えば・・・
私的にはどうしても「さよならをするために」であります。

様々なミュージシャンがカバーしましたよね。
1972年(昭和四十七年)の曲だったんだベル



歳を取ると兄弟似てくるのがあるあるですねチョキ

私的に男性兄弟デュオと言えば「ビリー・バンバン」か「狩人」だなぁべーっだ!

先日、CS放送タカラヅカ・スカイ・ステージを何となく眺めていたら・・・
可愛らしい娘役さんがいて思わず私の目線は釘付けドキドキ

 

 

新人公演ステージトークですね。
月組『ゴールデン・リバティ』の新公コンビですな。
主演は七城雅でヒロインは美渦せいかちゃんって娘役さんかベル

 

 

美渦さんは108期ですから・・・昨年だと研3で初新公ヒロインとなります。
最近では結構早い部類。
美人さんと言うよりも・・・可愛らしい娘役さんでなかなかgoodestドキドキ
誰かに似てるよなぁ・・・と思ったらですね・・・・ 

 

 

上矢印若き日の内藤洋子さんに似ているという私的感想。

キュートなんです。

 

 

新公ヒロインやったんだからイッパシの路線娘役になったんですからねベル
後は・・・バウヒロ→東上ヒロとバリバリ路線娘役路線が歩めるかどうかですなパー

劇団が好きそうな面構えとは言い難いのかも知れませんが・・・
応援したくなる若手新進路線娘役なのであります。
 

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んで・・・朝のタカラヅカ・ニュースで宙組娘役山吹ひばりちゃんが登場したので拝観目 

 

 

こん前に見た宙組大劇場公演で観たひばりちゃん・・・

スタイル抜群だけど少々痩せすぎだよなぁと感じていましたがえっ

 

上矢印こうして映像見るとやっぱし痩せてたよなぁあせる

痩せりゃぁ良いってモンじゃない。

娘役ファンとすれば少々心配になってしまいます。

 

 

上矢印まだ新人さん時代のひばりちゃん。

美少女ですねぇドキドキ

この頃はホンに可愛かった。

 

 

きっと様々な苦労を背負っているんだと邪推してしまいます。

無理せずに頑張れグッド!と懇願してしまいますねチョキ

 

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こん前に宙組大劇場公演を観に行ったんですが・・・

 

 

ショーのフィナーレ男役黒燕尾の冒頭、「海ゆかば」を唄うずんに驚いたのは確かです。

サイトー先生、攻めるなぁ・・・ってねべーっだ!

 

まぁ言っちゃなんだけど、植田紳爾先生がバリバリ元気な時代だったら

決してあり得ない演出だよなぁともね。

 

私もミリオタの端くれですから軍歌としての「海ゆかば」は存じています。

そもそも日本の軍歌には長調の景気の良い曲は無い。

 

ほとんどが悲壮感溢れる情緒的で沈鬱な曲。

決して戦意高揚には成らない曲。

きっと斎藤先生も鎮魂の意味合いでこの歌を持ってきたんだろうなぁってね。

 

 

上矢印でもヤッパシダメだったみたいビックリマーク

「軍歌取りやめ」との記事。

 

まぁね・・・

・サイトー先生も分って演出したんだから雑音に惑わされず意思を貫徹せよビックリマークとも言えるし、

・演出家なんだから攻めて当然、ダメだったら演出替えるのもやむを得ない!!とも言える。

どちらも分るんですけどね。

 

でも前々から演出が変更になるのは良くあるんですけどね。

わざわざ新聞記事になるのが異例であります得意げ

 

再演で内容が変更になる(せざるを得ない)のは日常茶飯事。

例えば宝塚でありがちな「ジプシー」という表現は差別的であるとされ今では無理。

 

私が見た柴田先生の『追憶のバルセロナ』でも雪組初演ではヒロインはジプシーでしたが、

宙組再演全国ツァーでは「ジプシー」は全て「ロマ」と言い換えられていて違和感大汗

 

宝塚90周年記念公演だった花組3本立公演の芝居の『天使の季節』。

植田紳爾先生の作品でしたが・・・

瀬奈じゅんさん演ずるアッサーラ王子の言うことを否定するために

アッサーラ王子はアルツハイマーあせる」いうセリフを連発!!

 

笑いを取るセリフでこれは問題あるなぁと思っていたら・・・やはりネット上で批判があって

東宝公演では「王子はまだらボケだビックリマーク」と改変。

 

21年前当時はボケ老人とかも嘲笑の対象でしたもんねぇあせる

今ではまだらボケという言葉も禁句だしな。

 

私的には9年前の生田先生の『ドン・ジュアン』が忘れられない。

KAAT神奈川芸術劇場公演を観劇したのですが・・・

 

野々花ひまりさん演ずる少年ドン・ジュアンが

母親と(強姦して)近親相姦を犯して母親は自殺・・・

という、スミレコードぶっちぎりの演出に口あんぐり叫び

 

さすがにこれはヤバかったのか、梅芸DC公演では演出改変。

KAAT神奈川芸術劇場公演は映像に残らず「無かったこと」になってしまったと。

これだと主人公ドン・ジュアンの異常さ、アンモラルさが腑抜けに成ってしまうんだよな。

 

宝塚歌劇は保守的ですが演出家なら「予定調和」な演出だけでは無くて攻めて当然パー

ってな訳で、こういうこともあるさべーっだ!

 

P.S.

そう言えば生田先生にお子さんが出来たそうで。

おめでとうございますクラッカー

しっかし、こんなキュートで可愛らしい嫁さんをget出来たんだから羨ましいぜベル

 

 

会津まつり3日目の日曜日は会津若松市七日町にある阿弥陀寺まで

会津新選組まつりに出かけました。

 

 

大町のとこの変則十字路辺りのコインパーキングに車を停めて

歩いてJR只見線七日町駅へ走る人

この辺りには駐車場が少ないので。

 

 

2日連チャンでいわき⇔会津若松間往復300kmドライブする予定ではなかったのですが・・・

この会津新選組まつりのフライヤーを入手して決心しました。

歴史講演会「会津における斎藤一の存在」を是が非でも公聴したくなったからです。

 

 

若松城から大町交差点・七日町通りを経由して柳橋を右折して神指に抜けるルートが

江戸時代の(新潟に至る)越後街道であります。

 

 

この旧越後街道添いにあるのが正覚山阿弥陀寺であります。

阿弥陀・・・ってことで、浄土宗or浄土真宗系の寺院ですね。

 

 

この寺院には東軍墓地があります。

合掌(-人-)

ココには1868年の戊辰戦争における会津戦争の

東軍戦死者1,300柱超が埋葬されてるとのこと。

 

 

新選組幹部であった斎藤一(藤田五郎)のお墓もあります。

合掌(-人-)

 

動乱の幕末維新期を生き抜いた斎藤は大正時代になり東京本郷の自宅で死去。

遺言により東軍墓地のあるこの阿弥陀寺に埋葬されたとのこと。

 

 

阿弥陀寺の重要文化財としてかつて若松城天守閣にあった三階櫓が移転保存されてます。

かつての若松城天守閣は若松城攻防戦での砲撃で中破され明治時代になって解体。

その唯一の遺構がこの三階櫓とのことで貴重です。

一見3階建てに見えますが・・・実は4階構造のかなりのクセモノ的なカラクリ屋敷。

 

 

上矢印かつてこの辺りもいろいろ散策したことがあります。

 

 

今回は中野竹子像のある中野竹子殉節之地まで散歩走る人

 

 

新政府軍包囲下にあった若松城市街地の郊外で無数に行われた小競り合いの1つ、

柳橋の戦いで中野竹子は銃撃され戦死。

首級を奪われないように母親や妹の優子等が

戦死した竹子の首を切断して持ち帰ったエピソードとか凄い話です。

 

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時間になったので阿弥陀寺に戻りまして・・・

 

 

ホントにこぢんまりとした式典でした。

 

 

10時30分から東軍墓地前で会津藩遊撃隊戦没者慰霊祭を挙行。

 

 

天然理念流居合演舞を奉納。

近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八等、

その後の新選組幹部が若き日に修行した試衛館道場は天然理念流だったとのこと。

 

太い木刀(棍棒)での立合はその幕末の時代に行われていたらしい。

可憐な剣術と言うよりも朴訥な力業の剣術だったんだろうなぁ

 

 

この白い稽古着の師範様は近藤勇の甥の子孫の方とのこと。

へぇ~音譜

 

上矢印後ろの草が生えた石の台座にはかつて大きな大仏様が

越後街道から見て横向きに鎮座していたとのことパー

太平洋戦争中の金属供出で失われてそのままになってしまった汗

 

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一旦、七日町の商店街をウロウロ散策してから

午後になって再び阿弥陀寺の境内に戻ってきました走る人

 

 

お昼頃に結構な勢いの通り雨がやって来て大変でしたな雨
斎藤一墓前祭行事が行われる14時頃には降り止んでそこそこ晴れて幸いでした。

 

 

先ずは殺陣新選組の演舞からクラッカー

模擬刀とはいえ切っ先を真正面に受けるとドキッとしますね。

 

 
殺陣師に指導してもらって
息を合わせて練習しないとここまで出来ませんねぇラブラブ
 
 
住職さんの読経から法要始まり。
 

 

お~・・・菅家一郎さん久し振りに拝見べーっだ!

一応、国会議員は引退したのかな!?

大林素子さんも参加していらっしゃいましたが長身の方で驚きますねぇ目

 

 

無外流居合道の演武奉納。

諸説あるようですが、斎藤一の剣術流派は無外流だったみたい。

 

 

この師範の先生の剣術も格好良い。

この先生の御先祖は棚倉藩士で白河口の戦いで戦死されたとのこと。

東北地方にはこのような方が沢山いらっしゃるんだろうなぁ!!

 

 

合掌(-人-)

長らく斎藤一(藤田五郎)の確実な写真は見つからなかったのですが、

10年ほど前に藤田家の蔵から「再発見」されたと。

凄い話です。

 

 

15時10分から本堂の中で歴史講演会開催。

 

 

プロジェクターを使ったパワーポイントでの説明。

いろいろトラブルもあったのですがそれはおいといて・・・

 

 

上矢印レジメ

 

先ずは・・・そもそもの話ですが

今の時期に会津まつりが実施されるのは、会津城攻防戦が終了(会津藩降伏)したのが

1968年(慶応四年)9月22日(旧暦)だったからなんですね。

 

(※ 旧暦の9月22日は新暦だと11月になるわけで、

もう少し粘って冬季戦になれば戦況も変わっていたかもしれない。

勿論、更に凄惨な戦いになっただろうけど。)

 

斎藤一(藤田五郎)の命日は1915年(大正四年)9月28日。

と言うわけで、会津まつりに合せて斎藤一墓前祭も共催されるようになったと。

実は・・・こういう基礎知識も私的には初耳でへぇ~・・・でした。

 

それから・・・

会津若松では「新選組」と「会津新選組」は別組織として考えているようで驚いた。

確かに会津祭りの行列でも「新選組」と「会津新選組」が別々にあってはてなマークでした。

 

戊辰戦争が始まって敗走する新選組が再結集したのが会津で組長は土方歳三。

その後に土方等は会津に見切りを付けて庄内→仙台→函館へと転戦。

 

一方、会津に留まった斎藤一等がこの地に再結成したのが会津新選組だったと。

組長は斎藤一(山口二郎)で隊員は130人程集まったとのこと(思ったよりも多い。)

 

よって会津の人々には「会津新選組」に対する思い入れが強いようです。

この「会津新選組まつり」ですが・・・

「会津の新選組のまつり」と言うよりも「会津新選組のまつり」だったんですねぇパー

ふ~む。

 

斎藤一は1月1日生まれ、

それほど人殺しはしていない、

そもそも会津藩のスパイとして新選組に潜入した・・・らしい。

 

オレさ・・・講演会の演題「会津における斎藤一の存在」ですが・・・

この「会津」を「地域としての会津」「会津藩」という公的意と捉えていました。

 

でも講師の先生の講演を聴いていたら・・・

実質的に「会津人における斎藤一の存在の意味合いの講演会だったんですねぇにひひ

斎藤一に対する思い入れがとにかく凄い。

 

大前提「会津の人達は実直で情熱的で嘘を付かない(嘘を付くのだったら黙る=寡黙)」

小前提「斎藤一も実直で寡黙で喋らない」

結論「よって、斎藤一は会津人である」

と言う三段論法のようです。

 

現在の藤田家の御当主さんも寡黙な人らしいラブラブ

西の人は嘘を付く、「嘘も方便」という言い方もあるし・・・ともわんわん

 

郡山在住時代に酒の席で地元の人から「会津人は閉鎖的で冷たくて嫌いむかっ」と

言われた事があってビックリした思い出がありますえっ

 

会津の人達的にはかつて嘘を付かれて酷い目にあった・・・との被害者意識がまだあって

ヨソ者には容易に心を開かないんだろうなぁとちょっと納得しました。

同じ福島県でも浜通りと中通りと会津では気風も風土も方言も全く違うので驚きますもん。

 

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講演会が終わって七日町通りも少し散策走る人

 

 

渋川問屋。

二・二六事件で刑死した渋川善助氏の生家がココにあったんだビックリマーク

渋川は超優秀な人物だったのに陸軍士官学校時代に教官と衝突して放校。

 

その後も不器用な生き方に終始し、民間人の立場として二・二六事件に自ら突っ込んで

軍事裁判で死刑になってしまうと・・・

 

 

会津地方には清廉な水と米が豊富ですから日本酒の産地ですね。

鶴乃江酒造さんの酒蔵直営店。

 

 

こちらは中通りにも流通してる末廣酒造さんの酒蔵。

 

 

CS放送日本映画チャンネルで見た日本映画「春の山脈」の舞台となったのがココかぁパー

 

 

今回は鶴乃江酒造さんの特別純米会津中将ひやおろしと大小御猪口を購入。

美味しそうでこの御猪口で飲むのが楽しみ音譜