土曜日は東京都府中市民球場に行くのに、久しぶりにJR武蔵野線の府中本町駅で降りてみました。
かつて・・・埼玉県所沢市在住時代は飛田給にあるアミノバイタルフィールドまでアメフトを見るために、
所沢から秋津でJR武蔵野線に乗り換えて、更にJR府中本町駅~京王帝都府中駅を歩いて連絡して、
飛田給に通ったモンでした
府中本町駅前の小さなロータリーはあの頃と全く変りませんな
土日の武蔵野線は府中競馬場に通う競馬ファンで一杯ですが、
その方々は競馬場口の臨時改札口の方を利用されます
駅前には「国史跡 武蔵国府跡」が整備されていて驚きました
15年前は・・・ココにあったっけ
かつての武蔵国は中山道に属していて、その中心はさきたま古墳群なんかでお馴染みの
埼玉県行田市付近だったようです。
武蔵国造の乱なんかもありましたからねぇ
それが律令制度が整備されつつある大和朝廷によって武蔵国の国府が府中市に設置され、
この地が政治の中心となります。
思うに縄文海進の影響って後々まであったんではないかな
古代日本の平野には湿地帯が延々と広がっていて、
それが開発され始めたのは古墳時代でも後期となる6世紀以降であったと・・・
なんてね。
どうでしょうか
かつて・・・8~11世紀頃に武蔵国の国府があった場所ですね。
いわゆる國衙(官庁・役所)があった場所。
府中って、ココの地名からも察することは出来ますが・・・
史跡として整備されています。
これはGJですよ・・・府中市さん
かつての国司館が1/10で再現されています。
フムフムと・・・
管理事務所で武蔵国府スコープなるものを貸し出していて、
このヘンテコ道具を覗くと1,000年前のこの地をVR(ビルツアル・レアルツイ)として体験出来ます。
すんげぇよ・・・文明開化とはこのことだぜ
でも・・・覗くと酔っ払っちまうので私的には閉口モンでしたけどねぇ
この地は多摩川左岸の段丘崖の上で、昔はこの場所から多摩川が見えたはずだけどねぇ
多摩川にさらす手作りさらさらに なにそこの児の ここだ悲しき でしたっけ
昔は悲しい=恋しいだったようで、ほとんどの恋は悲しい結果になるのは、古今変らずかもな
武蔵国府跡の北側には・・・かつてイトウヨウカ堂があったんですけどねぇ
はココで食べ物や飲み物を買って飛田給に行ったもんだったけどなぁ
今はボーリング場やパチンコ屋さんのようです。
隣にある大国魂神社。
かつては武蔵国の総社だったとは・・・
しだれ桜が満開でした。
東京は温暖なんですねぇ
参道も散歩して楽しい
デカい銀杏の木も沢山あります。
秋は銀杏でさぞかし臭いだろうなぁ
歩道の植樹帯にはナガミヒナゲシが沢山実を付けていました。
私が現在住む郡山では・・・ほとんど見かけることはありません。
ケシの花って綺麗ですよねぇ
私が最も好きな花の一つです。
ホントはもっとデカいケシの花を見てみたいんですけど、
諸事情あってなかなか見ることが出来ないんですよねぇ