相模野基線を散策する・・・の巻6/29 | 乾パンのブログ

乾パンのブログ

ブログの説明を入力します。

明治維新によって分権的封建体制から中央集権的君主体制へと

パラダイムチェンジを果たした明治政府。

 

喫緊の課題は新生日本帝国のインフラ整備と国防であります。

そのための方策の一つとして・・・

総括的、統一的、正確、精密な地図の作製が絶対に必要です。

先ずは国土を網羅した三角測量網の構築からでっか。

 

三角測量を行うための第一歩はなるだけ長く見通せて

距離測定できるような平坦な直線(=基線)を設定して

その精密な距離を測定することです。

 

基線設置にはなるべく平坦な地形の場所が望ましく

勾配1%以内なら良好、2~3%程度なら許容・・・とのこと。

 

狭隘な箱庭的地形の多い日本にこのような「基線」を設置できる

地形の場所は限られているんですな。

 

一辺の距離さえ正確に分れば後はトランシッド(セオドライト)で角度を測定して

サイン・コサインの三角関数を使って三角点の位置を算出できます。

ってな訳で近代的日本地図作製の第一歩は基線測定からとなります。

 

今回はキャンプ座間に行きがてら、現在の国土地理院作製地図の原点である

相模野基線の散策に出かけました。

 

 

相模野基線の場所はココ上矢印

神奈川県相模原市麻溝台に北端点、座間市ひばりが丘に南端点があります。

その距離は5,200mちょっと。

 

現在では全くの市街地であり見通すのは不可能ですが、

150年前は見通せたようです。

 

皆さんは御存知だと察しますが地球って丸いんです!!

地上から2m程だと地平線は約5km先となります。

それを換算して5kmちょっとの距離を設定したんだと察します。

まぁ櫓を設置することによって望める距離はもっと長く出来たんですけどね。

 

 

日本の近代測量での最初期の基線は那須基線であります。

(北海道にはそれ以前に北海道開拓使による「勇払基線」があったようですが。)

 

 

明治初期の測量事業は内務省地理局と日本陸軍参謀本部陸地測量部の2本立てでした。

(同じ内容の業務を全く違う部署で並列的・対立的に行うってのは官僚主義的です。)

 

那須基線は内務省地理局管轄で英国式で実施され

相模野基線は参謀本部陸地測量部で独国式に実施されたと。

 

その後に日本の地図事業は参謀本部陸地測量部で一本化。

現在の国土地理院は参謀本部陸地測量部の直線的な後継組織となります

 

よって那須基線はその後程なく忘れ去られ(昭和初期に再発見)、

一方の相模野基線が現在まで連綿と続く測量事業の「原点」となったという塩梅です。

 

 

小田急の相模大野駅で下車。

昭和初期(昭和十三~十六年頃)には「通信学校前」という駅名でした。

日本陸軍の通信学校があったんですね。

 

 

駅から歩いて15分程で相模女子大学正門到着チョキ

如何にも由緒ありそうな正門ですが・・・ここが戦前期まで日本陸軍通信学校でした。

 

そもそもは豊多摩郡中野町ってとこにあった陸軍通信学校ですが、

関東大震災によって中野町が急激に市街地化して演習が困難になって・・・

昭和十三年にこの地に移転になったそうです。

 

現在の相模女子大構内も様々な当時の軍事遺跡が残っているようですベル

しかし第三者の男性が女子大の中をプラプラ自由に散策して写真を撮りまくるのは・・・

限りなくハードルが高い行為です叫び

 

正門の外から写真を撮る私に対して守衛さんが睨んでるショック!

ある意味、自衛隊の駐屯地や在日米軍基地に入るのよりも

女子大学の構内に入る方が難しいなぁガーン

 

 

相模女子大学は創立125周年ですかべーっだ!

そもそもは帝国女子専門学校といういかめしい校名だったようです。

 

まぁ宝塚歌劇ファン的には相模女子大学グリーンホールですかグッド!

全国ツァーの「小屋」とすれば定番ですからね。

 

~~~~~~~~

 

じゃぁ相模大野駅に戻るとバスに乗って相模野基線北端点へラブラブ

 

 

麻溝台中学校入口げ下車。

麻溝台と書いて「あさみぞだい」なんですね。

 

兎に角、道が狭いのに驚いたショック!

大型路線バスが走るのは無理矢理ですあせる

 

 

バス停から3分ほどにある猫の額ほどの空き地にゃー

 

 

ココが相模原市指定史跡相模野基線北端点でありますチョキ

 

 

北端点⇔南端点まで5209.9697mだそう。

この数値は1885年(明治十五年)当時の測定距離で

確か1923年(大正十二年)の関東大震災の時に20cmほどずれたんじゃなかったっけはてなマーク

 

どんなに精密に距離測定しても日本は定期的に巨大地震が訪れます。

地面が動くわけですから是非に及ばずですビックリマーク

 

 

相模野基線北端点は一等三角点です。

三角点と言えば見通しの良い高い場所にあるのがセオリーですがね。

今はGPS測量ですから空が見えれば周囲が囲まれていてもOKですか。

 

 

南南東のこの方向に相模野基線南端点があります。

1885年当時は見通せたんでしょうけどねにひひ

 

~~~~~~~~

 

じゃぁ麻溝台中学校入口バス停から再びバスに乗って小田急相模原駅へパー

 

 

相模原病院はかつての日本陸軍第三病院。

隣には在日米軍相模原住宅があるし・・・相模原は軍都だったんだなぁわんわん

 

 

神奈中バスも乗る機会はなかなかないなぁ汗

でも狭隘な道路を巧みに走る運転手さんには頭が下がりましたベル

 

 

小田急相模原駅から歩いて15分程の市街地。

 

 

武蔵野基線中間点がありますラブラブ!

 

 

古この道路は相模野基線に沿って走っているのを確認グッド!

 

 

武蔵野基線中間点のモニュメントありベル

 

 

下溝村と座間村を結ぶ相模野基線を基に三角網を構築していったのがよく分かりますベル

 

 

かつては第1中間点や第2中間点も存在していたようですね。

 

 

相模野基線は土木学会選奨土木遺産でありますラブラブ!

 

 

相模が丘仲よし小道という遊歩道。

何かイワレがありそうですな。

 

~~~~~~~~

 

じゃぁ小田急相模原駅から小田急に乗って南林間駅へ電車

 

 

小田急の駅には「Odakyu OX」なるスーパーマーケット多しチョキ

西武で言えば「SEIYU」のような高級感漂うスーパーでありますベル

 

 

林間都市計画かぁ・・・

人が多く住む場所に鉄道を通して駅を作るのでは無く、

人が住まない郊外の原野に鉄道を敷いて駅を作って後から都市建設を行う・・・

 

東急(五島慶太)・西武(堤康次郎)・阪急(小林一三)等々が有名ですが、

小田原急行電鉄でもやってたんだなチョキ

 

 

では駅から西に歩いて15分程のスーパーマルエツ。

 

 

そこの横道を入った病院の敷地内ですが・・・

 

 

座間市指定重要文化財相模野基線南端点であります。

 

 

北端点と同様に建設省国土地理院の標識もあります。

 

 

自分の家の敷地内に重要文化財があるって・・・どんな感じなのかなわんわん

 

 

しっかし、一等三角点が公共施設や大企業の工場敷地内にあるのはまだしも

一般住宅の民地の中にあるって・・・いろいろと諸事情があるんでしょうなベル

 

 

オードムーゲとは何ぞなえっ