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なおひとずの哲学カフェと観光日記

哲学カフェの開催記録と日帰り一人旅の記録をするブログ。

 

オンライン哲学対話#55 終了しました。

 

テーマ「人生とはどこまでが自己責任なのか?」

参加者 7名

 

 

自分の命はどこまでが自分の命か?

自分の命は全部が自分の命ではなく何割かは家族や社会のものなのではないか

というところから始まり

 

生まれや育ちがみな違うのだから人生は環境要因に決められることが多い、

全ては運命によって決まっている

そう考えたほうが楽である、という意見があり

それに対して

 

いやいや人生はもう100%自己責任なのだ、

自分の人生は自分でどうにでも創ることができる、

そう考えた方が楽なのだ、

 

などの意見が繰り出され

 

そう言えば自己責任、は弱い側に課せられがちではないか、

自己責任とは強者の論理なんではないか、

 

いやしかし権力をもった国会議員など強者には弱者を救う責任

があるのではないか、

 

そもそも責任とは何か?

大臣とかが「責任取って辞めます」とかやっているが

あれは全然責任取ったことにはならなくないか?

 

「責任」というもの自体が単なるけじめとか象徴で

実は責任という言葉に実体はないのではないか、

 

などなど色々でました。

 

責任というと負のイメージが強いが責任を負うことで

メリット、美しさ、良い変化が起きたりしないか?

 

多くの出来事に環境要因が多い気がするが

自分で努力して得たものは自助努力の成果と思いたい、

 

などなど多くの対話がなされました。

 

 

 

大田区郷土博物館の続き。

 

歌川広重(二代)「三十六花選 東都六郷 梨子」

慶応2(1886)年

 

「六郷一帯ではかつて梨が盛んに生産されていました。

多摩川下流域での梨栽培は、完成・享和年間(1789~1804)頃に

大使河原を発祥として始まったとされています。」

 

と書いてある。

 

1886年とは明治19年だそうだ。

歌川広重 二代とは江戸時代末期から明治の初期にかけての画家で

歌川広重の門人だそうだ。

wikiによると明治2年(1869年)に死去したとのこと。

 

その通りだとここの記述とは合っていないが歌川広重は4代目とかまでいたそうな。

 

 

六郷用水で使われていたという「蛇腹」という器具。

 

説明文

「揚水用の水車。踏み車ともいいます。

干ばつや早春の頃など用水や湧き水の水位が田より下がったときに

使用しました。

回転する羽根の部分を足踏みして水を押し上げ田に揚げ入れます。

小型の蛇腹は手で回しました。」

 

田んぼに水をくみ上げる器具だったんですね。

 

 

そして「六郷とんび凧」

 

>六郷で語られる鳶凧の由来「六郷の鳶凧」は、江戸時代の終わりごろ、

八幡塚村(東六郷)の人が多摩川の河原で捕まえた鳶を見ながらいろいろ工夫して作り出したという。

 

 

>多摩川で獲った魚を河原に並べて干したところ、カラスの群れに荒らされて困った。

そこで鳶凧を上げたところ、カラスが驚いて逃げ回ったことから盛んに作られるようになったというのである。

これは、六郷の凧屋の一軒であった竹内権次郎翁が伝えていた鳶凧の由来である。<

 

大正時代には多く作られて国内のあちこち、北海道から沖縄までで売られ、果てには

米、英、仏、カナダなどにも輸出されたという。

 

第二次大戦中に凧造りは途絶えてしまったがその後復活し

 

>「古川薬師凧の会」による凧揚げ大会が昭和58年から大田区西六郷の安養寺(古川薬師)

近くの多摩川河川敷を会場として成人の日に行われるようになった。<

 

という。

 

 

●六郷用水沿いの野菜洗い場

 

嶺の旧護摩堂橋(西嶺町21-27)にあったという洗い場。

 

 

●区営六郷ゴルフ場

(昭和43年)

 

 

昭和32年に多摩川河川敷(西六郷4丁目地先)に18ホールのゴルフ場

が開設されたという。

 

戦後、ゴルフ場跡地が昭和47年に多摩川緑地運動場として整備された。

 

 

 

大田区郷土博物館に行ってきた。

 

 

歌川広重の『名所江戸百景』の「千束の池袈裟懸松」(複製)。

  

 

洗足池は日蓮宗の開 祖である日蓮  が池畔 ちはん で手足を洗った、

という伝承にちなむといわれているそうだす。

 

なんか洗足池の感じは今も面影が残っているような。。

 

 

 

それでこちらは大森の海苔養殖の絵。

こないだ海苔の博物館に行ってたからよく理解できた。

 

 

 

そして大森麦わら編み細工。

 

 

調べたところによると

 

>大森麦わら細工は、江戸時代の中頃から大森でつくられ、東海道を行き交う旅人たちに江戸土産として売られていたもの>です。

>動物やでんでん太鼓などを編んだ「編み細工」と、小箱へ模様や文様を張り込んだ「張り細工」があります。
>江戸時代の麦わら細工の様子は、浮世絵や『江戸名所図会』などにも描かれていて、

>人気の江戸土産だったようです。

 

とのこと。

 

 

 

そして大森 厳正寺(ごんしょうじ)の水止舞(みずどめのまい)。

 

700年以上前の厳正寺住職である、法密上人(ほうみつしょうにん)がおこなった祈祷に由来

するそうだ。

 

 

雨ごいをしたところ雨が止まらなくなり、今度は雨を止めるための祈祷を

したそうだ。

 

現在でも7月に行われておりみんなでずぶ濡れになって楽しむ祭りだそうです。