白河関に行く・・・の巻Vol.2 | 乾パンのブログ

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昨日は白河ラーメンを食べた後、国道294号線(旧奥州街道)を南下し白河関に行ってきました。

場所はココ下矢印

 

 

古代東山道と比定している県道76号線の方の白河関は昨年の今頃訪れました。

今回は江戸時代まで五街道の1つだった奥羽街道(陸羽街道)の方の白河関です。

 

延喜式なんかで描かれている古代官道時代の東山道は県道76号線の方で、

中世のある時期から国道294号線の方に移ったということなのかなはてなマーク

明治時代に開通した現在の国道4号線も含めて、栃木・福島県境の白河関は3つあることになります。

 

白坂宿を越えて直ぐの場所。

 

 

二車線道路がこの峠だけ狭くなっていますね。

 

 

ここが栃木県と福島県の県境。

 

 

栃木側に出でて振り返るとこんな感じ。

 

 

従是(これより)北白川領の石柱。

 

 

栃木懸那須郡

福島懸西白川郡

の標識。

いつの時代のモノだろうはてなマーク

 

 

何だか万事、福島県側の方が一生懸命で、栃木県側はおざなりな感じですガーン

まぁ北側にとって白河関は都に続く道の入口であり、

南側は地の果てへの出口ってなイメージなのかなべーっだ!

 

 

白河二所之関址の石碑。

昭和になってから造られたようですね。

 

ココの境明神は下野側と白河側で二社並立になっているんですねぇ

同じ峠で2柱の神様がおるということ・・・

 

 

こちらは福島県側の境明神。

 

 

どうやら住吉神社系のようですな。

 

 

こちらは栃木県側の境明神。

 

 

こちらは玉津島神社系みたい。

フムフム。

 

 

写真では全く写っていませんが、思ったよりも通行車両が多くて驚きました。

大型トラックがバンバン走り回るえっ

峠ってスロープの向こう側が全く見えませんから、車道を歩いてウロウロするのは危険ですひらめき電球

 

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帰りは陸羽街道の河北に入って初めての宿場である白坂を散策しました。

 

 

白河宿の奥州街道南側の木戸があった場所。

白河市は文化保存に熱心なようです。

良いですね音譜

 

 

「戊辰戦役旧大垣藩士酒井元之丞戦死之跡」の石碑。

白坂宿の南側木戸の直ぐ外側にあります。

 

酒井重寛(元之丞)は新政府軍大垣藩銃隊長で、

1868年(慶応四年)5月26日にこの場所で銃弾を胸に受け戦死したそう。

 

明治時代になってから元之丞の妹によって建立された石碑。

合掌(-人-)

大垣藩で酒井さんですから藩主の血筋の人なのかなはてなマーク

 

〈補記〉

上記、大垣藩の藩主様は戸田さんでした。

私の勘違いです叫び

酒井さんは奥羽越列藩同盟で最過激且つ最強の庄内藩の御殿様でしたわ・・・

 

 

凄いのは街道沿いに江戸時代に住んでいた家の屋号が表示していること。

桔梗屋さん。

 

 

越後屋さん。

 

 

筒井屋さん。

 

昔の農村には苗字の外に屋号があったようですからね。

○○屋ってヤツ。

今でも歌舞伎なんかでは残っていますが・・・

 

屋号って言うと横溝正史「悪魔の手毬唄」での錠前屋とか枡屋とかの印象が強烈でして・・・

なかなか面白いです。

 

 

白坂宿の中心に本陣跡があります。

本陣に住んでいたのは白坂という名前の家で屋号は河内屋とのこと。

 

そもそもは白河結城氏の家臣だった佐藤さんがこの地を治めるために移り住み

江戸時代も後期になってから白坂と名乗った。

 

その後戊辰戦争では家主が新政府軍に殺害される等を経て、

昭和になって事業の失敗から白坂家は破産、東京に移動となったとのこと。

凄い歴史だ。

 

 

古道は道沿いに由来がありそうな石塔や石仏が多いです。

きっと一つ一つに歴史があるんだろうなぁ・・・

 

ホントは歩いてジックリ散策したいところですが、公共交通機関が皆無な場所なんでねハートブレイク

どうしても自家用車利用となります。