去年の12月30日ですが東京府赤坂区にある青山霊園に行ってみました
主な目的は解放運動無名戦士の墓を散策したかったからです。
大きな青山霊園で特定の墓標(石碑)を探すのは困難なのですが・・・
帝都営団地下鉄千代田線乃木坂駅前にあるのですね。
なんと直ぐに見つけました。
合掌(-人-)
そもそもは細井和喜蔵の慰霊碑(墓石)だったんですね。
細井と言えば・・・「女工哀史」ですかね
特権的ブルジョワジー(帝国主義的国家権力)の徹底した搾取により悲惨な状況に置かれた
紡績工場の女性労働者の状況を余すところなく描き出したルポルタージュの傑作。
「あゝ野麦峠」の世界
私も学生時代に読みました。
ただし矢鱈と統計図表が多い本で読み辛かった思い出があります
現在では日本国民救済会が管理しているのかな
この手の解放運動・革命運動・社会運動に関わった方々の慰霊碑は
日本にたくさんあるようですがほとんど忘れ去られていますな
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青山霊園って様々な分野の様々な著名人のお墓がたくさんあります。
少し歩いただけでも知っている方の墓標がザクザク
何でも日本史に残るような有名人のお墓を効率良く巡ると6時間程度かかるとのこと
但し、「普通の方々」も多数お墓参りされていましたから、あまりウロウロするのも宜しくはないようにも感じましたが・・・
乃木希典大将のお墓。
日露戦役で戦死された2人の御子息の墓石もありました。
忠犬ハチ公の碑と、飼い主であった上野東京帝大教授のお墓。
暗殺された大久保利通公の墓。
総理大臣を務めた加藤高明伯の墓
ポーツマス条約全権大使であった外務大臣小村寿太郎侯の墓
「土木県令」と称された三島通庸の墓。
デカいね。
北里柴三郎男の墓
右翼の巨魁、頭山満のお墓もありました。
有名無名の軍人のお墓もたくさんありますね。
陸軍大将松村務本のお墓。
日露戦役の旅順会戦の時に第1師団師団長だった方。
その後、満州で戦病死。
青山霊園の南端には防護巡洋艦畝傍失踪事件の犠牲者の慰霊碑があります。
1886年(明治十九年)シンガポールを出港した巡洋艦畝傍はそのまま行方不明となってしまいました・・・
畝傍の慰霊碑の隣にあるのは水雷砲艦千島の砲身。
1892年(明治二十五年)に水雷砲艦千島は英国商船と衝突して沈没しますがその慰霊碑となります。
外国人の方のお墓も纏まってありました。
土葬文化だとこういうお墓なんですねぇ
と言うわけで、眺めていると飽きないのですが・・・
案内板は一切ないので自分で歩いて散策するしかないです。
まぁ不謹慎ではありますが、散歩にはなかなか興味深い場所だと私感じました。