マックイーンと武豊は間違えたのか | kame3ブログ~何時からブログで無くなったか

kame3ブログ~何時からブログで無くなったか

最近自分の方向性が分からなくなってきた

どうも、kame3です。



本当だったらダンガンロンパネタをやりたいんだけどね、俺の中でのダイユウサク病が発症してしまったので今回はダイユウサクの話になります。前回の話を書いている途中からその予定でした。


今回のネタのきっかけが、Twitterでダイユウサクの名前で検索して未だに自分が知らなかった情報を呟く人がいるかもしれないと思って定期観察していた時の事で、1991年の有馬記念について議論するスレみたいなののURLがツイートされているのを発見したんだよ。


それで内容を見ていたんだけど…クソだったね。あのレースの敗因は武豊にある、あのレース自体レベルが低いみたいな暴言が多数。あのレースから30年経ってもクレーマーって湧いてくるから面倒だと思ったね。


これが例えばマックイーンが他の馬に進路妨害されていた。しかしJRAはその事を見逃していた。あれが無ければ勝っていたのに!みたいな話だったら…まずは検証だな。そこから競馬の斜行の影響とか、JRAによる斜行の定義とか色々調べたり、冗談抜きで何十回とあのレースを動画で見て来たのに気付かなかった自分を恥じたりしていたと思うんだよ。


そういうのじゃ無くて、武豊は第3コーナーの地点で前に出ていたら勝てていたとか…俺はマックイーンの事は詳しくないけど、それが本来のマックイーンの競馬だったかもしれないよ?


で、もし本当に早いうちから動いていればマックイーンが勝利したかもしれない…が、圧倒的1番人気が動いた地点で他の馬達はどう動いたか分からない。


ツインターボやオースミシャダイの様に既に体力が限界を迎えていた馬や、プレクラスニーやダイタクヘリオスの先頭を走り続ける事が作戦の馬は多分変わらないだろう。ダイユウサクは騎手の熊沢重文のインタビューにて、あの有馬記念は今までにないくらい最高の手応えだった。そして第3コーナーで仕掛けに行こうとしたらそれまでの手応えが空を切った、第4コーナーでそれまでの手応えが戻ったと証言しており、マックイーンが第3コーナーで仕掛けていたとしても追ってなかった可能性が高い。


しかしナイスネイチャは、ヤマニングローバルは、オサイチジョージは。何よりメジロマックイーン自身がどうなっていたか。そこら辺も加味した上で第3コーナー付近で仕掛けていたら勝てると断言出来たのか。


と言うか、2年半前にダイユウサクの事を知ってから冗談抜きで何百回とあの有馬記念の事を思い返し、毎日の様にダイユウサクの生涯を振り返っていると言うダイユウサク狂いであると言う個人的な都合を抜きにしても、武豊のあのレース展開は正しい選択だったと思っているんだよ。


まず最終直線に入って来たのはプレクラスニー、そしてダイタクヘリオス。片道切符の逃げ(従来より抑え目のペース)のツインターボとは少し距離を空けていたとは言え、一定の間隔を保ちながらの追走。


ツインターボが沈んでからも、この二頭は最後まで失速する事なくゴールまで駆け抜けた…逃げ争いの勝者はプレクラスニー。タイムは2分31秒1、それまでの有馬記念のレコードより0.6秒早くゴール板を駆け抜けた。


…それをクビ差で制したのはナイスネイチャ。同タイムではあったが、同期であるトウカイテイオーや菊花賞馬のレオダーバンが不在な中で1988年世代の代表が最後まで逃げ続けたプレクラスニーをゴール板直前で差し切った。


その僅差の先、1と3/4馬身先にいたのがメジロマックイーン。逃げても追いつかれる、追いかけても追いつかない。タイムは圧巻の2分30秒8、このタイムに最も近づいたのはトウカイテイオーのラストランであり、2分30秒9。


…何が悪かったか。もし『油断』と言うのなら、世間の殆どの人間は油断をしていた。1番人気と言う『慢心』か、40連敗しても負け続けていた大スランプの状態でそんな余裕はない。『実力』か、武豊は100回戦っても100回勝つと振り返る程にマックイーンはこのレースでも強かった筈だ。


ダイユウサクは、有馬記念に出れない理由なんて幾らでもあった。当時12月に開催していたG1スプリンターズステークスへの出走、そこから一週間後の有馬記念のローテーション。


こんな無茶は、翌年にダイタクヘリオスの馬主が入院している状態でどうしてもテレビでダイタクヘリオスが走っている姿を見たいと懇願するレベルじゃないと通らないレベルである。要はどちらか選ばないといけない。


そして今までの適性的には短距離の方が勝機があり、マイルチャンピオンシップでも5着と言うことから高確率で出走が叶うだろう。ダイユウサクの年齢的に来年という選択肢はない。厩務員も騎手もスプリンターズステークスに出走させるべきだと判断している。


その上で頑固な性格だった調教師の判断で、出られるかも分からない有馬記念への出走を選択。


そこからも当時存在した有馬記念の追加出走馬を決める推薦委員会内での賛否、ベテラン騎手の岡部が偶然乗る馬が決まっていなかった事によるダイユウサクの騎手の乗り替わり、ダイユウサク自体の調子、最終コーナーで前が完全に塞がれる、マックイーンと横並びの位置から始まった最終直線、シンプルな実力…


ダイユウサクが勝てない理由も挑戦出来ない理由も山の様にあった。ダイユウサクの馬券を買った、勝てると確信していたと言う話はネットを始め、石丸博司著『西田式スピード指数』など、14番人気137.9倍の当時の有馬記念の単勝倍率ワースト4位の馬なのに割と存在している。


しかし、それらはダイユウサクが勝利しないと成立しなかった。他にも、ただ勝つだけでは駄目だった。


10万を超える大衆の予想を覆した直後の中山競馬場の人々を黙らせる様な衝撃、マグレ勝ちとは言わせないような証拠、関係者達が『何となく』ではなく本気で勝ちに来たことを証明できるエピソード、メジロマックイーンと武豊の復活を超えるシナリオ…2分30秒.6の特大レコードを叩き出したダイユウサクは全てを持っていた。


The Only Neat Thing to Do。たった一つの冴えたやり方、オグリ世代として生まれた病弱馬がたった一度のレースに勝利するだけで日本中にその名を轟かせる方法。


オグリを主役にするとダイユウサクは天皇賞秋にいただけのモブだけど、ダイユウサクを主役にするとオグリは助演の一頭になるのが面白いよなぁ。


…そうした競馬の神が本当に書きたかったのはどちらのシナリオだったのかわからないものにまでケチが付くんだから、世の中って面倒くさいよね。


あのレースに文句あるんなら、競馬のシナリオを担当した神と有馬記念に潜む魔物を殺してから言えっての。以上