白河関に行く・・・の巻 | 乾パンのブログ

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前々から一度行きたいとは思っていたのですが・・・

今日は白河市にある白河関(比定地汗)に行ってきました車

 

いわゆる奥州三関(勿来関、白河関、鼠ヶ関)の一つ。

白河関は関東地方から陸奥に至る東山道の要所にあった関所で、

蝦夷の「反乱」に悩まされた古代律令国家日本にとっては重要な「防衛施設」だったようです。

 

 

白河の市街地と白河関の位置関係は上図の通り。

 

そもそもの古代官道であった東山道は栃木県那須郡那須町伊王野から旗宿を経て

主要県道76号線を通って白河に至っていた(らしい)

 

それがある時期から白坂宿を経由する奥羽街道(旧奥羽街道)がメイン街道となり、

明治初期になって黒川で県境を越える現在の国道4号線が開通したとのこと。

 

 

県道沿いにある白河神社が白河関の比定地となっています。

白河関は5世紀頃に設置されたと言われていて、平安時代の11~12世紀頃には廃絶していた模様。

その後、場所が不詳となってしまいます。

 

 

史跡白河関跡」の石柱あり。

左手にある手水舎の手水が凍結してました雪の結晶

寒いカゼ

 

 

古関跡の石碑。

この地を白河関と断定したのは、あの松平定信さん。

皆さん、寛政の改革は歴史の時間で習いましたよねはてなマーク

 

改革のやり過ぎで失脚した定信は領地であった白河藩に引きこもり今度は藩政改革に臨みますが・・・

幕政では上手くいかなかった定信ですが白河藩程度の大きさだと一定の効果はあったよう。

 

博学であった定信は過去の文献をつぶさに検証して、白河神社のこの地を白河関としたとのこと。

現在では考古学的発掘により、この地に砦状の施設があったことは確認されていますが、

旧奥州街道沿いに白河関があったという説も根強く残っているそうです。

 

 

石段は凍結していて滑りやすかったあせる

夜中に来たら怖いだろうなぁ

 

 

拝殿は鉄パイプの足場が組まれていて改修中でしたビックリマーク

 

 

空堀が残されていて、何らかの防御施設があったのは確実な模様。

 

 

雪の上には何らかの生き物の足跡あり。

猫には明らかに大きすぎるし、犬にしてもガッチリした大型犬っぽいけどそんな野犬っているかはてなマーク

今年が干支のあの野生動物の皆さんかもしんねぇなぁにひひ

 

 

芭蕉と曽良の銅像もあり。

「奥の細道」で有名な芭蕉ですが、江戸初期の人ですから確実にこの道ではなくて

旧奥州街道の方を通ったと思いますがガーン

 

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更に県道76号線を奥に進んて、福島・栃木の県境へ。

 

 

ここも明神峠というみたい。

 

 

峠の栃木県側に神社あり。

かつては福島県側にも神社があって二社並んでいたとの説明板あり。

 

 

福島県側には「従是北白川領」の石柱が建っていました。

白河以北一山百文でしたっけ!?

戊辰戦争で後手踏んだのが、その後の東北地方に大きな瑕疵を残したんだよなぁ・・・

 

 

こういう峠って面白いよなぁラブラブ

特にここは関東と東北の境界だし。

異世界への扉といった感じがします。

 

 

峠の福島県側は2車線の立派な道路なのに・・・

 

 

栃木県側は未改良のグニャグニャ1.5車線道路ってのも面白いね。

関東地方にとっては道の奥(みちのく)でも、東北地方には都への扉ってな気がしましたぜ。

 

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帰りに白河駅裏にある白河小峰城にも寄り道しました。

 

 

戦国大名結城氏のお城だったのが、秀吉の奥州仕置で改易か・・・

その後、徳川氏の譜代大名でたらい回しにされる白河藩・・・

 

 

石垣が予想以上に立派なのに驚きました叫び

 

 

天守閣は戊辰戦争で失われてしまい、昭和になって再建した模様。

実は白河城攻防戦は戊辰戦争の天王山であり最も激戦だったんですねぇこれが。

 

 

城下町も戊辰戦争で焼失したそうです。

 

 

不思議だけど、高い城壁と外堀を有する近世城郭は

19世紀の近代戦争でも一定の防御効果はあったんですね。

ライフル銃は普及していたものの、野砲の威力が著しく向上するのは20世紀に入ってから・・・ですか。

 

 

P.S.

 

 

白河警察署のゆるキャラですかな汗

だるま隊長ニコニコ

このだるまさん、右手があるんだけどべーっだ!