「ともだち」の基準 | 音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

エニアグラムで理解、頭に心が追い付かないときは身体にアクセス。音叉とアロマを使うハンドヒーリングで優しく、かつパワフルに体と気持ちを立て直していきます。ココロとカラダの調律師 まやこ(かまちょの部屋)

おかげさまで、ありがとうございます。

この1年でやたらと


「まやこさんは、友達じゃないよ、仲間」
「まやこさんを友達と思ってるのは私だけですか」
「まやこさんは、友達とは違うじゃないですか」
「まやこさんと友達になりたいです」

など

まさか齢40近くなって

こんなに

人から自分の扱いについて提示される日がくるとは(笑)

「友達ってなんだろう」という疑問に

思春期かと思わず笑ってしまいます。

その基準は極々曖昧なもので

人によってこんなにも捉え方が違うものかと感心さえします。

そして

こんなに基準が曖昧なのに

人との距離感を示す言葉として位置していることに

驚きます。

ずっとブログ読んでくださってる方は

よく目にしていただいているかと思いますが

ワタシはよく「仲良しの」という表現を使います。

ワタシにとっては最上級の親しみを込めた表現です。

人によって、「知り合い」「友達」「仲間」「親友」の捉え方が違うので

一方的にならない表現で気に入っています。

ワタシがやるような心の近くに行く仕事は

お客さんと友達の間の境界線が難しいし

ワタシは多くの友達を親友だと思っているので

親友って1人か2人じゃないの?!とか思ってる人に

200人くらいいるって言ったら

絶対そんなの友達じゃないよとか言われそうだし(笑)

また性格のタイプによって

「友達」より「仲間」の方が位置的に上の人もいれば

友達じゃなくて仲間と言われると落ち込む人もいて

「友達」は浅い付き合いの人で

「親友」は深い付き合い、と思ってるとか

辛い時に一緒にいるのが「友達」だと思ってる人もいるけど

ボランティアで知らない人のためにうごく人も

親しいはずの人に時間を割けない人もいて

こんなに頻出単語が

発信者と受信者で解釈がちがってよいものかと思うくらい違うことに

こういう立場になるまで、深く考えてもみなかったです。

でも多く人が、その曖昧な距離感の相手に対して悩みを抱いたりするんです。

そして

思い込みが激しい人の

脳内変換技術の素晴らしさにも驚きます。

多くの人が同じ気持ちを味わいたがるし

共感したがるけど

そんな曖昧なものに頼っていることに気づかないと

フワフワしちゃってしょうがないでしょ。

自分の解釈など所詮

自分だけのものでっせ。

出向き、ともに過ごす

同じ景色を見る

そして互いに感じたものをシェアして感覚を知り合う

それが距離を縮めていくことなのだと思うのですよね。

わかってくれない!

わかってほしい!

なんなら言わないけど察して!

友達ならできるでしょ?

わかるよね?!



ってオイオイ

ちょいと落ち着いておくれやす(笑)



その先の世界があることを

「友達」という言葉が教えてくれました。

今更(笑)

面白いでしょ。

大事なのはそこじゃないと気づけば

表現に縛られたりしない。

過ごす時間や距離感は

肩書きじゃはかれませんからね。