201803/03撮影 伊勢市神宮、内宮、正宮荒御魂宮参道 大杉

この大杉は神宮内宮、正宮参道の御神域に生えている大杉群の中でも一番、参詣者の方々の記憶に残っている鉾杉ではないでしょうか。
コモの巻かれた根回りの巨大さもそうですが、巨大杉自体が放つオーラというか、その威厳の大きさから、この杉を目にした方々は皆、この杉に触れてパワーを戴こうと手を触れて樹皮を撫でられるようで、それがとても多いために人の背の高さから手の届く範囲はもう、樹皮はツルツルになっています。
ですが、これから正宮へお参りされて、この杉を目にする方々はここでちょっと考えてみてください。古くからのご神木で、たぶん正宮を守護成されている、それも筆頭格の眷属さまで有られるでしょうから、多少のことでは動じられない大杉さまだと思います。
とはいえ「ご神木」それも正宮に有られる「有数の巨大樹」ですから、たとえ「正宮をお参りし大神様へ合掌された清浄な手」であろうと無闇矢鱈に「体」に触れられるのはあまり良い感じは成されないでしょうし、なにより!!、私たちが勘違いしてはならないのは、私たちの「手」は気/力を放つ/出す「場所」で、取り込む場所ではない!!!、ということです。
パワーを体に取り込む場所は「手」ではなく「頭」であり「上半身」ですから、大杉に触って手からパワーを戴くつもりで摩ったりしてみても、手からはパワーは入ってきません。「キリスト」さまの御画を思い出していただけると、よくわかると思います。
逆に大杉にしてみれば触った方の手から出された色々な物を感じ取ってしまうのではないのでしょうか。加えて、神社のご神木に「抱きついたり」してパワーを頂戴しようとする方もおられますが、ああいう行為もどちらかというと無意味で、ご神木にとっては、はた迷惑なことでしょうし、折角、力を授けようとして頭上から力を降り注いで進ぜようか・・、と思われても「此奴なんと、失礼な!や~めた!」と思われてしまうかも知れません。
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この大杉の根元はこのような姿となっています。正宮の御神域、それもご神木に浮き出ている「自然の造形」なので悪いものなどでは全くなく、むしろ、正宮を御参詣されたあと、人々の「さあ、これから新たに踏み出そう!」という多くの思いや気が、図らずもご神木に触られた「手」から出されて結像されて現れてきたものではないのでしょうか。
まるで、大杉から抜け出して、今にも駆け出しそうな姿です。人々の思いの結実したものと考えると、始めて目の当たりにするとギョッとしたり畏怖を感じたりもしますけれど、落ち着いてよく見ると、実に躍動的で力強さを感じられる「自然の造形」であり、むしろ「美しさ」さえ感じますよね。
ただ、大杉にしてみては「皆の気持ちはようわかっておる、だからこれを結像させたのじゃ、なのでもう触れてくれるなよ」との意思表示かも知れませんけど・・。
〃 正宮荒御魂宮社とご神域杜

日中となるとひきも切らず「現世でのお願い」を成される方々で途切れることない荒御魂宮参道ですが、この日は早朝のこともあって、参拝成される方がおられない時間もありました。「神さま独り占め」とはなんともおこがましい次第ですが、とても贅沢な空間/時間を体感させていただけた一時でした。
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この立ち位置で頭上を見上げますと、あれだけの巨木が茂る原生の御神域の杜でも大神さまの与えてくださる、ご慈愛溢れた陽の光と空間に溢れる清浄な気力が、木々の間から燦々と降り注がれ続けているのが体感出来ました!!。