南北朝時代
1336年(延元1・建武3)後醍醐天皇が大和国吉野に入ってより、92年(元中9・明徳3)後亀山天皇が京に帰るまでの57年間。南朝(大覚寺統)とが対立抗争した。それ以前の建武政権期を含めて言うことも多い。
南朝
日本で、南北朝時代、吉野・賀名生などにあった、大覚寺統系の後醍醐・後村上・長慶・後亀山天皇の朝廷。吉野朝。
鎌倉末期、後醍醐天皇朝の年号。2年4月18日、光厳天皇が正慶に改めたのに対し、後醍醐天皇朝はそのままもちいた。
後醍醐天皇朝の年号。南朝が延元と改めた後も北朝では引き続き光明天皇朝にも用いた。
後醍醐・後村上天皇朝の年号。
後村上天皇朝の年号。
後村上・長慶天皇朝の年号。
長慶天皇朝の年号。
長慶天皇朝の年号。
長慶天皇朝の年号。
後亀山天皇朝の年号。
後亀山天皇朝の年号。甲子革命による改元。
北朝
京都に足利氏が擁立した持明天皇系の光厳・後円融・後小松天皇朝。
鎌倉末期、後醍醐天皇朝の年号。
光厳天皇朝の年号。
後醍醐天皇朝の年号。南朝が延元と改めた後も北朝では引き続き光明天皇朝にも用いた。
南北時代の北朝、光明天皇朝の年号。
光明天皇朝の年号。
光明天皇朝の年号。
崇光店応長の年号。
後光厳天皇朝(北朝4代)の年号。
後光厳天皇朝の年号。
後光厳天皇朝の年号。
後光厳天皇朝の年号。
後光厳天皇・後円融天皇朝の年号。
後円融天皇朝の年号。
後円融天皇朝の年号。
後円融・後小松天皇朝の年号。辛酉革命による改元。
後小松天皇朝の年号。甲子革命による改元。
後小松天皇朝の年号。疫病により改元。
後小松天皇朝の年号。
後小松天皇朝の年号。
室町幕府3代将軍足利義満は南朝と和睦し、天皇の座を南朝と北朝が交代しながら務めようじゃないかと、三種の神器を譲り受けました。でも、いつまで経っても南朝側に三種の神器が返ってくることはありませんでした。
南朝側はまんまと義満に騙されたのです。
次回は15世紀室町時代の年号を書きます。
3月に入ってもまだまだ寒い日が続きます。春はまだ遠いようです。
だけど兼六園の梅は満開のようです。