自己肯定感の低さが
わたしの課題だった
というか
自己否定がほとんどの中で
自己肯定。。。?
という感じだった
それが
ある日ある時
自分を肯定する感覚が
わかったような気がした
いつもいつも
自分を低く見積もって
対する相手を
高く見積もっている癖
付き合ってるうちに
相手はそれほどいい人でも
素晴らしい人間でも
能力が高いわけでもないことがわかってくる
それらはすべて
自分を低く見積りすぎた結果による顛末
あれだけ堂々と話してるのだから
すばばらしい人に違いない
思い込んでいるわたし
裏をかえせば
何事にも自信が持てない自分がいて
自己評価が低い結果
他者への評価を高く見積もってしまう
きみは人材だから
と言われて悪い気はしなかった
むしろ認められたような気がして
承認欲求が満たされたような気持ちになった
しかしなんか胸の内がザワザワする
考えてみた
人材。。。?
材というのは
木材とか
資材とか
建材とかと同じで
材料ということではないか
人材というならば
対価が必要で
それに見合う報酬を得て
初めて納得できる言葉
つまり
資本家とか経営者が用いる用語
そこに思い至って
わたしは初めて
自分が人材ではなくて
人間であることに気がついた
わたしはお世話になった人や
親切にしてくれた人に
お返しというか
贈り物をすることがある
高価なものを買って贈るのではなく
自分で育てた野菜とか
取り寄せた果物のお裾分けとか
決してあまりものではなくて
自分で食べたり飲んだりしても良いのだけど
良いものだから喜んでもらえたら嬉しくて
人に贈る
一方で
わたしが受け取るのは
その人が使わなくなったものだとか
売り物にはならないけど十分食べられるものだとか
自分たちで食べきれなくて捨てるのは惜しいものだとか
あーそうだったんだ
わたしは人には良いものをあげて
人からはあまりものとかもらって
満足してた
やっとそこに気がついた
これからどうしたらいいんだろう?
いらないものはいらないと言えばいいんじゃないかな?
あと
そんなふうに
贈り物が見合わない相手に敬意を払うのはやめて
付き合いも距離をとったほうがいいだろう
うまく使われる?
そんな関係が固定すると厄介だ
わたしはまぁまぁ能力のある人間だが
自己評価が低く
自己肯定感がほとんどないので
誰かにとっては
掘り出しものの超お買い得品みたいなところがある
自己肯定感を育てて
自己評価を上げて
自分の価値を見定めて
他者へのむやみな高評価は慎もう
自分と他人の関係でいえば
自分以外はみんな他人
そんな他人たちと
他人にしかいない世界で
わたしはどう向き合っていけばいいのだろう?
今更ながらの切実な課題