江戸幕府 | 亀の勉強部屋

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子どもの頃病気で右耳が聞こえなくなりました。片耳だけで頑張って生きてきました。

孫が残していったクレヨンでお習字の稽古をしています。今回は江戸幕府に挑戦した。

見本がないのでなかなか上手く書けません。

 初代 徳川家康 1542~1616(在職1603~1605)

 松平弘忠の長子。幼名竹千代。初名元康。今川義元に属したのち織田信長と結び、ついで豊臣秀吉と和し、1590年(天正18)関八州に封じられて江戸城に入り、秀吉の没後伏見城にあって執務。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、03年征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開いた。将軍職を秀忠に譲り大御所と呼ばれた。07年駿府に隠居後も大事は自ら決し、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、幕府260余年の礎を確立.諡号(しごう)、東照大権現。法号、安国院。

 

 

 2代 徳川秀忠 1579~1632 (在職1605~1623)

 家康の3男。家康が定めた諸法度に基づき、一門・譜代を含めて39大名を改易するなど、大名・朝廷・寺社の統制を強化、幕府創業に尽力。台徳院と諡す。

 

 

3代 徳川家光 1604~1651 (在職 1623~1651)

  秀忠の次男。幼名竹千代。乳母、春日局。法度・参勤交代の制などを定め、島原の乱を平定し、鎖国令を()き、諸侯を威圧して徳川氏隆盛の礎を確立。大猷院と諡す。

この時代に前田利常公が活躍した。家康の四国4カ国をやると言われたが断ったという。家康に命に逆らうくらいだから凄い度胸があったのだ。

4代 徳川家綱 1641~1680(在職1651~1680)

  家光の長子。家光の長子。厳有院と諡す。

 

5代 徳川綱吉 1646~1709(在職 1680~1709)

家光の4男。母は桂昌院。幼名徳松。上州館林城主から宗家を継ぐ。越後の高田騒動を親裁し、譜代大名・旗本・代官の綱紀を粛正、また学を好み、湯島に聖堂を建立し、後世、天和の治と称されるが、次第に柳沢吉保らの側近政治の弊害が現れ、特に生類憐みの令は人民を苦しめ、犬公方とあだ名された。常憲院と諡す。

 

 6代 徳川家(のぶ) 1662~1712(在職 1709~1712)

  甲府徳川綱重の長子。初名綱豊。綱吉の養子。新井白石・間部詮房(あきふさ)を登用して、前代の弊風を改革。文昭院と諡す。

 

 7代 徳川家継 1709~1716(在職 1712~1716)

  6代家宣の子。幼名鍋松丸。幼少の為幕府は側用人間部詮房(まなべあきふさ)が新井白石の助言を得て運営。家宣治世の継   承であったが、絵島生島事件にみられる大奥の紊乱(びんらん)や幕臣間の腐敗が進行していた。諡号 -百科事典より

8代 徳川吉宗 1684~1751(在職 1716~1745)

   紀州2代藩主徳川光貞の4男。初名、頼方。紀州藩主となり、将軍意を継いで享保の改革を行なった。米将軍と呼ばれる。  有徳院と諡す。

 

9代 徳川(いえ)(しげ) 1711~1761(在職 1745~1760)

  吉宗の長子。言語不明瞭で、側用人大岡忠光だけがそれを理解出来たという。惇信院と諡す。

 

10代 徳川(いえ)(はる) 1737~1786(在職 1760~1786)

   9代家重の子。幼名竹千代。側用人田村意次が実権を握っていたが、積極・進取の気風に溢れた時代であった。しかし天災による慢性的凶作(天明の飢饉)に農村が疲弊し、体制の危機が進行した。 諡号 浚明院。百科事典より。

 

 

11代 徳川家斎 1773~1841(在職1787~1841)

  一橋治済の子。松平定信を老中に任じて寛政の改革を行ったが、定信失脚後は文化・文政時代を現出。文恭院と諡す。

 

 12代 徳川家慶(いえよし) 1793∼1853(在職1837~1853)

 家斉の次男。老中水野忠邦に命じて、いわゆる天保の改革を断行。鎮徳院と諡す。

 

13代 徳川家定 1824~1858(在職1853~1858)

  家慶の4男。病弱で跡嗣なく、没後にいわゆる継嗣問題を生じた。温恭院と諡す。

 

14代 徳川(いえ)(もち) 1846~1866(在職1858~1866)

 紀州藩主(なり)(より)の長子。初名、慶福(よしとみ)。紀州藩主。のち将軍の位を継ぎ、公武合体のため和宮と結婚。大坂城で第2次征長の軍を統督中に病没。昭徳院と(おくりな)す。

 

 

15代 徳川慶喜 1837~1913(在職1866~1867)

   徳川斉昭の7男。始め一橋家を嗣ぎ、後見職として将軍家茂を補佐、1866年(慶応2)将軍職を継いだが幕末の内憂外患に直面して、翌年遂に大政を奉還、68年鳥羽伏見の戦いを起して敗れ、江戸城を明け渡して水戸に退き、駿府に隠棲。のち公爵。