何とも言えない色のやさしい瞳と、天使の様な美しい声を持ったクムフラ、ウルヴェヒ・ゲレロ。
「レイ・ロケラニ」と言えば、彼の歌声を思いだす人が多いと思う。
今年のメリー・モナークには彼のフラ・ハーラウ・カウルオカラーがこのメレで出ていましたね。
私の目にずっと映ってきたもの
それは美しい花
私のただひとつ愛する花
甘い香りが漂う
私はしっかりと編む
誇りをもって身にまとう私のレイを
レイ・ロケラニ
愛するそして尊いレイ
私の目にずっと映ってきた土地
それにかなうものはない
マウイの大王、カマラーラーワルよ
この花の生まれたところ
マウイ、あなたは人々に知られている
ピイラニの湾の数々
威厳のあるハレアカラ山
東にそびえる
作曲したのはチャールズ・E・キング。
20世紀初頭の人気の作曲家で、「ケ・カリ・ネイ・アウ(ハワイアン・ウェディング・ソング)」、「カイマナヒラ」等の日本人にも人気のある、ハワイアン音楽を代表するメレを書いている。
ロケラニとはマウイ島の花だ。
マウイ島への愛を、ピンクのかわいらしく、美しいロケラニに例えて歌っている。
ところで、マウイ島では、1500年代~1700年代は、偉大な業績と傑出した王族たちの黄金時代であった。
歌詞の中にでてくるピイラニとカマラーラーワルもこの時代の尊敬される、偉大な王だった。
この二人の時代について調べてみた。
まず、ピイラニとは「天に昇る」という意味で、生まれたのは1460年頃だった。
東マウイと西マウイの政治的統一をし、15世紀後半にマウイ島のモイ(王)として統治した。
ピイラニは島全体を一周する道路の建設を始めている。
それは8人の男が横並びで歩けるほどの幅があったという。
ピイラニの死後、建設は彼の息子によって完成された。
現在のピイラニ・ハイウェイは、一部この古い道路を使っている。
そのほか、壮大なスケールの儀式用建築物、ハワイ諸島最大のヘイアウ(神殿)であるピイラニハレを建てた。
この時代、マウイ島の統治は平和であった。
それはカメハメハ大王による侵略と征服まで2世紀半に渡って続いた。
ピイラニ王の死後、後継者は長男のロノ・ア・ピイラニに引き継がれたが、その性格と評判は、貪欲で、不遜で、誰に対しても乱暴であったと言われている。
ロノは弟のキハ・ア・ピイラニにひどい仕打ちをした。
そのため、彼はハワイ島に亡命し、妹のピイケアとその夫であるウミ=ア=リロア王にロノを追放するよう求めた。
ウミは酋長と戦士を招集し、マウイ島の侵略の準備を整えた。
ハナに上陸した侵略者たちは、カウイキの丘の頂上にある要塞を襲撃し、最終的に守備隊を打ち破った。
ロノは戦死し、キハがマウイ島の王となった
二人目は、カマラーラーワル、「8つの枝の息子」という意味の名前を持つ。
キハ・ア・ピイラニの長男として生まれた彼は、父の後を継いでマウイ島の王となった。
彼の摂政時代は、賢明な政治、優れた資源管理、気さくで豪華な王宮、平和と繁栄など、啓蒙的なリーダーシップが高く評価されている。
彼の名前は、古代ハワイのマウイ島アリイアイモク(最高統治者)として、古いオリに出てくる。
歌や伝統の中でマウイヌイ・ア・カーマ(カーマの偉大なるマウイ)と歌われているため、現代の私たちも、度々、目にふれることのある名前となっている。
今日は、穏やかなクム・ウルヴェヒの声を聴きながら、マウイ島の歴史に思いをはせてみようと思う。
ハーラウ・フラ・カウルオカラー@メリーモナーク 2023
Maui Chiefs, Images of Old Hawaii