「20年ぶり紙幣刷新」ですか・・・の巻 | 乾パンのブログ

乾パンのブログ

ブログの説明を入力します。

今日の郡山は午前中から冷たい雨が降り始め、夕方にはそれがみぞれとなり、

今は結構な勢いで雪が降っています雪

4月になって雪かぁ・・・です汗

 

 

3月末からの陽気で郡山でもスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに履き替えている方多数。

いくら冬道に慣れている地元の方とは言え、ノーマルで雪の中を走るのは無謀もいいとこ・・・

 

十分に注意が必要です。

積雪地では4月になっても雪降るんですねぇ雪の結晶

もうちょっとスタッドレスを履いておかなくちゃねにひひ

 

 

何でも20年振りに日本銀行券が刷新されるそうで・・・音譜

結構な話題となっています。

 

 

2024年度(令和六年)発行というわけで、まだまだ先のですねぇえっ

まぁ今はいろいろな準備で時間が掛る時代ですからね。

 

 

1万円札・・・渋沢栄一

5千円札・・・津田梅子

1千円札・・・北里柴三郎

 

朝の仕事前に同僚の皆さんと新聞見ながら雑談しますと・・・

この3人とも知らないという人多数叫び

 

信じらんねぇ・・・

みんな、日本の近代史を真面目に勉強してたんけパンチ!

 

アレだよねぇ・・・渋沢栄一って・・・

土佐藩の勤王志士で、維新後は財界に転じて、三井の番頭と呼ばれて、

日本の郵便制度を創設したですよねはてなマークはてなマークはてなマーク

 

う~んあせる

私は渋沢栄一後藤象二郎岩崎弥太郎益田孝前島密を混同してましたショック!

情けないですガーン

 

つーか、渋沢栄一を万札の顔に持ってくるってやっぱし、渋いよなぁ・・・渋すぎるグッド!

 

 

津田梅子は日本最初の女子留学生として、なんと9歳で渡米。

日本に帰国後は女子教育に尽力して、現在の津田塾大学を創立した人。

 

幼少期で渡米し10代をアメリカで過したため、

帰国後は明治初期の日本の風土・気風・習慣に馴染めず、相当に苦労したようです。

生涯独身を貫いたのも、当時の日本特有の家族制度を嫌っていたがゆえとのこと。

 

私が梅子に興味を持ったのは・・・共に留学で米国に渡った大山(山川)捨松の存在ですね。

郡山に転勤して(喜多方ラーメンを食べに)足繁く会津地方に通ううちに、

山川浩の実妹であった大山捨松にも興味を持っていろいろ調べました。

梅子と捨松は生涯の親友だったようですからね。

 

捨松も・・・大山巌の「強引な押し」がなければ、きっと生涯独身だったのではないかなはてなマーク

大山巌も捨松も、英語・仏語・独語がペラペラな、当時とすれば超インテリだったわけで、

二人の出会いもまた運命だったんだろうと。

 

梅子にはそんな機会がなかったのかもしれませんが、捨松は梅子より三歳年上で渡米しており(12歳)、

この僅かな幼少期の日本経験差がこの二人の人格形成に大きく影響したんじゃないかってね。

 

そもそも私が興味を持ったのは・・・大山巌と捨松の息子だった大山柏の人生ですけどね。

父親が偉大な軍人だったがゆえに職業軍人の道を歩まなければならない運命だった柏ですが、

考古学に熱中するダメ軍人。

桃栗三年、柿八年、大山大尉は十八年」と称されていたようで・・・

 

やっとこ退役して考古学に熱中するものの、WWⅡの戦災で全ての資料が失われる悲劇ハートブレイク

戦後は慶応大学に奉職して戊辰戦争史の編纂に尽力すると・・・

凄い人生だったんだろうなぁってね。

 

 

北里柴三郎は日本の医学に尽力した偉大な医学者。

ドイツに留学してコッホに師事し、破傷風やペスト菌の研究で有名な人。

 

当時の日本医学の主流からは外れた人で、福沢諭吉からの援助に報いるために、

慶応大学医学部の設立に尽力・・・

 

医学界って意外と「古くさい」気風があって学閥が今でも相当に残っている分野。

白い巨塔」と揶揄される所以ですな。

東大、京大の二大学閥の中で、今でも私立のなかでは慶応が最も有名ですからねぇ

 

青山霊園にお墓があって参拝してきました(-人-)

著名な人だと思っていましたが・・・知らない人も多いんですねぇ!!

 

 

500円硬貨も刷新ですか・・・

へぇべーっだ!

 

皆さん、岩倉具視の500円札を覚えていますかはてなマーク

小学生時代の500円は大金でしたからねぇドンッ

 

なお。私は板垣退助の100円札は覚えています。

まぁ100円でも貴重なお金でしたな・・・当時の私にとってはね。