畑の中に突然現れたコンクリートの塊
これなんだと思います
ここは太平洋戦争中、旧大東町の海岸にあった日本陸軍の大砲発射試験場の跡なんです。
正式名称は「東京第一陸軍造兵廠 遠江射場」と言って、戦争中に陸軍が半強制的に畑を摂取し、新しい砲弾の威力や性能をテストをしていたそうです。当時のこの辺りは見渡す限りの砂地であったことが想像できるので、これほど真っ直ぐな地形は大砲のテストにはグンバツ(死語)だったことでしょう
畑を荒らさないよう注意しながら先ほどの建物に近寄ってみました。これは信管検査観的壕だったそうで、砲弾の信管の検査場よくわかりません。
この付近には射場に関係した建物が残されていてあちこちにその面影を見ることができます。
こちらは道路脇に残る司令所、送信室、電源供給室を兼ねた建物で、射場のメインだったと考えられます。
海に向かって進むとビニールハウス脇にはドーーーンとコンクリートの砲座跡が
これが大中小と三つあり、大きさの異なる大砲が乗せられていたんでしょうね。
バイクと比べるとその大きさがわかると思います。
海に向かって分厚いコンクリートのトンネルが伸びています。厚さは40センチ近くあり防空壕を兼ねていたんでしょうか?
戦後80年近く経つと老朽化のあとが所々見られますが、どの建物も意外としっかりしていて当時の日本の建築技術の高さが窺い知れます。もしかしたらコンクリートにも品質があって、その中でも高級なものが使われていたのかも知れません。(ちゃんと鉄筋も入っているし)
このトンネル内に書かれた落書きで「美桜浜岡」って久しぶりに見たわ(笑)
トンネル脇に高射砲電源供給司令所跡。頑丈な鍵が掛かっていて中の様子は見えませんでした。ここも重要な建物だったらしく厚いコンクリートで作られています。
駿遠線からトロッコに乗せられて運ばれた物資はこのプラットホームで降ろされていたようです。
その向かいには砲哨が残されています。無断で立ち入る輩が多いらしく、注意書きの看板がありました。(私は入っていませんよ)
さて、ここから発射された砲弾の行方が気になりますよね
それが下の地図です。
なんと、10キロ離れた旧浜岡町に「池新田トーチカ」と呼ばれる着弾観測所が残されているんです
少し前の新聞に載っていてご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、雑草に覆われて放置されていたこのトーチカを地元の方々が綺麗にして文化財として保存しているそうです。
詳しくはこちらを読んでください
ちなみに私は「うしろゆびさされ組」のファンでした。
トーチカ裏側にある砲弾から身を守る細いのぞき穴が緊張感ですね。
のぞき穴の内側はテーブルなようなものがあり、天井には丈夫そうな梁が渡されていました。コンクリートの厚さが数十センチあるとは言え、この中で自分に向けて発射された砲弾の観測なんて、、、怖くて私にはできません
実際発射地点からここまで150号線を走ってみると、その距離の長さに驚きます。戦争に負けたとは言え、日本軍の大砲の弾って遠くまで飛んだんですね。さらに、先ほども書いたように80年も風雨や塩害に晒されているにも関わらず、未だにしっかりとした建物として残っている当時の建築技術の高さにも驚きました。
今回は二回に渡り遠江に残された史跡巡りをご紹介しました。
まだまだ県内には興味深い場所があるはずなので、これからもみなさんにお伝えできればと思います。(誰だよw)