3月は気温の変化が激しくて

体調管理が難しい

寒暖差アレルギーというのがあって

わたしもそうみたい

急激な温度差に晒されると

体の感覚が鈍くなり

寒いのか温かいのかわからなくなる

くしゃみが立て続けに出て

透明な鼻水が流れ続け

熱はないので

いつも通りの生活を続けてると

どんどん感覚がわからなくなり

頭痛や倦怠感が出てきて

体を休めてやっと回復へとつながる

 

またやったなと思ったら

早めの養生を心がけたい

 

時々面談するお医者さんにこの話をしたら

いつものように

一人暮らしの弊害ですね、みたいになった

確かにそうなんだと思う

一人だと客観視できなくて

ついついいつもどうりに振る舞おうとするし

諌められることも

ケアされることもない

 

自分の中で

誰かにケアされるとか

気遣ってもらうとか

発想がほとんどなくて

むしろ

自分がケアできるか

優しくできるか

そちらの心配の方が大きい

 

対人関係で

最近やっと気がついたのは

わたしは

自己愛が肥大した同性への対応に難があるということ

気がつくと

相手のペースにはまって

相手の感情に気を配って

自分の行動を決めている

要は過剰サービスということ

 

自己愛が肥大した男たちは

ちょっとしたことで傷ついて

寂しそうな表情を見せてくるから

わたしの罪悪感が刺激される

あるいは憐憫の情

 

これは多分原家族での人間関係に起因している

父と兄

子供の頃から二人に気を遣って振る舞ってきた

わたしの感受性の優れたところもあっただろう

 

相手を立てる前に

自分の感覚にアンテナを向けて

自分のうちなる声に耳を澄ませたい

 

肥大した自己愛者は

他者より自分優先は当然のことで

わたしのような

自分より他者のお気持ち優先の人は

利用されるか

悪くすれば食い物にされてしまう

 

自己愛が肥大した人はかわいそうではないんだよ

みっともないことに気がついてないんだよ

 

気をつけよう

「父と家族とわたしのこと」を観た

がっかりだった

なんだかボヤッとしてよくわからなかった

期待して

2時間かけて東中野まで行った分だけ

がっかり感も大きかったかも

 

戦争トラウマがテーマの映画

戦争に行って帰ってきた父親とかに

酷い暴力を受けて育った子供たちが

苦悩を克服しながら

親のたどった道を捉え直す、みたいなストーリー

 

それはそれで文句はない、が

被害を受けた子供たちの凄惨な体験が伝わってこない

そして

成人してなお

アル中や

鬱だったり

自傷行為などの

苦しみがあまりにもサラッと描かれていて

いやいや

そんなはずないだろ

そこから抜け出すだけでも

相当な痛みがともなったはずで

 

映画撮ってる人も取られてる人も

どこか他人事みたいな感じで

共感できるところがほとんどなかった

 

あと

AI加工で顔変えたら

表情や顔に浮かぶ痛みなども

全く伝わってこないでしょ

 

一言で言えば

企画倒れの映画

本の方が臨場感伝わってきた

 

映画の後のトークショーで

監督はいい人なんだなっってわかったのが救い

でももう一人の知り合いの監督(東北地震の津波の話)は

圧が凄くて怖かったというか、不快だった

業界の人は怖いんだな、やっぱり

 

当事者の一人として

自分で書かなきゃダメだと

思ったのが収穫といえば収穫

 

見なくても損しない映画

「父と家族とわたしのこと」を観た

がっかりだった

なんだかボヤッとしてよくわからなかった

期待して

2時間かけて東中野まで行った分だけ

がっかり感も大きかったかも

 

戦争トラウマがテーマの映画

戦争に行って帰ってきた父親とかに

酷い暴力を受けて育った子供たちが

苦悩を克服しながら

親のたどった道を捉え直す、みたいなストーリー

 

それはそれで文句はない、が

被害を受けた子供たちの凄惨な体験が伝わってこない

そして

成人してなお

アル中や

鬱だったり

自傷行為などの

苦しみがあまりにもサラッと描かれていて

いやいや

そんなはずないだろ

そこから抜け出すだけでも

相当な痛みがともなったはずで

 

映画撮ってる人も取られてる人も

どこか他人事みたいな感じで

共感できるところがほとんどなかった

 

あと

AI加工で顔変えたら

表情や顔に浮かぶ痛みなども

全く伝わってこないでしょ

 

一言で言えば

企画倒れの映画

本の方が臨場感伝わってきた

 

映画の後のトークショーで

監督はいい人なんだなっってわかったのが救い

でももう一人の知り合いの監督(東北地震の津波の話)は

圧が凄くて怖かったというか、不快だった

業界の人は怖いんだな、やっぱり

 

当事者の一人として

自分で書かなきゃダメだと

思ったのが収穫といえば収穫

 

見なくても損しない映画

「父と家族とわたしのこと」を観た

がっかりだった

なんだかボヤッとしてよくわからなかった

期待して

2時間かけて東中野まで行った分だけ

がっかり感も大きかったかも

 

戦争トラウマがテーマの映画

戦争に行って帰ってきた父親とかに

酷い暴力を受けて育った子供たちが

苦悩を克服しながら

親のたどった道を捉え直す、みたいなストーリー

 

それはそれで文句はない、が

被害を受けた子供たちの凄惨な体験が伝わってこない

そして

成人してなお

アル中や

鬱だったり

自傷行為などの

苦しみがあまりにもサラッと描かれていて

いやいや

そんなはずないだろ

そこから抜け出すだけでも

相当な痛みがともなったはずで

 

映画撮ってる人も取られてる人も

どこか他人事みたいな感じで

共感できるところがほとんどなかった

 

あと

AI加工で顔変えたら

表情や顔に浮かぶ痛みなども

全く伝わってこないでしょ

 

一言で言えば

企画倒れの映画

本の方が臨場感伝わってきた

 

映画の後のトークショーで

監督はいい人なんだなっってわかったのが救い

でももう一人の知り合いの監督(東北地震の津波の話)は

圧が凄くて怖かったというか、不快だった

業界の人は怖いんだな、やっぱり

 

当事者の一人として

自分で書かなきゃダメだと

思ったのが収穫といえば収穫

 

見なくても損しない映画

先日旧友と久しぶりに会ってご飯を食べた

お酒も飲んだ

話の流れで

わたしはタカイチを批判した

彼女はわたしが男だからそんなことが言えるんだ

とわたしを非難した

何も総理が女だから批判してるのでなく

原子力空母の上で飛び跳ねたり

軽率な発言で中国の怒りを買って経済的ダメージによる損失など

愚かな振る舞いが目に余ると話した

すると彼女は話を転じて

自分がいかにボランティア先で差別を受けてるかと訴えた

わたしは辟易しながら

差別はされる方ではなくする方に非があるのだから

気にすることはないし

そもそもあなたは何のためにボランティアしてるのかと聞いた

その向こうにいる弱い人たちの力になりたいから

その後は会話が続かなかった

帰宅して思った

弱い立場の人たちのためなら

差別される痛みは貴重な体験になるだろう

痛みを知ることは人に寄り添う時に大切なこと

そして

小さき旧友を非難してまで権力者を擁護した彼女は

いったいどういう立ち位置なのだろう?

わたしは彼女の友人なのだろうか。。。

なんだかやるせない

 

映画「旅と日々」を見た

良い映画だった

映画を見て幸せな気持ちになったのは久しぶり

見てよかったと心から思えた

 

物語は静かに始まり

静かに終わった

まだまだ見てられると思い

もっと見たいとも思った

何を期待して?

なんだろう?

 

この映画では何も起こらない

いやいくつかのことが起こるけど

大騒動に発展はしない

静かに収束してゆく

その過程が良いのかもしれない

 

映像も良い

海の鮮やかで怖いくらいの青

それが

雨降る海の場面で色を失い

その後ガラッと変わった雪国では

白黒?かと思うほど陰影濃い世界が映し出される

 

登場人物の表情も読み取れない中

主人公の女性だけが淡々と浮かび上がる

彼女の発する言葉とともに

この映画の主人公のひとりは

言葉なのかもしれない

言葉と静けさ

静けさあっての言葉

語る者の胸の内とは?

 

言葉ではなく

ま(間)というのだろうか

言葉と言葉の間の静けさが

何かを語りかけてくるようで

わたしひとり頭の中で言葉がめぐる

ときどき大して面白くないのに

クスッと笑わせてくれる場面もいい

 

初めの場面で出てくる若い女性が

やせっぽちで心もとない感じだったのが

雨の海で泳ごうと水着になると

その豊満なボディに圧倒された

同じ人?と目を疑うばかりに

それがまた

そんなことはない場面なのに

妙にエロチックで想像が掻き立てられる

この場面

女性はどう感じるんだろう?

 

物語のもうひとつ重要なものはカメラ

古いタイプのフィルムカメラ

このカメラに収められた写真は何を語っているのか?

語られる言葉

語られない言葉

主人公の女性を通して

人とは?

人と人をつなぐものとは?

そんなことも考えさせられた

 

またカメラで写真を撮ろう

誰も読もないかもしれないけど

また何かを書いてみたい

 

 

 

ルポ 戦争トラウマ

ー日本兵たちの心の傷にいま向き合うー

後藤遼太・大久保真紀 著 朝日新書

 

この本を読んだ感想とかポイントを書こうと思って

書き始めたら違うものが出てきた

 

戦争トラウマ

東京新聞7月20日朝刊 こちら特報部の記事

あと

望月衣朔子記者の動画で

沖縄タイムス黒島美奈子論説委員へのインタビュー

などで

戦争トラウマのことを知り

深く印象に残っていた

 

わたしはもちろん戦争体験者ではなく

両親、祖父母にも

出征したという話は聞いていない

 

父母とも1936年生まれ

終戦は1945年なので二人とも9才

父の父親は当時日本統治下の台湾で警察幹部をつとめていて

父は台湾で生まれ育ち

敗戦後に日本にひきあげてきたようだ

父からは台湾の暮らしのこと

戦時下のこと

聞いたことがなかった

一方母からは

わたしが子供の頃

しょっちゅう戦争時の話を聞かされた

食べ物がなくてしじゅうひもじかったこと

さつまいもの蔓を食べていたこと

母の兄が近所の家の庭の柿の実を盗んで取ってくれたこと

食べ物にまつわる話が多かったようだ

8月6日の朝

西の空にピカッと光る閃光を見たような気がする

とも言っていた

わたしはそれを聞いて子供心にも

さすがにそれはどんなもんだろうか

疑問を抱いたことを覚えているが

母のその言葉は折に触れて思い出す

母の実家は千葉県であった

 

わたしは

子供の頃に母からひどい打擲を受けた

折檻というよりは虐待であっただろう

そのことは記憶の奥底に封じ込められて

フラッシュバックという形で

30代後半になって突如呼び起こされた

 

体調不良で精神科を受診しで

うつ病と診断されてから2年目のことだった

その記憶は大人のわたしにとってもあまりにも忌まわしく

受け入れ難いもので

記憶が呼び起こされるたびに

喉が絞られ腹が締め付けられて苦しくなり

頭の中がじんじん痛み

体がぎゅっと押さえつけられるような圧迫感があり

それにじっと耐えているうちに

涙がこぼれ

やがて記憶が薄れると

少しずつ体が楽になって

ほーっと深い息を吐いて

身体中の力が抜けて

ぐったりその場に横たわるのだった

 

医師のアドバイスを受けて

その場面を絵に描いたり

安全な場所で語ったたり

文字に起こしたり

しながら向き合ううちに

記憶の脅威は段々と弱まっていった

 

それはあくまでも過去のことで

今の自分は安全なところにいて

そのような暴力に怯える必要はないことを

理性を持って自分自身に語りかけたりもした

 

記憶の脅威が薄れてゆくと

体の不調があちこちに出始めた

背中の痛みがひどくなり

精神科の主治医から整形外科の受診を勧められて

レントゲン撮ったりしたが異常はなくて

自分で探してあちこちのマッサージや整体にもいったが

はかばかしい効果はなくて

インターネットで見つけた

隣町の整体の先生がとても優しくて

最初の治療時に背中に触って

「これはさぞ辛かったことでしょう」

その言葉は涙が溢れるほどに嬉しかった

わかってもらえる人がいるという安心感

しばらくその整体院に通ううちに

背中の痛みが楽になってきて

ありがたいなぁと心から思い

自ずと感謝の気持ちが湧いてきて

体が楽なことの幸せなひと時を過ごしていると

今度は猛烈に背中が痒くなって

いてもたってもいられなくなった

その時は

精神科のデイナイトケアのために通院していたので

クリニックの看護師に相談したところ

近くの皮膚科を教えてもらい

急いでそこを受診したら

皮膚科の先生はニコニコしながら

ぶっとい注射を背中に打ってくれた

注射をしてすぐに背中の痒みは治まったが

一体自分の体に何が起きてることか

全くわからずただただ翻弄されて

右往左往するばかりで

精神科の医師に話しても首をかしげるばかりで

要領を得ないのであった

 

クリニックに数名いるうちの著名な医師などは

グループカウンセリングの場で

ここに通ってる男たちはみなそこそこポンコツで

回復にはほど遠く

恋愛やらお相手探しなどできる状態ではない

ましてや

背中が痛いかゆいなど言ってるような奴は

とバカにしてるのか

からかってるのか

どういうつもりなのか

ニヤニヤ笑いを浮かべて

神妙に話を聞いてるわたしを含めた男の患者たちに向かって話すのだった

 

前置きが長くなった

自分のトラウマ体験と症状

それと戦争トラウマがどう関係するのか

それについて触れたくて書き始めたら

止まらなくなってしまった

自分の症状はここまでにして

母親のことについて記しておきたい

 

精神科の診察を受けて

初診からは20年くらいたっだろうか

今のわたしは身体症状に苦しむことはほとんどないが

セルフケアとか対人関係とか

あれこれ悩ましいことは日々あるわけで

その由来を考えて過去を遡って記憶を掘り返したりしていると

どうしても母との関係にいきつくことは多い

そうすると自然と母のことを考えて

母はなぜあのようなことを?

母の異常な行動の数々が思い出され

母も深い傷を心に負っていたことは

間違いないことのように思われるのであった

 

そしてそれが

戦争トラウマという言葉で表現できるのではないかと

思えてきて

もちろん子供の母が戦地に赴いたたわけでなく

戦闘や空爆に巻き込まれたこともなかったのだが

戦争の残り火のようなものが向こうからやってきて

子供の母に大きな傷を残していったと

わたしは想像している

 

母の兄弟は大勢いて確か7、8人だったと思うが

母はその真ん中で

兄弟姉妹の世話をあれやこれやして

勉強も良くできた優等生だったらしい

もちろん母が自分で言っていたことなので

本当のところはわからないのだけれど

会社の帳簿付の仕事を家に持ち帰ってして

読書が好きで

文章の綴り方や言葉の使い方に厳しい面があったことから

勉強好きだったことはそうなんだろう

歴代天皇の名前や教育勅語なんかも諳んじることができたらしい

そんなことからも

当時の教育にどっぷり浸かっていただろうし

お国のため天皇陛下のためそして兵隊さんのために

しっかり自分のできることをやるという

強い意志を持って暮らしていたものと思われる

 

戦争が終わってからであろう

外地から引き上げてくる兵隊の姿が

町にも見られるようなった頃

母の実家の町には軍隊の大きな施設がいくつもあって

軍隊の町だったので

郷里に帰らずあるいは帰ったのちに

所属部隊の駐屯地を慕ってか

少なくない復員兵が訪れたのではなかろうか

 

お国のために戦った立派な兵隊さんに声をかけられれば

無垢な女の子はその言葉に黙って従ったことだろう

 

母は

わたしが大人になって持っていた

米軍払い下げ品のブーツとカーキ色のリュックサックを

毛虫のように嫌って

家の中に入れるなと言い放った

また暗闇が嫌いで夜寝るときは

小さい灯りをひとついつもつけていた

69才で亡くなったが

亡くなる数年前からあちこち様子がおかしくなって

その頃わたしは離れて暮らし

精神科に通院して治療中心の生活だったので

詳しく知らないことも多いのだが

兄夫婦や父などから後で聞いたところでは

自分でスカート捲り上げて下着を下ろし

パンツが履けないの履かせてと言った言動を繰り返していらしい

家の中ならまだしも

時々近所の家の玄関を開けて同じことをすることもあり

もちろんその家の人はびっくりするだろうし

兄夫婦や父にそのことを報告すると

兄の奥さんが謝りに行ったということが度々あったとのことだった

いま思い出した

わたしも一度母からそういうことを求められたことがあった

 

こんな事柄から想像したのは

兵隊服を着てリュックを背負った兵隊に

手を引かれるように防空壕へ入っていく少女の姿だった

 

 

 

罪悪感というと

ちょっとした後ろめたさ、くらいのニュアンスだろうか

例えば

夜寝る前にアイスクリームを食べたとき、とか

ショートケーキを一度にふたつ食べたとき、とか

本当は

それほど悪いことでないけれど

自分自身の線引きや世間的に見て

ちょとダメだよな、的な

案外軽い自責の念くらいの範疇じゃないだろうか

 

しかし、だ

わたしの場合

ことはもっと深刻で

罪悪感を感じるというときは

それは本当に罪人であり

咎人であり

許されざる者

といった方がしっくりするのだ

とは言ったところで

法的な意味で罪を犯したわけではなくて

心理的に自分の非を認めて

自分自身に対する処罰は甘んじて受けなくてはならない

という一連の流れに

身を処することになる

 

だから

一般に人がいう幸福とは

距離を置いたところに身を置いているように思える

 

いわゆる幸福感に包まれたとき

おまえごときが

おまえなんかが、と

自分を責める言葉が頭の中に聞こえてくる

それを聞くと

あぁそうだよな

オレなんかが、幸福になってちゃいけないよな

と考えを改めて

そっとその場を離れてゆくことになる

 

押し返さなきゃ

そんな声が聞こえてきたら

は? なんで? 何言ってるの? バカじゃん?

それで十分

理論武装なんていらない

人が幸福を求めるのに

誰かの許可なんかいらない

まして母親は

子供の幸せを見守るのが

母としての役目の大きな役わりのはず

 

そんな声が

そんな言葉が聞こえてきたら

もう

あんたのその価値観に付き合わされるのはごめんだよ

そういうって突き放すのは

悪いことでも

間違ったことでもない

 

 

3ヶ月に1回

東京曙橋駅近くのクリニックに行って

お医者さんと話をしている

その先生は、かつて港区の精神科クリニックで主治医だった

長い間、通院していたクリニックだったが

体調が回復して通院をやめた後

しばらくしたら閉院となっていた

体調は回復しても人間関係に違和感をおぼえ

特に親密さの構築に問題があるように思え

たまたま書店で手にした本で愛着障害を知り

自分に当てはまることばかりで

自分は愛着障害だとほぼ確信した上で

ネットで検索してかつてお世話になった先生を訪ねた

 

前回の面談の際

健全な自己愛を育てる

というテーマをいただいた

何かを成し遂げた時

何かをより遂げた時

自分はできるんだ

自分はできたんだ

そういう満足感や達成感を味わって

自分自身を認めてあげることが大事だよ

そうするうちに

自分を否定する考えが消えてゆくもんだよ

と、教えていただいた

 

異性からの好意とか

何かをして賞賛を受けたりすると

妙に意心地悪く感じて

その場から逃げ出して

自分自身を罵倒したくなる

勘違いするなよ

お前なんかにだれが・・・・

そんな言葉が

毒々しく凶々しい響きを伴って

頭の中を駆け抜ける

 

逃げろ逃げろ逃げろ

 

その声

その言葉は

幻でしかない

かつて植え付けられた呪詛に捕まえられて

ずっと抜け出せないでいた

幸せ恐怖の原因

母親の呪い

お前が幸せになるのはこのわたしが許さないよ

はっきりそう言われたことはないが

ことあるたびに言葉にならないメッセージを

幼いわたしは日々受け取っていた

 

呪詛払いの時がきた

 

 

「解離」という症状は

ずっと気になっていた

なんだか身近に感じていたのだけど

じゃあ、解離って何?

と聞かれると言葉が詰まる

 

自分自身と意識や感情が分離してる状態?

ぼんやりとだけど

そんなふうに捉えていた

でも、最近読んだ本によれば

それは離人症と呼ばれる症状らしい

 

人と対面で話してる時

ぽやーとして

相手の言葉は聞こえてるけど

自分自身は何も感じず

相手に怪しまれないよう表情を作ったり

適当に相槌打ったり

あるいは

頭の中でイメージが巡るのを眺めていたり

 

こういうことはしょっちゅうだった

 

解離、に話を戻すと

どうやら、人格の分離ということらしい

 

「愛着障害と複雑性PTSD」岡田尊司著 SB新書によれば

解離という現象は、憑依や記憶喪失、二重人格、催眠術などにおける意識や記憶、人格の変容として、古くから経験的に知られていたが、心理学的に体系化した最初の人は、先にも触れたピエール・ジャネである。ジャネは、『心理学的自動症』(1889)のなかで、心理学的統合不全の状態に対して「解離」という用語を用いた。P246

 

どうもわかりにくいのだが、この章を読み進めていくと、「人格のパーツ」という言葉が出てくる。成熟した人格は、さまざまな人格のパーツを持ち合わせ、必要な時に適切な部分人格でことに臨んだり、コミュニケーションが取れるものとされている。

解離が生じた状態は、この部分人格がバラバラであり、統制すべき人格が不安定で、激しく怒ったり、かと思うと泣き出したり、子供みたいになったりして、部分人格がそれそれぞれ別個に動き出す。これでは、周囲の人たちも困るだろうし、当の本人も生きにくいことだろう。さらには、記憶は部分人格と連動しており、解離が激しいと、部分人格間の記憶の受け渡しができなくて、別の部分人格の時の記憶が出てこない状態になり、これが解離性同一性障害というもの。

 

わたしの場合、記憶と部分人格の連動性において、大いに思い当たるところがある。わたしは実際ある種の記憶が抜け落ちた状態で長い時間を過ごしてきたのだが、フラッシュバックにより突如として抜け落ちた記憶が、その時その場で起きているかのような鮮烈な臨場感を持って現れた。体全体がガクガクふるえて、腰が抜けたようになり、存在しないはずの声が頭の中に鳴り響いた。苦しくて恐ろしくてわたしは身をかがめて嵐が通り過ぎるのやり過ごそうとするのだが、涙が溢れ息苦しさに胸は圧迫され胃が締め付けられるような痛みを伴った。

これが、わたしが児童期にうけた暴力の記憶であることがわかるのは、それからしばらく経ってから、精神科医の説明によってだった。心的外傷体験に伴う外傷性記憶ということだった。

 

記憶と部分人格に話を戻すと、わたしもどうもこの部分人格間の連動がうまく機能してないようで、つい最近になって、これまで生きてきて体験した記憶が、自分の中の強い部分人格の出現と共に蘇りつつある。

 

わたしは、一見、ひ弱なように見えるのだが、普通の人が体験したことのないようなことをいろいろやってきている。それなりに修羅場を潜ってきたと言ってもいい。その記憶の多くは、悪いことではないのだが忌まわしいものとして、無意識ではあるが、意識下に押し込めてきたようだ。そうしないと、今の時間をゆっくり楽しんだり、心からくつろいだりすることができなかったからだと思う。あるいは、過剰適応によって、治療の場に集う仲間たちを怖がらせないように、それとも、自分をその場に馴染ませるために弱い者の1人として演出するためだったかもしれない。

確かにそれはそれで心地よい時間だった。モラトリウムというのだろうか。

 

しかし今、社会で一人で生きていて、他者とのコミュニケーションに煩わされ、自分自身を肯定して、自分自身の人生を送るために、過去の自分と向き合いつつ、愛着対象と共にある未来の自分を思い描くにあたって、自分が変わらなければならない事態に直面した。

するとどうだろう、これまで意識下に押し込められていた強い部分人格が戻ってきて、主導権をにぎるようになった。そして、記憶がまた頭の中で感情を伴って再生されて、それまで否定的だった自分の体験が、それほど悪いことではなかったように思えてきた。

 

不思議なものだ、と感じている。