「栃木・群馬・埼玉の三県境」を散策する・・・の巻 | 乾パンのブログ

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日本の47都道府県のうち、北海道と沖縄県を除く全ての都府県は県境で他都府県と接しています。

当然ながら三つの都府県がY字形に接する、通称「三県境」も多く存在します。

 

ネットを見ると・・・その「三県境」について研究されているサイトが結構多くて驚きますねえっ

何でも日本には48カ所の「三県境」があるそうです。

なお、日本には都府県境界が十字型になった「四県境」はないみたいですなニコニコ

 

 

アメリカ合衆国にあるコロラド州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、ユタ州が「四州境」で接する

通称「Four Corners」ですか・・・

直線状なのは人工的に州境線を引いたってことでしょうねぇビックリマーク

日本では考えられませんね。

 

上矢印図を見て不図思いましたが・・・ラスベガスってロサンゼルスと近いですなパー

いやね・・・NFLのL.A.レイダースが今年からラスベガス・レイダースへと本拠地を移転して驚きましたが、

これだけ近ければロサンゼルスのレイダースファンもラスベガスまで応援に行けるなぁ・・・ってね。

 

MLBのドジャーズがブルックリンからロサンゼルスへと移転した時はさぞかし大騒ぎだったでしょうなぁドクロ

東海岸から西海岸だもんなぁ・・・

 

 

で・・・日本のほとんどの「三県境」は山岳地域の山頂もしくは尾根上、

あるいは河川の中と言った、通常では人が行けない場所にあるのですが、

1カ所だけ、容易に人が近づける場所があります。

 

 

上矢印場所はココ。

北関東地方における古河と小山と佐野の間ぐらい。

 

上矢印

 

渡良瀬遊水地の直ぐ側に栃木・群馬・埼玉三県境が有ります。

少なくても日本で駅から歩いて10分で行ける「三県境」は間違いなくココだけですベル

ってなわけで・・・行ってきました車

 

 

須賀川ICから東北自動車道に乗って館林ICで下車。

 

 

渡良瀬遊水地中央駐車場に車を駐めて三県境へ走る人

 

 

標識が無いと全く分らない場所にあります。

 

 

遊歩道があって微妙に観光化されてますなクラッカー

 

 

ハイ、栃木・群馬・埼玉三境界に到着恋の矢

 

 

小さな用水路の中にある境界杭が三境界。

手前は栃木県、左手は埼玉県・右手は群馬県。

栃木・群馬・埼玉を三歩でグルッと回れます。

 

 

三県境の境界杭。

栃木県栃木市・群馬県板倉町・埼玉県加須市と刻印されていまして・・・特注ですねぇラブラブ

 

 

田んぼの真ん中にある変哲も無い場所なんですけどね・・・

下矢印は埼玉大学教育学部人文地理学研究室谷謙二先生の

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」を参照させて頂きました・・・

 

 

左側は1907年(明治四十年)測量の地図。

渡良瀬遊水地が出来るまでは三境界は渡良瀬川の中にあったことが分ります。

グチャグチャした栃木県と埼玉県の県境も昔は河川に沿ったラインであることがよく分かります。

 

現代地図と古地図を並べて眺めると、時代の変遷による地形の変化が楽しめますね。

谷先生の「今昔マップ on the web」はホントに凄いや音譜

 

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ついでに渡良瀬遊水地渡良瀬第一貯水池(谷中湖)も散策。

 

 

池の中は車両通行止めで歩行者自転車のみ通行可能。

 

 

中では何事かイベントの準備!!

自転車持ち込んでいる方も多数。

 

 

渡良瀬遊水地はトライアスロンの開催地として有名なのかなベル

 

 

自転車・マラソンはともかく・・・

このクソ寒い中を水泳なんて正気の沙汰とは思えないぞ叫び

 

 

東を望むと・・・筑波山がウッスラ富士山

 

 

アッチコチに気球も飛んでいましたUFO

渡良瀬遊水地は広い空き地なんですね。

 

 

谷中湖にはかつて谷中村がありまして・・・

足尾銅山鉱毒事件の舞台となった場所。

 

日本最初の公害事件ですかね。

いわゆる公害という概念が初めて一般化した事件。

田中正造の名前も日本の歴史漫画で読んで知っていました。

 

谷中村は廃村となり、その跡地に造られたのが有害物を沈殿させるための貯水池。

これが現在では首都圏を守る治水の要となる渡良瀬遊水地となっているわけですから。

ホントに立ち退きした(せざるを得なかった)谷中村の村民の皆さんには感謝しかないですチョキ

 

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堤防沿いにもうちょっと南側を散策走る人

 

 

渡良瀬遊水地の要中の要である渡良瀬貯水池水門。

 

 

この先は立ち入り禁止。

 

 

この先にはアスファルト舗装に覆われた渡良瀬越流堤。

堤防に比べて少し低くなった場所。

 

台風豪雨により渡良瀬川の水位が高くなり決壊危険水位に至ると、

この越流堤を越えて渡良瀬遊水地に雨水が流入する仕組み。

正にキモです。

 

 

んで豪雨が去って渡良瀬川の水位が下がると、

今度は水門を開いて渡良瀬遊水地に溜まった雨水を渡良瀬川に放流するって段取り。

越流堤(堰)と水門はペアで成り立つ治水構造物ですな。

 

 

 

愛知県在住時代に庄内川の新川洗堰を散策したことを思い出しました。

越流堤(堰)って単純だけど味わい深い治水施設です。

洪水危険時に越流堤(堰)が壊れたら、下流域は一巻の終わりですからね汗

 

 

んで、堤防に1947年(昭和二十二年)のカスリーン台風決壊口の史跡あり。

 

 

昔から利根川流域のこの場所は洪水のネックポイントだったんだなぁ

去年の台風19号の時も渡良瀬遊水地と八ッ場ダムがほぼ満水にした効果により

辛うじて首都圏域は洪水から免れたようだし・・・

 

インフラ整備でも治水は特に大事な事業の1つです。

50年に一度の台風が毎年訪れる世の中ですからね。