映画「旅と日々」を見た

良い映画だった

映画を見て幸せな気持ちになったのは久しぶり

見てよかったと心から思えた

 

物語は静かに始まり

静かに終わった

まだまだ見てられると思い

もっと見たいとも思った

何を期待して?

なんだろう?

 

この映画では何も起こらない

いやいくつかのことが起こるけど

大騒動に発展はしない

静かに収束してゆく

その過程が良いのかもしれない

 

映像も良い

海の鮮やかで怖いくらいの青

それが

雨降る海の場面で色を失い

その後ガラッと変わった雪国では

白黒?かと思うほど陰影濃い世界が映し出される

 

登場人物の表情も読み取れない中

主人公の女性だけが淡々と浮かび上がる

彼女の発する言葉とともに

この映画の主人公のひとりは

言葉なのかもしれない

言葉と静けさ

静けさあっての言葉

語る者の胸の内とは?

 

言葉ではなく

ま(間)というのだろうか

言葉と言葉の間の静けさが

何かを語りかけてくるようで

わたしひとり頭の中で言葉がめぐる

ときどき大して面白くないのに

クスッと笑わせてくれる場面もいい

 

初めの場面で出てくる若い女性が

やせっぽちで心もとない感じだったのが

雨の海で泳ごうと水着になると

その豊満なボディに圧倒された

同じ人?と目を疑うばかりに

それがまた

そんなことはない場面なのに

妙にエロチックで想像が掻き立てられる

この場面

女性はどう感じるんだろう?

 

物語のもうひとつ重要なものはカメラ

古いタイプのフィルムカメラ

このカメラに収められた写真は何を語っているのか?

語られる言葉

語られない言葉

主人公の女性を通して

人とは?

人と人をつなぐものとは?

そんなことも考えさせられた

 

またカメラで写真を撮ろう

誰も読もないかもしれないけど

また何かを書いてみたい

 

 

 

ルポ 戦争トラウマ

ー日本兵たちの心の傷にいま向き合うー

後藤遼太・大久保真紀 著 朝日新書

 

この本を読んだ感想とかポイントを書こうと思って

書き始めたら違うものが出てきた

 

戦争トラウマ

東京新聞7月20日朝刊 こちら特報部の記事

あと

望月衣朔子記者の動画で

沖縄タイムス黒島美奈子論説委員へのインタビュー

などで

戦争トラウマのことを知り

深く印象に残っていた

 

わたしはもちろん戦争体験者ではなく

両親、祖父母にも

出征したという話は聞いていない

 

父母とも1936年生まれ

終戦は1945年なので二人とも9才

父の父親は当時日本統治下の台湾で警察幹部をつとめていて

父は台湾で生まれ育ち

敗戦後に日本にひきあげてきたようだ

父からは台湾の暮らしのこと

戦時下のこと

聞いたことがなかった

一方母からは

わたしが子供の頃

しょっちゅう戦争時の話を聞かされた

食べ物がなくてしじゅうひもじかったこと

さつまいもの蔓を食べていたこと

母の兄が近所の家の庭の柿の実を盗んで取ってくれたこと

食べ物にまつわる話が多かったようだ

8月6日の朝

西の空にピカッと光る閃光を見たような気がする

とも言っていた

わたしはそれを聞いて子供心にも

さすがにそれはどんなもんだろうか

疑問を抱いたことを覚えているが

母のその言葉は折に触れて思い出す

母の実家は千葉県であった

 

わたしは

子供の頃に母からひどい打擲を受けた

折檻というよりは虐待であっただろう

そのことは記憶の奥底に封じ込められて

フラッシュバックという形で

30代後半になって突如呼び起こされた

 

体調不良で精神科を受診しで

うつ病と診断されてから2年目のことだった

その記憶は大人のわたしにとってもあまりにも忌まわしく

受け入れ難いもので

記憶が呼び起こされるたびに

喉が絞られ腹が締め付けられて苦しくなり

頭の中がじんじん痛み

体がぎゅっと押さえつけられるような圧迫感があり

それにじっと耐えているうちに

涙がこぼれ

やがて記憶が薄れると

少しずつ体が楽になって

ほーっと深い息を吐いて

身体中の力が抜けて

ぐったりその場に横たわるのだった

 

医師のアドバイスを受けて

その場面を絵に描いたり

安全な場所で語ったたり

文字に起こしたり

しながら向き合ううちに

記憶の脅威は段々と弱まっていった

 

それはあくまでも過去のことで

今の自分は安全なところにいて

そのような暴力に怯える必要はないことを

理性を持って自分自身に語りかけたりもした

 

記憶の脅威が薄れてゆくと

体の不調があちこちに出始めた

背中の痛みがひどくなり

精神科の主治医から整形外科の受診を勧められて

レントゲン撮ったりしたが異常はなくて

自分で探してあちこちのマッサージや整体にもいったが

はかばかしい効果はなくて

インターネットで見つけた

隣町の整体の先生がとても優しくて

最初の治療時に背中に触って

「これはさぞ辛かったことでしょう」

その言葉は涙が溢れるほどに嬉しかった

わかってもらえる人がいるという安心感

しばらくその整体院に通ううちに

背中の痛みが楽になってきて

ありがたいなぁと心から思い

自ずと感謝の気持ちが湧いてきて

体が楽なことの幸せなひと時を過ごしていると

今度は猛烈に背中が痒くなって

いてもたってもいられなくなった

その時は

精神科のデイナイトケアのために通院していたので

クリニックの看護師に相談したところ

近くの皮膚科を教えてもらい

急いでそこを受診したら

皮膚科の先生はニコニコしながら

ぶっとい注射を背中に打ってくれた

注射をしてすぐに背中の痒みは治まったが

一体自分の体に何が起きてることか

全くわからずただただ翻弄されて

右往左往するばかりで

精神科の医師に話しても首をかしげるばかりで

要領を得ないのであった

 

クリニックに数名いるうちの著名な医師などは

グループカウンセリングの場で

ここに通ってる男たちはみなそこそこポンコツで

回復にはほど遠く

恋愛やらお相手探しなどできる状態ではない

ましてや

背中が痛いかゆいなど言ってるような奴は

とバカにしてるのか

からかってるのか

どういうつもりなのか

ニヤニヤ笑いを浮かべて

神妙に話を聞いてるわたしを含めた男の患者たちに向かって話すのだった

 

前置きが長くなった

自分のトラウマ体験と症状

それと戦争トラウマがどう関係するのか

それについて触れたくて書き始めたら

止まらなくなってしまった

自分の症状はここまでにして

母親のことについて記しておきたい

 

精神科の診察を受けて

初診からは20年くらいたっだろうか

今のわたしは身体症状に苦しむことはほとんどないが

セルフケアとか対人関係とか

あれこれ悩ましいことは日々あるわけで

その由来を考えて過去を遡って記憶を掘り返したりしていると

どうしても母との関係にいきつくことは多い

そうすると自然と母のことを考えて

母はなぜあのようなことを?

母の異常な行動の数々が思い出され

母も深い傷を心に負っていたことは

間違いないことのように思われるのであった

 

そしてそれが

戦争トラウマという言葉で表現できるのではないかと

思えてきて

もちろん子供の母が戦地に赴いたたわけでなく

戦闘や空爆に巻き込まれたこともなかったのだが

戦争の残り火のようなものが向こうからやってきて

子供の母に大きな傷を残していったと

わたしは想像している

 

母の兄弟は大勢いて確か7、8人だったと思うが

母はその真ん中で

兄弟姉妹の世話をあれやこれやして

勉強も良くできた優等生だったらしい

もちろん母が自分で言っていたことなので

本当のところはわからないのだけれど

会社の帳簿付の仕事を家に持ち帰ってして

読書が好きで

文章の綴り方や言葉の使い方に厳しい面があったことから

勉強好きだったことはそうなんだろう

歴代天皇の名前や教育勅語なんかも諳んじることができたらしい

そんなことからも

当時の教育にどっぷり浸かっていただろうし

お国のため天皇陛下のためそして兵隊さんのために

しっかり自分のできることをやるという

強い意志を持って暮らしていたものと思われる

 

戦争が終わってからであろう

外地から引き上げてくる兵隊の姿が

町にも見られるようなった頃

母の実家の町には軍隊の大きな施設がいくつもあって

軍隊の町だったので

郷里に帰らずあるいは帰ったのちに

所属部隊の駐屯地を慕ってか

少なくない復員兵が訪れたのではなかろうか

 

お国のために戦った立派な兵隊さんに声をかけられれば

無垢な女の子はその言葉に黙って従ったことだろう

 

母は

わたしが大人になって持っていた

米軍払い下げ品のブーツとカーキ色のリュックサックを

毛虫のように嫌って

家の中に入れるなと言い放った

また暗闇が嫌いで夜寝るときは

小さい灯りをひとついつもつけていた

69才で亡くなったが

亡くなる数年前からあちこち様子がおかしくなって

その頃わたしは離れて暮らし

精神科に通院して治療中心の生活だったので

詳しく知らないことも多いのだが

兄夫婦や父などから後で聞いたところでは

自分でスカート捲り上げて下着を下ろし

パンツが履けないの履かせてと言った言動を繰り返していらしい

家の中ならまだしも

時々近所の家の玄関を開けて同じことをすることもあり

もちろんその家の人はびっくりするだろうし

兄夫婦や父にそのことを報告すると

兄の奥さんが謝りに行ったということが度々あったとのことだった

いま思い出した

わたしも一度母からそういうことを求められたことがあった

 

こんな事柄から想像したのは

兵隊服を着てリュックを背負った兵隊に

手を引かれるように防空壕へ入っていく少女の姿だった

 

 

 

罪悪感というと

ちょっとした後ろめたさ、くらいのニュアンスだろうか

例えば

夜寝る前にアイスクリームを食べたとき、とか

ショートケーキを一度にふたつ食べたとき、とか

本当は

それほど悪いことでないけれど

自分自身の線引きや世間的に見て

ちょとダメだよな、的な

案外軽い自責の念くらいの範疇じゃないだろうか

 

しかし、だ

わたしの場合

ことはもっと深刻で

罪悪感を感じるというときは

それは本当に罪人であり

咎人であり

許されざる者

といった方がしっくりするのだ

とは言ったところで

法的な意味で罪を犯したわけではなくて

心理的に自分の非を認めて

自分自身に対する処罰は甘んじて受けなくてはならない

という一連の流れに

身を処することになる

 

だから

一般に人がいう幸福とは

距離を置いたところに身を置いているように思える

 

いわゆる幸福感に包まれたとき

おまえごときが

おまえなんかが、と

自分を責める言葉が頭の中に聞こえてくる

それを聞くと

あぁそうだよな

オレなんかが、幸福になってちゃいけないよな

と考えを改めて

そっとその場を離れてゆくことになる

 

押し返さなきゃ

そんな声が聞こえてきたら

は? なんで? 何言ってるの? バカじゃん?

それで十分

理論武装なんていらない

人が幸福を求めるのに

誰かの許可なんかいらない

まして母親は

子供の幸せを見守るのが

母としての役目の大きな役わりのはず

 

そんな声が

そんな言葉が聞こえてきたら

もう

あんたのその価値観に付き合わされるのはごめんだよ

そういうって突き放すのは

悪いことでも

間違ったことでもない

 

 

3ヶ月に1回

東京曙橋駅近くのクリニックに行って

お医者さんと話をしている

その先生は、かつて港区の精神科クリニックで主治医だった

長い間、通院していたクリニックだったが

体調が回復して通院をやめた後

しばらくしたら閉院となっていた

体調は回復しても人間関係に違和感をおぼえ

特に親密さの構築に問題があるように思え

たまたま書店で手にした本で愛着障害を知り

自分に当てはまることばかりで

自分は愛着障害だとほぼ確信した上で

ネットで検索してかつてお世話になった先生を訪ねた

 

前回の面談の際

健全な自己愛を育てる

というテーマをいただいた

何かを成し遂げた時

何かをより遂げた時

自分はできるんだ

自分はできたんだ

そういう満足感や達成感を味わって

自分自身を認めてあげることが大事だよ

そうするうちに

自分を否定する考えが消えてゆくもんだよ

と、教えていただいた

 

異性からの好意とか

何かをして賞賛を受けたりすると

妙に意心地悪く感じて

その場から逃げ出して

自分自身を罵倒したくなる

勘違いするなよ

お前なんかにだれが・・・・

そんな言葉が

毒々しく凶々しい響きを伴って

頭の中を駆け抜ける

 

逃げろ逃げろ逃げろ

 

その声

その言葉は

幻でしかない

かつて植え付けられた呪詛に捕まえられて

ずっと抜け出せないでいた

幸せ恐怖の原因

母親の呪い

お前が幸せになるのはこのわたしが許さないよ

はっきりそう言われたことはないが

ことあるたびに言葉にならないメッセージを

幼いわたしは日々受け取っていた

 

呪詛払いの時がきた

 

 

「解離」という症状は

ずっと気になっていた

なんだか身近に感じていたのだけど

じゃあ、解離って何?

と聞かれると言葉が詰まる

 

自分自身と意識や感情が分離してる状態?

ぼんやりとだけど

そんなふうに捉えていた

でも、最近読んだ本によれば

それは離人症と呼ばれる症状らしい

 

人と対面で話してる時

ぽやーとして

相手の言葉は聞こえてるけど

自分自身は何も感じず

相手に怪しまれないよう表情を作ったり

適当に相槌打ったり

あるいは

頭の中でイメージが巡るのを眺めていたり

 

こういうことはしょっちゅうだった

 

解離、に話を戻すと

どうやら、人格の分離ということらしい

 

「愛着障害と複雑性PTSD」岡田尊司著 SB新書によれば

解離という現象は、憑依や記憶喪失、二重人格、催眠術などにおける意識や記憶、人格の変容として、古くから経験的に知られていたが、心理学的に体系化した最初の人は、先にも触れたピエール・ジャネである。ジャネは、『心理学的自動症』(1889)のなかで、心理学的統合不全の状態に対して「解離」という用語を用いた。P246

 

どうもわかりにくいのだが、この章を読み進めていくと、「人格のパーツ」という言葉が出てくる。成熟した人格は、さまざまな人格のパーツを持ち合わせ、必要な時に適切な部分人格でことに臨んだり、コミュニケーションが取れるものとされている。

解離が生じた状態は、この部分人格がバラバラであり、統制すべき人格が不安定で、激しく怒ったり、かと思うと泣き出したり、子供みたいになったりして、部分人格がそれそれぞれ別個に動き出す。これでは、周囲の人たちも困るだろうし、当の本人も生きにくいことだろう。さらには、記憶は部分人格と連動しており、解離が激しいと、部分人格間の記憶の受け渡しができなくて、別の部分人格の時の記憶が出てこない状態になり、これが解離性同一性障害というもの。

 

わたしの場合、記憶と部分人格の連動性において、大いに思い当たるところがある。わたしは実際ある種の記憶が抜け落ちた状態で長い時間を過ごしてきたのだが、フラッシュバックにより突如として抜け落ちた記憶が、その時その場で起きているかのような鮮烈な臨場感を持って現れた。体全体がガクガクふるえて、腰が抜けたようになり、存在しないはずの声が頭の中に鳴り響いた。苦しくて恐ろしくてわたしは身をかがめて嵐が通り過ぎるのやり過ごそうとするのだが、涙が溢れ息苦しさに胸は圧迫され胃が締め付けられるような痛みを伴った。

これが、わたしが児童期にうけた暴力の記憶であることがわかるのは、それからしばらく経ってから、精神科医の説明によってだった。心的外傷体験に伴う外傷性記憶ということだった。

 

記憶と部分人格に話を戻すと、わたしもどうもこの部分人格間の連動がうまく機能してないようで、つい最近になって、これまで生きてきて体験した記憶が、自分の中の強い部分人格の出現と共に蘇りつつある。

 

わたしは、一見、ひ弱なように見えるのだが、普通の人が体験したことのないようなことをいろいろやってきている。それなりに修羅場を潜ってきたと言ってもいい。その記憶の多くは、悪いことではないのだが忌まわしいものとして、無意識ではあるが、意識下に押し込めてきたようだ。そうしないと、今の時間をゆっくり楽しんだり、心からくつろいだりすることができなかったからだと思う。あるいは、過剰適応によって、治療の場に集う仲間たちを怖がらせないように、それとも、自分をその場に馴染ませるために弱い者の1人として演出するためだったかもしれない。

確かにそれはそれで心地よい時間だった。モラトリウムというのだろうか。

 

しかし今、社会で一人で生きていて、他者とのコミュニケーションに煩わされ、自分自身を肯定して、自分自身の人生を送るために、過去の自分と向き合いつつ、愛着対象と共にある未来の自分を思い描くにあたって、自分が変わらなければならない事態に直面した。

するとどうだろう、これまで意識下に押し込められていた強い部分人格が戻ってきて、主導権をにぎるようになった。そして、記憶がまた頭の中で感情を伴って再生されて、それまで否定的だった自分の体験が、それほど悪いことではなかったように思えてきた。

 

不思議なものだ、と感じている。

 

 

 

 

 

 

 

映画「名もなき者 A Complete Unknown」を観た

期待以上の作品だった

映画見てるうちに

あれ知ってる どっかで見た

って思ったら

「Im not there」だった

ストーリーは被ってるんだな

ボブディランの足跡に沿った映画で

元々が何かは知らないけど

「ノーディレクションホーム」?

ボブディランが歩いてきた道を

ところどころ切り取って見せてくれる

 

いつしか

そういうことも気にならず

映画の中に埋没してた

ボブディランを演じるディモシー・シャラメ

映画を観てるうちに

ボブディラン本人にしか見えなかった

 

ボブディランの歌が素晴らしいことは

言うまでもないことで

歌に込められたメッセージのようなもの

魂と言ってもいいかもしれない

そう言うのが

歌と共にストレートに入ってくる

 

素晴らしい映画

観てよかった

また観たいと思える映画

 

映画館を出て

壁一面の馬鹿でかい予告映画ポスター

小さい子が

詳細をひとつひとつ確かめるように見上げていた

その様子を見て

私は

この子の夢が守られますように

この子の歩く道が温かいもので包まれますよう

私はその守護者となれるか

そんなことを思った

そしてすぐに

それは自分自身の子供時代に

向けられた言葉じゃないのか

自問自答した瞬間

涙が溢れ出た

 

インナーチャイルド

記憶に埋もれた私自身の子供時代

私の中の小さい子ども

 

頭の中で

ボブディランの声がした

耕せ

種を蒔け

書け

つくれ

自分自身を

自分自身のために

 

 

 

 

 

映画「Black Box Diaries」監督の言動が気になる

映画は監督が当時TBS所属の報道関係幹部から性被害を受けた後の、あれこれについて描かれているようだ

わたしは映画を観ていないし、観たいとは思わない(日本では未公開だが世界57カ国以上で公開)

かの案件は、被害届が警察に受理され、捜査が進み逮捕寸前で、上部の命令で逮捕取り消しとなったことが、報道されてわたしも不審に思い関心を持つようになった

その後、民事裁判で監督の主張が認められ、TBS所属の男は加害認定された

 

男は報道関係者で、当時の安倍首相とも近く、そのコネを頼って警察に働きかけて逮捕を逃れた、との疑惑がある

権力の濫用がわたしは大嫌いだ 不当だ 不適切だ 法の下の平等に反し、非民主的であるし、何より卑怯だし 不誠実だ 社会的害悪である

上品な言葉を並べているが、もっと汚い言葉で罵られる恥ずべき行為だ 

加害者はもちろん卑劣なクソヤローであり、逮捕取り消しの命令を出した警察幹部は恥知らずのおべっか野郎で、事件もみ消しを指示した権力者どもは、法の裁きを受けるべきであるが、それがなされないなら地獄へ墜ちるしかない

 

悔しいことではあるが、今の日本は権力者たちの横暴が暴かれ裁かれることはないことが、また突きつけられる

 

一方で被害者である映画監督、当時は(今も)ジャーナリストとして活躍することを目指していた若き女性が、信頼を寄せた男から性被害を受けて、PTSDを発症し症状に苦しむ中、事件を訴え、直前に逮捕が取り消され、民事裁判で勝利するまで、どれだけ辛かったか苦しかったことだろう、と思う

 

一方で、監督を支えて来た人たちがいた

弁護士さんや女性記者さんの他にも大勢いるだろう

わたしが驚き今まだ理解できず、嫌な気持ちになるのは、映画監督側、本人もしくは映画制作関係者が、当時の弁護士さんや応援していた記者さんを非難した上、訴訟にまで及んだこと

なぜこんなことに?

 

今回の騒動については、いろんな方が考察、論評されていて、ネット上でもいろんな記事を読むことができた

当時の弁護士さんの記者会見は動画で見た 一方映画監督は予定していた自身の記者会見を直前キャンセル

 

そしてわたしなりに見出したことは、彼女の言動の不安定さは、症状から回復していないというように見えるし、単発トラウマによるものではなく、複雑性PTSDではなかろうか、ということ 

事件が起きて10年経ってなお、常軌を逸してるのではないかと思われる理解困難な言動の数々は、精神的不安定さと何かしらの身体症状もあるのではないか 

事件は警察によってもみけされ、国家権力への不信感は被害を受けた女性の心をさらに傷つけたことだろう 症状が重くなってもおかしくはない 

一方で当時の弁護士さんの心のこもった対応や記者さん方の熱心な応援は、彼女を支えてきたはずなのに、今ではそういう人たちに敵対的な態度を取るようにさえなってしまった

 

心の傷が癒えないのは何が原因なのか、と考えた時、事件前から抱えていたトラウマ的出来事の傷に起因しているように、わたしには思えてくる 

まず、彼女が相談に行った人物は地位はあるが、あやしいところのある男である 当時はもちろん分からなかっただろうが、直感力や警戒心が弱いのは、そういう力が育ってないのではなか

 もう一つは、民事とはいえ裁判で訴訟し、彼女の主張は公に認められた それでもまだ彼女の心の傷が癒えないように見えるのは、国家権力への何かしらかの強い思いがあるのではないか それは家父長制や父権、父なるものにもなぞらえることができる

児童期に守られるべき家の中で、守られない時間を過ごしことへの非難と苦しみ悲しみが言葉にならず、今なお彼女の内側で傷が痛んでいるのではないか インナーチャイルドが苦しみ泣き叫んでるのかもしれない

 

以下引用

安定した愛着を持つ子ども(成人も)では、同じようにトラウマ的な出来事に遭遇しても、PTSDになりにくい。つまり、トラウマによるダメージからの回復力が強いのである。

 逆に言えば、愛着が不安定な状態とは、養育者が安全基地としてうまく機能していない状態であり、さまざまな危険から守られにくいということである。外的に不用意に近づいていったり、いちばん信用してはいけない存在を信用してしまったりすることで、トラウマ的な出来事に遭遇したり被害を受けたりしやすい。

PTSDと複雑性PTSD  岡田尊司著 SB新書 P179-180

 

最後にひとつ付け加えたいのが、依存心 

映画監督の言動の不安定さは、もしかしたら背後に存在する人たち、時々見え隠れするプロデューサのような人の影響力があるようにも思える それは監督の依存心から派生しているのかもしれない 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安定した愛着を持つ子ども(成人でも)では、同じようにトラウマ的出来事に遭遇しても、PTSDになりにくい 

中略

不安定な愛着を抱えた人は、トラウマ的な出来ごとに遭遇しやすいだけでなく、遭遇したときに、トラウマ化を防ぐ機能が弱く、PTSDにもなりやすい

  愛着障害と複雑性PTSD 岡田尊司 SB新書 P179ー180

 

ここでは、愛着の観点からPTSDを発症しやすい人としにくい人の違いにつて述べられている。興味深いのは、いわゆる機能不全家族と言われるような、親が家の中の安全や安心を構築できず、子どもらが常に不安定な状態に置かれている家庭は、トラウマ的な出来事に遭遇した後のケアが十分になされなかったり、あるいは危険を見極める力が弱くて、危ない場所や人に近づいてしまう可能性が高いと指摘している点

 

また、PTSD的出来事に遭遇した後、適切な保護措置や療養が施されれば、のちにPTSDが発症する確率も下がるという

 

思いもよらない場面で思いがけない人から受けた暴力を真っ直ぐ受け止めて、誰かに伝えられるかどうか

伝えられたとして、受け取った人が真摯に被害者に寄り添って、適切な対応が取れるかどうか

出来事がうやむやにされ、心の傷は放置され、さらにまた新たな傷で上書きされてゆく

複雑性PTSDというのはそういうことなのだろう

 

そういう環境で生育すれば、健全な愛着が育まれるのは、非常に困難なことだと理解できる

 

 

 

 

トラウマ体験がもたらす破壊的作用は、人々が心にもっている

「世界は善良で、意味があり、自分には価値がある」

という三つの仮定を粉微塵に破壊してしまうことにある

          米国心理学者 ジャノフ・バルマン

愛着障害と複雑性PTSD  岡田尊司著 SB新書 P162

 

わたしは最近PTSDについて思いを巡らすことが増えた

報道などでしばしば「PTSD」という語に触れる機会があり

その都度

PTSDって、死に直面するような危機に遭遇したのちに発症する障害(症状)のはずだけど、やたら安直に使われてないか?

と疑問を覚えるので、たまたま町の本屋で見た上記の本を買って読んでいる

 

わたしは精神科に通院していた時、主治医にわたしの症状はPTSDではないか?と尋ねたことがある。主治医の答えは、PTSDというのはやはり先に述べた、死に直面するような出来事にあった人に起きるのだよ、というものであった

わたしの症状は当てはまらない、と真っ向に否定されたわけではないが、

あなたにはそんな体験あるの?ないでしょ?と暗に諭されたような気がして、わたしは沈黙し、そのことは2度と話題にしなかった。

 

報道でPTSDが安易に使われると感じられるケースもあれば、たしかそれはPTSDかもと思われることもある

それは成人女性が性的暴行を受けただろうと想定できる事件の後で、さまざまな症状に苦しんでいることを知ることができた場合

 

その時にわたしが感じるのは

健全な心身の持ち主が

ある出来事をきっかけにそれまでとは心身状態が全く変わって、どん底につきとされ絶望的な状態に陥るのは

言語に絶する苦しみや痛みが伴うのだろうな、という想像と

わたしの場合はどうだろう? 

わたしとはずいぶん違うよな?

わたしはもはやいつもそういう状態で、それが普通で、そこから抜け出た後で、それまでが異常だったことに、ひとつひとつ気がついて、過去を嘆き未来をどう築くか手探りで模索してきたのだから、なんだろうな、この違いは。。

納得いかないような、ずるいような気がする、というのは

PTSDのように、事件の前後で顕著に変わった心身の状態は、自身も周囲の人も容易に気がつくし症状も言語化できる

しかしわたしの場合、一般的に見れば不調な状態が通常運転なので、自分自身に同化していて言語化するのがとても難しかった、から

 

しかし

この本を読んでるうちに

複雑性PTSDというのを知り

わたしはどうやらそういう状態にあったように思える

 

1回のダメージは生命にかかわるほどではなくても、長期間にわたって、逃れられない状況でダメージを受けつづけると、通常のPTSDに勝るとも劣らない深刻かつ持続的な影響が生じる

同書 P 28

 

わたし自身の回復の始まりは、まず精神科にかかったこと

不眠と長時間連続睡眠、倦怠感、思考の鈍化、読書困難など続いていたが、当時のわたしにとっては、精神科受診はハードルが高くて随分ためらう時間があった。

しかし、自分でも驚くような連続飲酒が続いて自分の行為ながら抑制のできないことに恐怖を覚えて、初診の予約を電話でとった

最初のクリニックでは、投与薬が増え続けて「精神病院の薬漬け」という言葉が頭を駆け巡り怖くなって、投薬治療がメインではない病院を探した

その病院で、いろいろな知識を得て自分の状態が、徐々に認識、言語化できるようになっていった

 

症状の苦痛もそうだが、医師やセラピスト、病院スタッフとのコミュニケーションを通じて、それまでの他者との接し方、自分との接し方についても現状を認識し、改めるめるべきは改めるように務めた

 

結局は自分の行為が自分自身を苦しめ追い込み、さまざまな不調のもとになっていることが理解できるようになる

 

その病院では多彩なプログラムが用意されていて、自分の症状にあったものを自分で選んで参加できた。体が辛い時は寝ててもよかった。誰とも話さず本や漫画を読んでいてもよかった。何よりも通院者の安全と安心が実感できるような配慮が行き届き、時間はかかったが次第にわたしもその場になじみ、安全と安心の中に身を置くことを受け入れていった

 

ここで冒頭の言葉に戻ると

わたしが、世界が善良であると実感できたのは、精神科クリニックのデイケアプログラムの場においてであり

世界に意味があるかどうかについては、未だ持って確信がなく

自分には価値がある、と言い切ることもまだできてない

 

かつてはどうだったか?

幼いころにはそういう感覚があったような気がする

幼稚園児だったころ

いつを境にその感覚が損なわれたか

記憶ははっきりしないけど

それから長い間

そういう感覚を持たずに過ごしてきた

 

 

 

 

 

 

不安型愛着スタイル 岡田尊司著 光文社新書

巻末にある

愛着スタイル診断所テスト

やってみた

 

45の設問に

はい

いいえ

どちらとも言えない

の3択で答えるもの

 

点数計算でその人の傾向が出てくる

 

わたしは

恐れー回避型の愛着スタイルだった

 

こういう人間関係のパターンについて

今まで考える機会がなかった

今さらながらな気がするけれど

気がついてよかったのかもしれない

 

遅くはない

始めたら始まりさ

 

昨日SIONのライブで聴いた歌

3年ぶりくらいでSIONのライブ行ったけど

SION

相変わらず若々しくて力強く

歌が上手くなってた気がする

 

まだまだがんばろう

がんばらなきゃ

素直にそう思えた

勇気をもらった

パワーをもらった