トラウマ体験がもたらす破壊的作用は、人々が心にもっている
「世界は善良で、意味があり、自分には価値がある」
という三つの仮定を粉微塵に破壊してしまうことにある
米国心理学者 ジャノフ・バルマン
愛着障害と複雑性PTSD 岡田尊司著 SB新書 P162
わたしは最近PTSDについて思いを巡らすことが増えた
報道などでしばしば「PTSD」という語に触れる機会があり
その都度
PTSDって、死に直面するような危機に遭遇したのちに発症する障害(症状)のはずだけど、やたら安直に使われてないか?
と疑問を覚えるので、たまたま町の本屋で見た上記の本を買って読んでいる
わたしは精神科に通院していた時、主治医にわたしの症状はPTSDではないか?と尋ねたことがある。主治医の答えは、PTSDというのはやはり先に述べた、死に直面するような出来事にあった人に起きるのだよ、というものであった
わたしの症状は当てはまらない、と真っ向に否定されたわけではないが、
あなたにはそんな体験あるの?ないでしょ?と暗に諭されたような気がして、わたしは沈黙し、そのことは2度と話題にしなかった。
報道でPTSDが安易に使われると感じられるケースもあれば、たしかそれはPTSDかもと思われることもある
それは成人女性が性的暴行を受けただろうと想定できる事件の後で、さまざまな症状に苦しんでいることを知ることができた場合
その時にわたしが感じるのは
健全な心身の持ち主が
ある出来事をきっかけにそれまでとは心身状態が全く変わって、どん底につきとされ絶望的な状態に陥るのは
言語に絶する苦しみや痛みが伴うのだろうな、という想像と
わたしの場合はどうだろう?
わたしとはずいぶん違うよな?
わたしはもはやいつもそういう状態で、それが普通で、そこから抜け出た後で、それまでが異常だったことに、ひとつひとつ気がついて、過去を嘆き未来をどう築くか手探りで模索してきたのだから、なんだろうな、この違いは。。
納得いかないような、ずるいような気がする、というのは
PTSDのように、事件の前後で顕著に変わった心身の状態は、自身も周囲の人も容易に気がつくし症状も言語化できる
しかしわたしの場合、一般的に見れば不調な状態が通常運転なので、自分自身に同化していて言語化するのがとても難しかった、から
しかし
この本を読んでるうちに
複雑性PTSDというのを知り
わたしはどうやらそういう状態にあったように思える
1回のダメージは生命にかかわるほどではなくても、長期間にわたって、逃れられない状況でダメージを受けつづけると、通常のPTSDに勝るとも劣らない深刻かつ持続的な影響が生じる
同書 P 28
わたし自身の回復の始まりは、まず精神科にかかったこと
不眠と長時間連続睡眠、倦怠感、思考の鈍化、読書困難など続いていたが、当時のわたしにとっては、精神科受診はハードルが高くて随分ためらう時間があった。
しかし、自分でも驚くような連続飲酒が続いて自分の行為ながら抑制のできないことに恐怖を覚えて、初診の予約を電話でとった
最初のクリニックでは、投与薬が増え続けて「精神病院の薬漬け」という言葉が頭を駆け巡り怖くなって、投薬治療がメインではない病院を探した
その病院で、いろいろな知識を得て自分の状態が、徐々に認識、言語化できるようになっていった
症状の苦痛もそうだが、医師やセラピスト、病院スタッフとのコミュニケーションを通じて、それまでの他者との接し方、自分との接し方についても現状を認識し、改めるめるべきは改めるように務めた
結局は自分の行為が自分自身を苦しめ追い込み、さまざまな不調のもとになっていることが理解できるようになる
その病院では多彩なプログラムが用意されていて、自分の症状にあったものを自分で選んで参加できた。体が辛い時は寝ててもよかった。誰とも話さず本や漫画を読んでいてもよかった。何よりも通院者の安全と安心が実感できるような配慮が行き届き、時間はかかったが次第にわたしもその場になじみ、安全と安心の中に身を置くことを受け入れていった
ここで冒頭の言葉に戻ると
わたしが、世界が善良であると実感できたのは、精神科クリニックのデイケアプログラムの場においてであり
世界に意味があるかどうかについては、未だ持って確信がなく
自分には価値がある、と言い切ることもまだできてない
かつてはどうだったか?
幼いころにはそういう感覚があったような気がする
幼稚園児だったころ
いつを境にその感覚が損なわれたか
記憶ははっきりしないけど
それから長い間
そういう感覚を持たずに過ごしてきた