昨晩、仲間たちと出かけた
カイマナヒラを見に
カイマナヒラ、高くそびえる
仲間たちとワイキキへと出かけた
サーフィンをしている人たちを見に
サーフィンボードは波の上を滑らかに行く
仲間たちとカピオラニ公園へと出かけた
競馬場を見に
競馬場で、くたくたになったよ
仲間たちとの楽しい外出
カイマナヒラを見に
カイマナヒラ、高くそびえる
ちょうど、100年ほどまえの1916年、近代のハワイアン音楽の基礎を築いたといわれる、チャールズ・E・キングによって書かれた曲だ。
気の合う仲間たちとのホノルルの休日の過ごし方を歌った楽しいメレだ。
では、タイムスリップして、昔のホノルルの街を楽しんでみよう。
歌の一番は、カイマナヒラ、つまり、ホノルルの街を見下ろすようにそびえ立つ、ダイアモンドヘッドについて歌っている。
カイマナとは、ハワイ語ではダイアモンド、ヒラは丘という意味である。
19世紀にイギリスの水夫たちがこの山に登った時、火口付近で発見した方解石をダイアモンドと間違え、この名前がついたとのことだ。
それ以前、先住民たちはその形から、レアヒ(マグロの額)と呼んでいたそうだ。
伝説にでてくるこの山の話はスケールが大きい。
ハワイ諸島を北から、住処を求めて旅をする火の女神ペレは、この地に住むために穴をほったそうだ。
しかし、水が噴き出してしまった。
断念した火の女神は次の住処を探してさらに南へと旅をし、最期にハワイ島のキラウエアのハレマウマウに落ち着いたという。
↓ ペレが住まうというハレマウマウについてのお話です。
二番に出てくる、サーフィンの原型は、4世紀ごろには、板に乗って、波の上を走るスポーツであったと考えられている。
その後、ポリネシア全体に広まっていった。
ハワイでは、昔、王族たちは板に乗って波の上を走る、この競技に夢中になった。
サーフィンを初めてみたヨーロッパ人は、イギリス人の探検家、ジェームス・クックだと言われている。
その後、ハワイへとやってきた宣教師たちは、ハワイの文化を否定し、このスポーツを禁止し、サーフボードを焼いてしまったこともあるという。
抑圧されてきたスポーツだが、その後、オリンピック4大会に水泳で出場し、6個のメダルを取った、ハワイ人の英雄、デューク・カナハモクの登場によって陽の目を見るようになった。
三番に出てくる、カピオラニ公園はハワイで一番大きく、ホノルルの街の東、ダイアモンドヘッドとワイキキの間に位置する公園だ。
沼地と乾いた草地の入り混じったこの場所は建築には適さなかった。
しかし、カラーカウア王が1876年にこの土地に競馬場を作った。
公園の名前は王の妃、カピオラニ女王からきている。
現在では、動物園や、ワイキキシェルという音楽堂があり、ホノルルマラソンの終着点はここになる。
昔のホノルル・ガイド、お楽しみいただけましたか?
♬ Kaimana Hila by Darlene Ahuna