死にたい

考えることもなく

口から漏れることが

たびたびある

 

本当に死にたいと思ってるかと言えば

そうではない

 

消えて無くなりたい

いなくなってしまいたい

存在を消しさりたい

 

そんな気持ちのとき

死にたい

と言葉が口から漏れ出す

 

死にたい

と口にすることで

少しだけ救われた気になる

甘美な陶酔感に浸って

現実逃避

自己憐憫でもあるらしい

 

ほんの一瞬

 

逃げ出したい

なにから?

自分自身から

生の重さから

人としての責務から

世間から

他人の目から

・・・

抑圧から・・・

 

死にたい

本当に死にたいわけではなく

今の生から逃げ出したい

自分自身から離れたい

そんな時に

ぽろっと口からこぼれてくる

 

 

夢を見た

わたしはよく夢を見る

現実味のある

忙しかったり

怖かったり

慌ただしかったり

そんな夢が多い

見たことも言ったことない場所

会ったこと(覚え)のない人たちが出てくる

 

おととい見た夢はちょっと違った

前に世話になった医者の先生が出てきて

その医者先生と二人で酒を飲む場面

場所は医者先生の別荘か隠れ家みたいな

田舎の木造建築

そこに招かれたのか訪問したのか

わたしが赴く

医者先生は見たこともない笑顔で歓待してくれた

よく見れば

これまでなかった山羊髭のような顎ひげがある

眼鏡の奥の細い目は

本当に笑ってるように見える

そんな先生を前に

わたしは戸惑いを覚えながら

態度を決めかねている

 

医者先生は

自身がカメに仕込んだ薬酒を振る舞おうという

地下の涼しい場所にあるという

わたしが

応じるべきか

遠慮するべきか

迷っていると

医者先生は腰をあげて

自ら取りに行こうとする

わたしは慌てて医者先生を制して

階下にあるカメに酒を汲みに降りて行った

 

薬酒を汲んで

席に戻り

座卓を挟んで差し向かいで

医者先生と酒を酌み交わす

医者先生は破顔の上機嫌だ

本当にわたしとの主席を楽しんでるようだ

話は医者先生が主導し

わたしは相槌を打つか

質問に簡単に答えてる

そのうち

医者先生は

とっておきのつまみを出すという

串に刺して干した果物のようなもの

初めて見るもので

どうやって食べたらいいものか

思案していたら

医者先生はおもむろにわたしの串から

ひとつ干し果物を外して

わたしの口に押し込んだ

 

外の皮は硬いが

中身はつるんとしてやわらかく

甘味の中にツンとする苦味があった

体には良さそうだ

医者先生はわたしの反応を確かめると

にっと笑ってなにやら囁いた

なにを言ったのか定かではない

 

どうだ美味いだろう

これは〇〇によく聞くんだ

そんなことを言ったかと思う

残念なのは

〇〇のところが不確かなこと

 

一体どんな効用があるのだろう?

でも

医者先生が嬉しそうに勧めてくれたものだから

良いものに違いない

わたしはそう納得するようにした

医者先生は上機嫌で笑顔で話している

そして

おい 前みたいに「ぶっこわしてやる」

あれをまたやってみないか

そう言ってわたしを焚きつけてきた

「ぶっこわしてやる」?

なんだっけそれ?

もやもやしながら

わたしは目を覚ました

 

ぶっこわしてやる?

それは一体何だった?

 

昨日ももやもやそのことが

浮かんだり消えたりしていた

 

これを書いてて思い出したのは

医者先生に出会う前のわたしは

ぶっこわす

というのが行動原理だったように思う

医者の先生にあってからも

その思考はなかなか抜けず

直接行動はもちろん取らず

穏やかで適切な形で

ぶっこわしたい対象に立ち向かってきたっけ

 

怒りの対象

不当なことものひと

そういうものをぶっこわす

反骨精神というのだろうか

 

もう一度

そういうのを思い出してもいいんじゃないのか?

医者先生は

そう問いかけているのだろうか

 

しかしまたなんで?

医者先生はわたしのことをまだ気にかけてくれてるのか

それは何だか面映くあり嬉しいこと

あるいは

わたしの深層心理が

医者先生の姿を借りて

自分自身に呼びかけてるのか?

 

わたしは対人関係において

しょっちゅう

申し訳ないとの思いが頭の中に浮かんでくる

それが対人関係におけるわたしの行動を決定する

顕著なのは

大勢の間で話す時

こんなにたくさんの人たちの時間を

無駄にしてしまって申し訳ない

と思うので

とにかく端的に短く話すことに努める

うまくいけば素晴らしいが

短時間に要点を詰め込むのは難しく

大体とっ散らかった話になってしまう

 

あと

人から親切にしてもらうと

咄嗟に申し訳ないと感じて

それは負い目にもなって

深い感謝や恩返し行動に転じて

それは悪いことではないのだが

度が過ぎるようで

相手の依存心を掘り起こし

都合のいい人になってしまうようだ

 

他者からの高評価も

同じような結果になる

こんな俺のために

申し訳ない

と心のどこかで引け目を感じてしまう

 

ネットで調べてみたら

note の記事が見つかった

 

記事中に

存在への罪悪感

自己肯定感の低さ

に起因する?

とあり

全くその通りだとおおいに納得

 

とにかくわたしは自己肯定感が低い

いつも自分はダメだと思っていて

なにかあれば自分を責める思考に陥る

声は随分前から気づいているので

自分で自分をフォローする癖をつけてきた

 

自己愛の強い同性(ナルシスト)に

いいように扱われてしまう傾向に気がついたのが最近

これも自己肯定感の低さに起因してる

自己愛強めに人の自信ありげな態度に

この人は立派な人なんだと

根拠曖昧なまま信じ込んでしまう

相手は自分大好きなので

こちらが褒めたり持ち上げれば

大変気持ち良くなって

ニコニコになるのはいいのだけど

そのうち態度は増長して

いつやら上から目線で接してくる

こういう経験を繰り返してきて

やっと最近

自分の自己肯定感の低さに原因があることに気がついた

 

わたし

なんんでそんなに自己肯定感が低いのか?

もちろん幼少期の家族との関係性に原因がある

しかし

わたしももういい歳である

それなりに人生を歩んできた

普通の人にはできないことや

体験し得ないことを体験してきたし

他者の役に立つことも

社会貢献だって実現してきた

そんなに捨てた存在ではないのだ

やっとそこに気がついた

そこに気が付きにくいのは

わたしの特性ひとつである記憶の埋没にある

ある場面は詳細に記憶してるのに

普段はぱっと必要な記憶ができない

今の自分と過去の自分が線で繋がっておらず

ポツポツ断線されて

点と点でしか表現できない

このこちにも最近気がついた

だから

文字にして

文章にして

物語として

表現することが

わたしにとっては大切だし

わたしの未来を豊かなものにするために

必要なことと思えてくる

 

次に

存在への罪悪感

これについては

これから掘り進めることになるのだが

畑で草取りをしてたらら

ふと子供の頃の記憶が蘇ってきた

いつも母親の仕事先に連れて行かれて

とにかくいい子にしてることが求められた

母親の邪魔をしない

職場の人たちに迷惑をかけない

その禁を犯せば容赦ない母親の罵声怒声

時には暴力にさらされる

子供の頃?

平日の日中に母親の職場に同行するのだから

小学生に上がる前のことだろう

もしかしたら幼稚園前なのか?

そのへんの年齢のことはわからない

調べてみたらわかるかもしれないが

母親は既に他界しているし

親しい肉親もいない

 

思い出すのは

第百生命という保険会社の事務所

上野か御徒町の小さな機械工場(こうば)

国鉄(現JR)の車内

 

こういう記憶をたどりながら

自分自身の歩いてきた道のりを紡いで

未来への道標としたい

 

 

3月は気温の変化が激しくて

体調管理が難しい

寒暖差アレルギーというのがあって

わたしもそうみたい

急激な温度差に晒されると

体の感覚が鈍くなり

寒いのか温かいのかわからなくなる

くしゃみが立て続けに出て

透明な鼻水が流れ続け

熱はないので

いつも通りの生活を続けてると

どんどん感覚がわからなくなり

頭痛や倦怠感が出てきて

体を休めてやっと回復へとつながる

 

またやったなと思ったら

早めの養生を心がけたい

 

時々面談するお医者さんにこの話をしたら

いつものように

一人暮らしの弊害ですね、みたいになった

確かにそうなんだと思う

一人だと客観視できなくて

ついついいつもどうりに振る舞おうとするし

諌められることも

ケアされることもない

 

自分の中で

誰かにケアされるとか

気遣ってもらうとか

発想がほとんどなくて

むしろ

自分がケアできるか

優しくできるか

そちらの心配の方が大きい

 

対人関係で

最近やっと気がついたのは

わたしは

自己愛が肥大した同性への対応に難があるということ

気がつくと

相手のペースにはまって

相手の感情に気を配って

自分の行動を決めている

要は過剰サービスということ

 

自己愛が肥大した男たちは

ちょっとしたことで傷ついて

寂しそうな表情を見せてくるから

わたしの罪悪感が刺激される

あるいは憐憫の情

 

これは多分原家族での人間関係に起因している

父と兄

子供の頃から二人に気を遣って振る舞ってきた

わたしの感受性の優れたところもあっただろう

 

相手を立てる前に

自分の感覚にアンテナを向けて

自分のうちなる声に耳を澄ませたい

 

肥大した自己愛者は

他者より自分優先は当然のことで

わたしのような

自分より他者のお気持ち優先の人は

利用されるか

悪くすれば食い物にされてしまう

 

自己愛が肥大した人はかわいそうではないんだよ

みっともないことに気がついてないんだよ

 

気をつけよう

「父と家族とわたしのこと」を観た

がっかりだった

なんだかボヤッとしてよくわからなかった

期待して

2時間かけて東中野まで行った分だけ

がっかり感も大きかったかも

 

戦争トラウマがテーマの映画

戦争に行って帰ってきた父親とかに

酷い暴力を受けて育った子供たちが

苦悩を克服しながら

親のたどった道を捉え直す、みたいなストーリー

 

それはそれで文句はない、が

被害を受けた子供たちの凄惨な体験が伝わってこない

そして

成人してなお

アル中や

鬱だったり

自傷行為などの

苦しみがあまりにもサラッと描かれていて

いやいや

そんなはずないだろ

そこから抜け出すだけでも

相当な痛みがともなったはずで

 

映画撮ってる人も取られてる人も

どこか他人事みたいな感じで

共感できるところがほとんどなかった

 

あと

AI加工で顔変えたら

表情や顔に浮かぶ痛みなども

全く伝わってこないでしょ

 

一言で言えば

企画倒れの映画

本の方が臨場感伝わってきた

 

映画の後のトークショーで

監督はいい人なんだなっってわかったのが救い

でももう一人の知り合いの監督(東北地震の津波の話)は

圧が凄くて怖かったというか、不快だった

業界の人は怖いんだな、やっぱり

 

当事者の一人として

自分で書かなきゃダメだと

思ったのが収穫といえば収穫

 

見なくても損しない映画

「父と家族とわたしのこと」を観た

がっかりだった

なんだかボヤッとしてよくわからなかった

期待して

2時間かけて東中野まで行った分だけ

がっかり感も大きかったかも

 

戦争トラウマがテーマの映画

戦争に行って帰ってきた父親とかに

酷い暴力を受けて育った子供たちが

苦悩を克服しながら

親のたどった道を捉え直す、みたいなストーリー

 

それはそれで文句はない、が

被害を受けた子供たちの凄惨な体験が伝わってこない

そして

成人してなお

アル中や

鬱だったり

自傷行為などの

苦しみがあまりにもサラッと描かれていて

いやいや

そんなはずないだろ

そこから抜け出すだけでも

相当な痛みがともなったはずで

 

映画撮ってる人も取られてる人も

どこか他人事みたいな感じで

共感できるところがほとんどなかった

 

あと

AI加工で顔変えたら

表情や顔に浮かぶ痛みなども

全く伝わってこないでしょ

 

一言で言えば

企画倒れの映画

本の方が臨場感伝わってきた

 

映画の後のトークショーで

監督はいい人なんだなっってわかったのが救い

でももう一人の知り合いの監督(東北地震の津波の話)は

圧が凄くて怖かったというか、不快だった

業界の人は怖いんだな、やっぱり

 

当事者の一人として

自分で書かなきゃダメだと

思ったのが収穫といえば収穫

 

見なくても損しない映画

「父と家族とわたしのこと」を観た

がっかりだった

なんだかボヤッとしてよくわからなかった

期待して

2時間かけて東中野まで行った分だけ

がっかり感も大きかったかも

 

戦争トラウマがテーマの映画

戦争に行って帰ってきた父親とかに

酷い暴力を受けて育った子供たちが

苦悩を克服しながら

親のたどった道を捉え直す、みたいなストーリー

 

それはそれで文句はない、が

被害を受けた子供たちの凄惨な体験が伝わってこない

そして

成人してなお

アル中や

鬱だったり

自傷行為などの

苦しみがあまりにもサラッと描かれていて

いやいや

そんなはずないだろ

そこから抜け出すだけでも

相当な痛みがともなったはずで

 

映画撮ってる人も取られてる人も

どこか他人事みたいな感じで

共感できるところがほとんどなかった

 

あと

AI加工で顔変えたら

表情や顔に浮かぶ痛みなども

全く伝わってこないでしょ

 

一言で言えば

企画倒れの映画

本の方が臨場感伝わってきた

 

映画の後のトークショーで

監督はいい人なんだなっってわかったのが救い

でももう一人の知り合いの監督(東北地震の津波の話)は

圧が凄くて怖かったというか、不快だった

業界の人は怖いんだな、やっぱり

 

当事者の一人として

自分で書かなきゃダメだと

思ったのが収穫といえば収穫

 

見なくても損しない映画

先日旧友と久しぶりに会ってご飯を食べた

お酒も飲んだ

話の流れで

わたしはタカイチを批判した

彼女はわたしが男だからそんなことが言えるんだ

とわたしを非難した

何も総理が女だから批判してるのでなく

原子力空母の上で飛び跳ねたり

軽率な発言で中国の怒りを買って経済的ダメージによる損失など

愚かな振る舞いが目に余ると話した

すると彼女は話を転じて

自分がいかにボランティア先で差別を受けてるかと訴えた

わたしは辟易しながら

差別はされる方ではなくする方に非があるのだから

気にすることはないし

そもそもあなたは何のためにボランティアしてるのかと聞いた

その向こうにいる弱い人たちの力になりたいから

その後は会話が続かなかった

帰宅して思った

弱い立場の人たちのためなら

差別される痛みは貴重な体験になるだろう

痛みを知ることは人に寄り添う時に大切なこと

そして

小さき旧友を非難してまで権力者を擁護した彼女は

いったいどういう立ち位置なのだろう?

わたしは彼女の友人なのだろうか。。。

なんだかやるせない

 

映画「旅と日々」を見た

良い映画だった

映画を見て幸せな気持ちになったのは久しぶり

見てよかったと心から思えた

 

物語は静かに始まり

静かに終わった

まだまだ見てられると思い

もっと見たいとも思った

何を期待して?

なんだろう?

 

この映画では何も起こらない

いやいくつかのことが起こるけど

大騒動に発展はしない

静かに収束してゆく

その過程が良いのかもしれない

 

映像も良い

海の鮮やかで怖いくらいの青

それが

雨降る海の場面で色を失い

その後ガラッと変わった雪国では

白黒?かと思うほど陰影濃い世界が映し出される

 

登場人物の表情も読み取れない中

主人公の女性だけが淡々と浮かび上がる

彼女の発する言葉とともに

この映画の主人公のひとりは

言葉なのかもしれない

言葉と静けさ

静けさあっての言葉

語る者の胸の内とは?

 

言葉ではなく

ま(間)というのだろうか

言葉と言葉の間の静けさが

何かを語りかけてくるようで

わたしひとり頭の中で言葉がめぐる

ときどき大して面白くないのに

クスッと笑わせてくれる場面もいい

 

初めの場面で出てくる若い女性が

やせっぽちで心もとない感じだったのが

雨の海で泳ごうと水着になると

その豊満なボディに圧倒された

同じ人?と目を疑うばかりに

それがまた

そんなことはない場面なのに

妙にエロチックで想像が掻き立てられる

この場面

女性はどう感じるんだろう?

 

物語のもうひとつ重要なものはカメラ

古いタイプのフィルムカメラ

このカメラに収められた写真は何を語っているのか?

語られる言葉

語られない言葉

主人公の女性を通して

人とは?

人と人をつなぐものとは?

そんなことも考えさせられた

 

またカメラで写真を撮ろう

誰も読もないかもしれないけど

また何かを書いてみたい

 

 

 

ルポ 戦争トラウマ

ー日本兵たちの心の傷にいま向き合うー

後藤遼太・大久保真紀 著 朝日新書

 

この本を読んだ感想とかポイントを書こうと思って

書き始めたら違うものが出てきた

 

戦争トラウマ

東京新聞7月20日朝刊 こちら特報部の記事

あと

望月衣朔子記者の動画で

沖縄タイムス黒島美奈子論説委員へのインタビュー

などで

戦争トラウマのことを知り

深く印象に残っていた

 

わたしはもちろん戦争体験者ではなく

両親、祖父母にも

出征したという話は聞いていない

 

父母とも1936年生まれ

終戦は1945年なので二人とも9才

父の父親は当時日本統治下の台湾で警察幹部をつとめていて

父は台湾で生まれ育ち

敗戦後に日本にひきあげてきたようだ

父からは台湾の暮らしのこと

戦時下のこと

聞いたことがなかった

一方母からは

わたしが子供の頃

しょっちゅう戦争時の話を聞かされた

食べ物がなくてしじゅうひもじかったこと

さつまいもの蔓を食べていたこと

母の兄が近所の家の庭の柿の実を盗んで取ってくれたこと

食べ物にまつわる話が多かったようだ

8月6日の朝

西の空にピカッと光る閃光を見たような気がする

とも言っていた

わたしはそれを聞いて子供心にも

さすがにそれはどんなもんだろうか

疑問を抱いたことを覚えているが

母のその言葉は折に触れて思い出す

母の実家は千葉県であった

 

わたしは

子供の頃に母からひどい打擲を受けた

折檻というよりは虐待であっただろう

そのことは記憶の奥底に封じ込められて

フラッシュバックという形で

30代後半になって突如呼び起こされた

 

体調不良で精神科を受診しで

うつ病と診断されてから2年目のことだった

その記憶は大人のわたしにとってもあまりにも忌まわしく

受け入れ難いもので

記憶が呼び起こされるたびに

喉が絞られ腹が締め付けられて苦しくなり

頭の中がじんじん痛み

体がぎゅっと押さえつけられるような圧迫感があり

それにじっと耐えているうちに

涙がこぼれ

やがて記憶が薄れると

少しずつ体が楽になって

ほーっと深い息を吐いて

身体中の力が抜けて

ぐったりその場に横たわるのだった

 

医師のアドバイスを受けて

その場面を絵に描いたり

安全な場所で語ったたり

文字に起こしたり

しながら向き合ううちに

記憶の脅威は段々と弱まっていった

 

それはあくまでも過去のことで

今の自分は安全なところにいて

そのような暴力に怯える必要はないことを

理性を持って自分自身に語りかけたりもした

 

記憶の脅威が薄れてゆくと

体の不調があちこちに出始めた

背中の痛みがひどくなり

精神科の主治医から整形外科の受診を勧められて

レントゲン撮ったりしたが異常はなくて

自分で探してあちこちのマッサージや整体にもいったが

はかばかしい効果はなくて

インターネットで見つけた

隣町の整体の先生がとても優しくて

最初の治療時に背中に触って

「これはさぞ辛かったことでしょう」

その言葉は涙が溢れるほどに嬉しかった

わかってもらえる人がいるという安心感

しばらくその整体院に通ううちに

背中の痛みが楽になってきて

ありがたいなぁと心から思い

自ずと感謝の気持ちが湧いてきて

体が楽なことの幸せなひと時を過ごしていると

今度は猛烈に背中が痒くなって

いてもたってもいられなくなった

その時は

精神科のデイナイトケアのために通院していたので

クリニックの看護師に相談したところ

近くの皮膚科を教えてもらい

急いでそこを受診したら

皮膚科の先生はニコニコしながら

ぶっとい注射を背中に打ってくれた

注射をしてすぐに背中の痒みは治まったが

一体自分の体に何が起きてることか

全くわからずただただ翻弄されて

右往左往するばかりで

精神科の医師に話しても首をかしげるばかりで

要領を得ないのであった

 

クリニックに数名いるうちの著名な医師などは

グループカウンセリングの場で

ここに通ってる男たちはみなそこそこポンコツで

回復にはほど遠く

恋愛やらお相手探しなどできる状態ではない

ましてや

背中が痛いかゆいなど言ってるような奴は

とバカにしてるのか

からかってるのか

どういうつもりなのか

ニヤニヤ笑いを浮かべて

神妙に話を聞いてるわたしを含めた男の患者たちに向かって話すのだった

 

前置きが長くなった

自分のトラウマ体験と症状

それと戦争トラウマがどう関係するのか

それについて触れたくて書き始めたら

止まらなくなってしまった

自分の症状はここまでにして

母親のことについて記しておきたい

 

精神科の診察を受けて

初診からは20年くらいたっだろうか

今のわたしは身体症状に苦しむことはほとんどないが

セルフケアとか対人関係とか

あれこれ悩ましいことは日々あるわけで

その由来を考えて過去を遡って記憶を掘り返したりしていると

どうしても母との関係にいきつくことは多い

そうすると自然と母のことを考えて

母はなぜあのようなことを?

母の異常な行動の数々が思い出され

母も深い傷を心に負っていたことは

間違いないことのように思われるのであった

 

そしてそれが

戦争トラウマという言葉で表現できるのではないかと

思えてきて

もちろん子供の母が戦地に赴いたたわけでなく

戦闘や空爆に巻き込まれたこともなかったのだが

戦争の残り火のようなものが向こうからやってきて

子供の母に大きな傷を残していったと

わたしは想像している

 

母の兄弟は大勢いて確か7、8人だったと思うが

母はその真ん中で

兄弟姉妹の世話をあれやこれやして

勉強も良くできた優等生だったらしい

もちろん母が自分で言っていたことなので

本当のところはわからないのだけれど

会社の帳簿付の仕事を家に持ち帰ってして

読書が好きで

文章の綴り方や言葉の使い方に厳しい面があったことから

勉強好きだったことはそうなんだろう

歴代天皇の名前や教育勅語なんかも諳んじることができたらしい

そんなことからも

当時の教育にどっぷり浸かっていただろうし

お国のため天皇陛下のためそして兵隊さんのために

しっかり自分のできることをやるという

強い意志を持って暮らしていたものと思われる

 

戦争が終わってからであろう

外地から引き上げてくる兵隊の姿が

町にも見られるようなった頃

母の実家の町には軍隊の大きな施設がいくつもあって

軍隊の町だったので

郷里に帰らずあるいは帰ったのちに

所属部隊の駐屯地を慕ってか

少なくない復員兵が訪れたのではなかろうか

 

お国のために戦った立派な兵隊さんに声をかけられれば

無垢な女の子はその言葉に黙って従ったことだろう

 

母は

わたしが大人になって持っていた

米軍払い下げ品のブーツとカーキ色のリュックサックを

毛虫のように嫌って

家の中に入れるなと言い放った

また暗闇が嫌いで夜寝るときは

小さい灯りをひとついつもつけていた

69才で亡くなったが

亡くなる数年前からあちこち様子がおかしくなって

その頃わたしは離れて暮らし

精神科に通院して治療中心の生活だったので

詳しく知らないことも多いのだが

兄夫婦や父などから後で聞いたところでは

自分でスカート捲り上げて下着を下ろし

パンツが履けないの履かせてと言った言動を繰り返していらしい

家の中ならまだしも

時々近所の家の玄関を開けて同じことをすることもあり

もちろんその家の人はびっくりするだろうし

兄夫婦や父にそのことを報告すると

兄の奥さんが謝りに行ったということが度々あったとのことだった

いま思い出した

わたしも一度母からそういうことを求められたことがあった

 

こんな事柄から想像したのは

兵隊服を着てリュックを背負った兵隊に

手を引かれるように防空壕へ入っていく少女の姿だった