ロイヤル・ハワイアン・ホテル | ハワイアン・メレの世界

ハワイアン・メレの世界

「メレ」とはハワイ語で歌、もしくは詩という意味。
フラを始めて、曲の内容をより知りたいと思い、書いています。

 あなたは見るからに美しい

 ロイヤル・ハワイアン・ホテルよ

 美しく、輝いている

 まことに美しい

 

 私たちが横たわるベルベットのベッド

 すべすべと柔らかく、素晴らしい

 美しく、輝いている

 まことに美しい

 

 緑の大理石の壁

 アーチからは何度も虹がのぞく

 美しく、輝いている

 まことに美しい

 

 海からの快い音楽が砂の小山を越えて聞こえる

 海からの海藻の香りと共に

 美しく、輝いている

 まことに美しい

 

 答えておくれ、ロイヤル・ハワイアン・ホテル

 あなたの名前をほめたたえよう

 美しく、輝いている

 まことに美しい

 

1927年2月1日、400万ドルをかけ建設され、6階建て400の客室を持つこのロイヤル・ハワイアン・ホテルドルのグランド・オープニングのために作曲されたメレだ。

当時、流行していたスパニッシュ・ムーア様式の建物で、その色から、「ザ・ピンク・パレス・オブ・ザ・パシフィック」と呼ばれた。

ホテルでのオープニング・ナイト・フェスティバルには1,200人の招待客が出席し、ブラック・タイ・ディナー、ロイヤル・ハワイアン・バンドによるコンサート、大宴会場でのダンスを楽しんだ。

 

このときから、ハワイの豪華なリゾート旅行の新時代が始まったのだ。

 

 

現在のロイヤル・ハワイアン・ホテルのある場所は、かつてはシーサイド・ホテルがあった場所だ。

1907年、この土地にシーサイド・ホテルがオープンしたが、ロイヤル・ハワイアンがその座を奪うまでは、ワイキキで最も古いホテルのひとつだった。

「野生の呼び声」を書いた、作家のジャック・ロンドンはこのシーサイド・ホテルを「庶民的で家族的な滞在ができる」と驚嘆し、お気に入りだった。

「年を取るにしたがって、よりしばしば訪れ、より長く滞在するようになっていった」と書いている。

 

1924年、シーサイド・ホテルの土地のリース期限が間もなく切れることになり、土地の所有者(ビショップ・エステート)はホテル建設の提案依頼を出した。

 

その頃、マトソン運航会社は本土とハワイを結び、観光客を豪華客船で運ぶだけでなく、宿泊設備を整え、ハワイを一大観光地にするという大きな計画をたてていた。

マトソン社の豪華客船と650人の富裕層の乗客が2週間ごとにホノルルに到着するようになった。

そうなると、2つの大きなホテル、アレキサンダー・ホテルとモアナ・ホテルだけでは観光客を収容しきれなくなる。

ワイキキにも同じように豪華なホテルが必要だった。

 

1925年3月、マトソン運航会社の支配人ウィリアム・ロスとその妻ルルライン(旧姓マトソン)、そしてマトソンの創業者ウィリアム・マトソン未亡人が、ロスが会社の年次会議に出席するため、3週間の滞在予定でホノルルに到着した。

ニューヨークを拠点とする有名な建築家チャールズ・V・ウェットモアも、マトソン・ナビゲーション社の首脳部の招きでホノルルに到着している。

ウェットモアはマトソン社の人々に、「ホノルルは世界のワンダースポットのひとつであり、街そのものと同じくらい魅力的なホテルを持つべきだ」と、アドバイスした。

 

マトソン運航会社についてのブログです。

 

 

キャッスル&クック、マトソン・ナビゲーション、テリトリアル・ホテル・カンパニーの3社は、ビショップ・エステートから賃借するワイキキビーチの区画に豪華ホテルを建設する計画を提案した。

ホテルの正面はピンクの漆喰で飾られ、15エーカー(60,700平方メートル)の庭が囲んでいた。建物はH型で、それぞれ風呂とバルコニーのついた400室の部屋が呼び物だった。

 

しかし、ホテルの計画委員会は、ワイキキビーチに6階建ての高層ビルを建設するための建築基準法の改正を望まなかった。

対して、市と郡の監督委員会は彼らの懸念を無視し、高層化を許可してしまった。

この決定により、ワイキキビーチには、以後、より高い高層ビルが建設されることになり、その風景は永遠に変わることになった。

 

 

♬ Royal Hawaiian Hotel by Robert Cazimero

 

 

参考資料
Seasidehotel, Image of Old Hawaii by P. Young

Royal Hawaiian Hotel, Wikipedia