いらっしゃいませ!
また来たい! と言われる
笑顔の店づくり専門家 いとうきよしです。
日本全国 笑顔でいっぱいのお店だらけになることを目指して今日も発信しています。
テレビの
どのチャンネルをひねっても
平成最後の
が枕詞になっている昨今ですが、
ふと気になって、
自分が平成元年ころなにをやっていたかが気になって
昔の資料を引っ張り出してみました。
年号の変わった 1989年の
前年(昭和63年)に長かった学生生活を終えたボクは、
7日のことだったのか、
8日のことだったかは定かではありませんが、
故小渕官房長官(のちに第84代首相)の
この会見は深夜のことは鮮やかに思い出すことができます。
※ とはいえ年号が変わるということがどういうことなのかあまりピンと来ていなかったかも知れません。
中学のときの半魚人先生
に強烈に影響を受けて、
関連記事 ⇒ 笑顔のお店づくりに 一番大切なこと!
理科の教員になりたいという夢を掲げて
大学の理学部に進んだボクでしたが、
超ナンパサークルを設立するなど
かなり素行不良な学生でした。
結局、
公立や 私立の学校も含めて
いくつかの採用試験を受けたりしましたが、
結果はすべて
ペケ×!!
採用試験直前に
学科の中で行われたソフトボール大会ではしゃぎすぎて、
足を捻挫して身動きが取れなかったという失態もありました。
卒業後、
最初に就職した 化学金属系の会社を 2カ月と20日で退職し、
早々にプー太郎という身分を手に入れたのでした。
7月からは、
上高地(現松本市)にある山荘でのアルバイトを始め、
雪が降り始めた12月からは、
出来たばかりの高速道路のサービスエリアのレストランで働くようになったのでした。
その直後のお正月過ぎに、
昭和から 平成への変革がおとずれました。
バブリーな世の中は相変わらず続いていたので、
なんの計画もなく日々を過ごしてしまったのは、
セミナーのときに話す
失敗事例くらいにしか使い道がないように思われます。
※ 学生のときにアルバイトしていたドーナツ店に復職するのはそのあとのことであります。
その頃
世の中はどうなっていたのかというと、
消費税が、
時の内閣(竹下登首相)によって導入(3%)されたのが
この年。
関係ないけど、
今年の10月から、
消費税は10%時代に突入します。
酒類を除く飲食料品には軽減税率(8%)が適用されたり、
店内飲食か、持ち帰りかの違いによって税率が変わるとか、どんどん複雑になっていくような気配です。
昭和の大歌手、
美空ひばりさん(52歳)や
マンガ家の手塚治虫氏が亡くなったのもこの年。
※ どっちもすげえ‥ って思う。
プリンセス・プリンセスや
長渕剛のとんぼが大流行りしていました。
レコード大賞をとったのは、なんとWinkだったんだとか・・
ゲームボーイ(任天堂)が大ヒットし、
サントリーのハチミツレモン、
永谷園のおとなのふりかけがブレイクしたのもこの年でした。
新語・流行語の世界では、
セクシャル・ハラスメントや、
オバタリアンなんてのが受賞していたようです。
※一杯のかけそばのお話が日本中を駆け巡ったのもこの年。
ボクも、
サービスエリアで働きながら、
いったいどこに向かって進んでいるのは全く分かりませんでした。
30年たった現在、
なんの因果か、
学生時代になりたかった
学校の先生をやらせてもらえるようになりました。
不思議ですね!
とにかく、
平成30年間は
目の前のことにひたすら飛びついてきたように思います。
この先、
新しい年号の時代に何年生きられるのか分かりませんが、
最後の日に
心から
やり尽くした!
と言えるように精進したいものです。
本日もご来店いただきありがとうございました。
またおこしくださいませ!