鎌倉時代後期の年号を書く | 亀の勉強部屋

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子どもの頃病気で右耳が聞こえなくなりました。片耳だけで頑張って生きてきました。

今回は鎌倉時代後期(14世紀)の年号を書いてみた。

 

黒い紙にクレヨンで字を書くとは大変なことだ。まず字の大きさや形を揃えるのに苦労する。

  正安 1299年4月25日~1302年11月21日

鎌倉後期、後伏見・後二条天皇天皇朝の年号。

 

 乾元 1302年11月11日∼1303年8月5日

後二条天皇朝の年号。

 

 嘉元 1303年8月5日~1306年12月14日

鎌倉後期、後二条天皇朝の年号。

 

 徳治 1306年12月14日∼1308年10月9日

鎌倉後期、後二条天皇朝の年号。

 

 

 延慶 1308年10月9日~1311年4月28日

鎌倉後期、花園天皇朝の年号。

 

 応長1311年4月28日~1312年3月20日

鎌倉後期、花園天皇朝の年号。

 

 正和 1312年3月20日~1317年2月3日

鎌倉後期、花園天皇朝の年号。

 

 

 文保 1317年2月3日~1319年4月28日

鎌倉後期、花園・後醍醐天皇朝の年号。

 

 

 元応 1319年4月28日~1321年2月23日

鎌倉末期、後醍醐天皇朝の年号。

 

 

 元亨 1321年2月23日~1324年12月9日

鎌倉末期、後醍醐天皇朝の年号。

 

 

 正中 1324年12月9日~1326年4月26日

鎌倉末期、後醍醐天皇朝の年号。甲子革命による改元。

 

 

 嘉暦 1326年4月26日~1329年8月20日

鎌倉末期、後醍醐天皇朝の年号。

 

 

 元徳 1329年8月29日~1331年8月9日

鎌倉末期、後醍醐天皇朝の年号。

 

  後醍醐天皇 1288年~1339年

鎌倉末期、南北朝時代の天皇。後宇多天皇の第二皇子。名は孝治(たかはる)。親政を志し、北条氏を滅ぼして建武新政を成就。間もなく、足利尊氏の離反により吉野入りし、南朝を樹立したが、失意の間に没す。(手元の電子辞書より)

後醍醐天皇時代には文保、元応、元亨、正中、嘉暦、元徳と6つの年号に関わっており鎌倉時代から室町時代にかけて大活躍した天皇ですごく目立った天皇だ。

鎌倉政権を奪い取ろうと頑張ったが、失敗した。

足利尊氏を上手いこと誘い出して政権を奪い取ったように思ったが、命懸けで戦ってくれた武士たちに十分な褒賞を与えなかったため尊氏と対立した。

天皇は所詮政治の素人で政権を取り戻す事がかなわなかった。後醍醐天皇のやったことは、鎌倉時代

室町時代に変えたに過ぎなかった。

天皇は所詮象徴的な存在でしかなかったのだ。

次は南北時代の年号を書きます。