オサイチジョージを考える | kame3ブログ~何時からブログで無くなったか

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最近自分の方向性が分からなくなってきた

どうも、kame3です。

 

ようやく私生活でのあれこれが落ち着きまして、今まで書いてきたウマ娘ダイユウサクの話をそのまま再開するのか、一からやり直していくのか考え中です。

 

そして今回の話ですが、自分が書こうとしていた話の登場人物の一人にオサイチジョージ(ウマ娘)がいたんですよ。それで過去にちょっとこの馬の事を調べてみたんだけど、個人的に色々思う事があったんだよ。

 

この馬が現役だったのが1991年の有馬記念まで。その後は色々とあって・・・多分オレが生まれる前にはオサイチジョージの一件は全てが終わっていたんだよ。だから今から話すのは、その・・・結果に対するいちゃもんみたいな話です。

 

まずオサイチジョージで有名な事としては1990年宝塚記念優勝、しかしオグリっキャップが関西最後のレース+海外レースへの挑戦を控えていたのにオサイチジョージなんかに負けたからと海外への挑戦を中止になったことでぼろくそに叩かれる。

 

同年の天皇賞秋で4着に入るも、上三頭にオグリ世代・6着にオグリキャップと言う話題に持っていかれて見向きもされない。

 

同年の有馬記念で逃げ脚質の馬が出遅れたせいでオサイチジョージが先頭でペースメーカーにさせられたんだよ。でもオサイチジョージは逃げ馬じゃないから必然的にスローペースとなって、途中から一斉によーいドン。それがオグリの勝利に繋がったけど、決着ついた時のタイムが遅かったんだよ。それでスローペースの原因は誰だ、オサイチジョージだ!

 

翌年は全然活躍しなかった。

 

繁殖馬になるも全然人気なかった、引退後は具体的な理由は分からないけど屠殺場送り。引退後の安寧すらもらえなかったG1勝利馬な訳ですよ。

 

それで大体30年くらい経過して、ネット文化が発達。それによって個人からの情報発信も出来るようになった訳で、俺も過去にダイユウサクの事を纏めるにあたってオサイチジョージの事も調べたんだよ。

 

・・・オサイチジョージの事を纏めた情報源がWikipediaとかニコニコ大百科くらいしかなかった。これっておかしくないかなって。オグリキャップとかは現役時代からス億注目されていて、更に関連書籍とかも出ているわけですよ。活躍期間は1987年から1990年までの4年間だけなんだよ。それ以降は繁殖馬としては活躍した産駒がいなかったり、普通の余生を過ごしていただけで特別な話はない。

 

それなのに30年経った今でも一からオグリキャップの生涯を自分の言葉で語りたがる人が後を絶たないわけで・・・それがオグリキャップの凄さな訳だよ。

 

でもさ、死後もオサイチジョージは可哀そうな馬なんだろうなって。よくこういった話をする時に名前を出すのが1992年菊花賞に出走したキョウエイボーガンって馬がいて、このレースに勝ったのはライスシャワーだけどミホノブルボンのクラシック三冠勝利を邪魔した!みたいな扱いにウマ娘のアニメではなっていたけど、一方でちゃんと賞賛もされているんだよ。シンプルに強かった!みたいな感じで。

 

じゃあ、ミホノブルボンが勝てなかったのは実力不足か?いや、キョウエイボーガンがミホノブルボンの先頭を走ったせいでミホノブルボンが掛かってしまいペースが崩れた。悪いのは全てキョウエイボーガンだ!みたいな晒しあげされて、引退後は殺処分ですよ。オサイチジョージと似たような流れになる筈だったのに、1人の主婦がキョウエイボーガンを飼いたいと。

 

毎月結構な金額が掛かるにも関わらず、パートとかでその資金を賄います!みたいな感じで処分を回避した結果、滅茶苦茶長生きして、この一連の流れが知れ渡った。

 

その結果、キョウエイボーガン悪くねぇよ!みたいな主張をする人も出て来たり、若い人たちがこの美談に感動してキョウエイボーガンに会いに行くとか…美談があればヴィランも讃えられる訳ですよ。

 

でもオサイチジョージは、そう言った美談も特に無い。引退後も記録とかになるような長生きもしてない。子供も活躍していない。ファンが一切いない訳じゃ無いけど、オサイチジョージは本当に素晴らしい馬だったと知ってもらう為にネット上で紹介してくれる程熱心なファンもいない。

 

その…オサイチジョージって、マジで報われない馬だよね。引退の有馬の時の映像にすらすら『終わった馬オサイチジョージ』と、比較的最近に投稿された動画でも呼ばれていたりしてさ・・・他にも主戦騎手が1992年に他の騎手の記念品を盗んで質屋で売り、それがバレて競馬界から追放。

 

オサイチジョージの親はミルジョージなんだけど、ミルジョージの産駒が1000頭近くいるんだよ。その中でG1を制したのは4頭のみなんだけど、その内の1頭はイナリワンで獲得賞金額も話題性も2番手に。

 

・・・この馬の生まれてきた意味って何だったんだろうなって、存在を否定したくないけど考えてしまうよね。今は非公開にしているけど、ダイユウサクとオサイチジョージが凄く運命みたいな繋がりがあったんだよ。

 

例えば1990年宝塚記念、阪神競馬場でオサイチジョージが勝利したレースだけどその翌日から阪神競馬場は改修工事が始まった。

 

それが終わったのが1991年の終盤で、12月に新装記念レースが開催されてそのレースを制したのがダイユウサクだった。

 

有馬記念の最終コーナー、ダイユウサクは馬群に包まれてしまい完全包囲されたはずだった。しかし、常に先頭を走っていたツインターボが失速。それによってツインターボの後ろを走っていた馬たちは最内を走るツインターボを回避するコース取りを強制させられた。

 

そうして出来たのが最内に空いた一頭分の隙間、これをダイユウサクの鞍上を務めた熊沢重文は見逃さなかった。ダイユウサクの内側を走っていた馬が失速して後方に下がったタイミングで最内へのコース取り、最終直線にしてゲート以来となる大外を走るマックイーンと横並びの位置に付けた。ここからダイユウサクの末脚が炸裂、歴史に残る勝利に繋がったのだけど、ダイユウサクが馬群から抜け出した後に最内に付けたのがオサイチジョージなんだよ。

 

何が言いたいのか、オサイチジョージはダイユウサクと熊沢の背を見ているんだよ。それを最初に知った時はオサイチジョージが宝塚で葦毛の人気者を倒した時のように、この時の有馬でも葦毛の人気者が不人気馬によって討たれたという事実に、世間に対する最大限の『ざまぁみろ』だと思っていただろうし、ダイユウサクは勝者なのに弱者と虐げられてきた馬たちにとっての救いのような存在とか自分の中で勝手に考えていたんだよ。

 

でも、オサイチジョージからしたら・・・・と言うかすべての競走馬に言えることだけど、他の馬の事なんて知ったこっちゃねえんだよなって。それに自分と同じG1を1勝しただけで自分と違って大量のファンがいて余生を過ごせた馬に対して、嫉妬こそあれど称賛なんてあるわけないと思わされてさ。・・・なんか救いのある話の一つとか思い浮かぶと思ったけど、何にもなかったわ。以上